芸術は「ご飯」だ?

8月の下鴨納涼古本まつりで買った『日本の芸術論』(安田章生著/東京創元社)をちびちび読んでいますが(昔の言葉(引用文)が多くて読みづらい(-_-;))、「序」の部分に、かなりこの本の趣旨と思われる文章があります。

「日本の芸術論全般に通じる特色というようなものを考えるとき、何よりもまずあげるべきは、詩的なもの、余情、素直さ、自然であることを尊重する点が、たいへん強いということであろう。これらの点は、とりもなおさず日本の芸術全般に見られる特色でもある」

本の中に「音楽論」というのも出てきますが、「詩歌論」「演劇・戯曲論」などに比べるとかなり簡単で短いです。
私がなぜここにきて、日本の芸術(特に伝統的な)に興味を持ったかと言えば、自分が小さい頃からずっと西洋音楽をベースとした音楽に接してきていて、私の中にある音楽はほぼ西洋音楽でできていると思うのですが、でも和花や、日本の庭や、無垢の木や日本の美しいものは好きだし、まさに「詩的なもの、余情、素直さ、自然であること」が感じられる日本的な美意識というものも持っていると自覚していて、その両方が自分の中でどのように同居しているんだろうと、常々考えたりしているからです。
特に、曲を作り出してからだいぶたって、西洋音楽ベースからスタートした自分の音楽が、少しずつどこかで自分の中の和の感覚に影響を受けてるんじゃないかな?と思うこともあります。それは「雅楽」とかいう意味じゃないです(笑)。もっと抽象的な感じです。

西洋音楽は「自然であること」とは、だいぶ違って、もっと人間の「美しいものを作る」という意思をもって作られているように思います。それが西洋音楽の強さであり、民族を越えて人をひきつける魅力にもなっているのだと思います。
ちなみに、この本の「音楽論」の中に、次のような文があります。

「真にすぐれた芸術というものは、「飯」の味のように、平凡に似て、いつまでも飽くことのない性格を持っているものであるといえるであろう」

芸術は「ご飯」です!(笑) 確かに日本人はご飯が好きだし、自然だー! ちょっとガクッときましたが(笑)。
毎日創作を続ける中、非常に異なった西洋と和の芸術の違いについて考え、感じています。

 

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