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アーティストはそればかりしていなければならない?

だいぶ前になりますが、ある有名な現代アートのアーティストが、誰かに「画家は他のことはせず絵を描いていればいい」というようなことを言われて、画家であるというのは自分の中のひとつの側面にすぎないと怒ってしまって、その人をブロックしたというツイートをたまたま見かけました。

似たような感じで、ミュージシャンは政治の話をするな(しているのを聞いてがっかりした)、音楽に政治を持ち込むな、などと言われて反論している人を見かけることも時々あります。

なぜ「他のことをするな」と言うのか、考えてみると、それはその人のある人に対するイメージを壊したくないという願望や、それらしくあるべきという思い込みによるのだと推測します。

アーティストでもミュージシャンでも誰でも、まずは人間なので、色々なことを思ったり、または別のことをしたいと思ったりするのも自然なことで、彼らにしてみれば、なぜそればっかりやっていろと言われなければならないのか、そんなこと言われる筋合いもないし、全く納得のいかないことでしょう。

ところで、ユング心理学に「ペルソナ」という概念があり、人には他人にそれらしさを求めたり、また、それらしく振舞おうとする普遍的な心理があるようです。

ペルソナについて『無意識の構造』(河合隼雄/中央公論新社)の中で次のように書かれています。

ペルソナというのは、 古典劇において役者が用いた仮面のことである。人間がこの世に生きてゆくためには、外界と調和してゆくための、その人の役割にふさわしい在り方を身につけていなくてはならない。外的環境は個人に対して、いろいろな期待や要請をなし、その人はそれに応じて行動しなくてはならない。教師は教師らしく、あるいは、父親は父親らしく行動することが期待されている。いわば、人間は外界に向けて見せるべき自分の仮面を必要とするわけであり、それが、ユングの言うペルソナなのである。

ペルソナによって起こりえる問題というのは、自分が外に向かってそれらしくあろうとするあまり、本当の自分というものを置き去りにしてしまうことのようです。またその逆も問題であるようですが。

前述のアーティストような人は、ペルソナにとらわれすぎず、内面の声にも耳を傾けバランスをとられているということではないでしょうか。

人にそれらしさを求めたり、または、それらしく振舞おうとする心理は無意識に働いているのだろうと認識した上で、そればかりしていても、していなくても、どちらにしてもそれは個人の生き方であるから、尊重し合えるといいなと思います。

感じ方は心の領域

たまに、以前書いたブログをチェックすることがあります。この頃はこんなこと考えてたな、こんなこともあったなと思ったりしますが、時々、はあ、そうやったんやと、紹介していた本の内容に感動したりもします(笑)。

たまたま3年ほど前の記事「音と心理の関係」を読んで、改めて、その時興味深く感じたことについて思い出しました。その記事には、『絶対音感神話』(宮崎謙一著/DOJIN SENSHO)からの引用を載せていますが、そこから改めて短く引用します。

「音の聞こえの感覚は、物理的な音が、耳から脳に至るまでの聴覚系で分析・処理されることによってつくり出される主観的経験である」

「音の聞こえの性質を知るには、実際に音を人に聞いてもらう聴覚実験を中心とした心理学的研究を行うしかない」

つまり、耳まで届いた振動は、そこから先はその人その人の主観的な感覚であり、皆違うということですね。人が持ってる感覚とか感性とか経験とかが影響して「感じ方」が違ってくるということですね、おそらく。

「言葉」も受け手の感じ方、考え方によって、発した側の意図とは違う風に受け取られることはたびたびあると思うし、これも人の心理が大いに関係していると思います。それ自体意味を持たない「音」の聞こえもそうなのかあ、なるほどなあと改めて思いました。