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通信の授業受けています

今年度から、京都橘大学の通信で心理学の勉強をしています。正科生、コース履修、科目履修という選択がありますが、授業に費やせる時間を考え、科目履修にしました。

心理学の科目はかなり幅広く、臨床心理学、発達心理学、認知心理学、社会心理学、教育心理学、言語心理学など、関心のあるものが多く、科目を絞るのにずいぶん時間がかかりました。シラバスを見比べたり、問い合わせたりして、発達心理学、社会心理学、認知心理学あたりで最後まで悩みました。

前期後期2科目ずつにするか1科目ずつにするかもかなり迷いましたが、学習時間がどれくらい必要か読めず、結局、前期1科目(発達心理学Ⅰ)、後期1科目(発達心理学Ⅱ)にしました(実際始めてみて正解だったと思います)。


結局発達心理学にしたのは、これまで児童館・保育所で音楽活動や子育て講座をさせていただいたり、高齢者の施設で演奏させていただいたり、自分の活動に一番関連があるかなと思ったというのがあります。全然違う世代の心の状態というのが気になっていました。

認知心理学は、私がずっと関心を持っている「音楽と心の関係」に関連があるのではと思いましたが、シラバスを見ていると感覚機能の一つとして「聴覚」が少し扱われている程度のようでしたので、授業の中では特に接点はないかと思いました。

社会心理学は、様々な社会問題にも強い関心があるので、心理学からの視点で学んでみたいと思いました。

来年はどうするかまだわかりませんが、とりあえず今年度、授業では発達心理学を学びます。


通信の授業は動画で観るメディア授業と、テキストを読むテキスト授業で構成されています。メディア授業では文字も表示されますが、それと併せて先生が言われたことをノートに書きます。そのため、しょっちゅう動画を止めます(ちなみに、愛用している筆記用具は消せる便利なフリクションボールペンと赤鉛筆です)。
動画の授業は、流れについていけない時はいつでも止められ、何度も観ることができ、まとまった時間がとれなくても好きな時に好きなだけ取り組めるといった利点があります。

大学の授業を受けるのは、何十年ぶりですが、全く心持ちが違うことを感じます。若いころは単に受け身で、なんとなく勉強をしていたのに比べ、何を学ぼうとしているのか、自分が知りたかったことが得られるか、新しい気づきは何か、社会との接点はどこにあるのか、などと考えつつ、とても能動的に取り組んでいます。

授業内容の中には、これまですでに読んだ本で出てきた内容もちらほらありますが、さらにより深く掘り下げるという点で、手ごたえを感じています。ただ、今の時点で前期の三分の一ほど学びましたが、学べることは限定的であると感じています。時間から考えれば当然です。これはあくまで今後また自分が学んでいく上の土台作りのようなものだと思っています。

始めてみるまで、どう感じるかわからない部分もありましたが、なかなか面白いと思っています。社会に出て、様々な経験を積んで、そこからまた学んでみると、積み上げてきた経験、知識、考えと照らし合わせて考えることができるということを実感します。特に心理学は心の学問だから、思い当たることが多いのだと思います。

経験してから学ぶという順番は合理的であるということが、私が時々参考にしている『リファクタリング・ウェットウェア』(Andy Hunt著/武舎広幸・武舎るみ訳/オライリージャパン)という本にも書かれています。

学ぶ内容にもよるかもしれませんが、経験を積んだ大人が学びたいことに出会った時、もっと学びやすい環境があればいいのではと常日頃思っています。

(こちらの記事はnoteにも載せています)

認知症を重くしないために知っておきたいこと

ケアマネージャーをやっている友だちに聞きましたが、認知症の問題はより深刻になってきているようです。高齢者が増えるにつれ、認知症の人も増える。今は他人事でも、そのうち誰もが直面する可能性がある問題だと思います。

10年以上前、音楽療法関連の本を読んでいる時期があって、認知症について色々と書かれているのを目にしていました。そのことについて、当時のブログ(今はネットに上げていません)にも何度か書いています。今回、その中から誰もが知っておいた方がいいと思えることを書いた記事を、改めてのせようと思いました。

以下が今回ご紹介したい記事です(そのままコピーしました)。

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認知症を重くしないために知っておきたいこと

音楽療法については以前から気になっていて本を読みかけたこともありますが、選んだ何冊かの本が悪かったのかなんとなく違和感がありました。
でも、最近音楽で人のお役に立てることを模索している中で、音楽療法についてもう一度ちゃんと調べてみようと、また関連する本を読んでいます。

『認知症 ケアと予防の音楽療法』という本の中に大変大切なことが書かれています。
認知症とは病名ではなく、様々な原因により起こる症状の総称で、まず脳の器質的障害によっておこる「中核症状」(記憶障害・判断力低下・実行機能障害・失語・失行・失認など)があり、そこに別の要因が加わると二次的症状BPSD(認知症の行動・心理症状)が引きおこされます。

最初の中核症状に対し、周辺の理解不足で責めたり冷たくあしらったりすると、二次的症状に進んでしまうというのです。
BPSDの心理症状は不安・幻覚・妄想など、行動症状は攻撃的行為・不穏・徘徊などです。

中核症状が出たことは本人にとっても不本意なこと。自覚があればなおさら不安でたまらないはず。そのことを周りがどれだけ理解し、温かく受け入れるかがとっても重要だと思いました。
本の中で敬老思想の強い沖縄では認知症になってもBPSDに進行している人がいないという調査結果も報告されています。

何度も同じことを聞いたり、教えたことをすぐ忘れても、「さっきゆうたやん」「何べん聞くん?」といらいらせず、根気よく応対していくことが求められるのだと思います。家族は本当に大変だとは思いますがありのままのその人を受け入れることが安心感につながるのでしょう。

そのためにも認知症についての基本知識を広く共有することが必要ではないでしょうか?
これからさらに高齢化が進み、ある一定の割合で認知症の人も増えていくでしょう。完治する方法がない以上、いかに社会が認知症とつきあっていくかは放っておけないテーマだと思います。
そして音楽は普通の人が思っている以上に不思議な力がありそうですから、大いに活用したいですね。

DATE: 09/05/2011 23:56:45

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この記事では『認知症 ケアと予防の音楽療法』の出版社を記載していませんでしたが、春秋社です(佐々木和佳・伊志嶺 理沙・二俣 泉著)。

この記事で書きたかったことは、中核症状の段階でうまく対応できれば、重症化するのを遅らせたり、防いだりできるかもしれないということです。多くの人がイメージしていて恐れている認知症の症状はBPSDの方ではないかと思います。重症化しにくい方法を知っていれば本人も家族を含む周りの人も少しは助かるかもしれないと思いました。

ただ、わかっていたとしても、サポートする家族がいら立つ気持ちを抑えて冷静に対応するのは、実際はなかなか難しいことかもしれません。元々円満であればまだしも、実はあまり仲が良くない家族だとすると、より困難が伴うようです。

難しい問題ですが、何も知らず感情にまかせて対応するよりも、少しでも基本的な知識や情報を得ていた方がましではないかと思います。どのように対応すればいいか、具体的な例を挙げて説明した本もあります。

私は音楽で何ができるか、改めて考えています(少し前にもブログに書きました)。5月から京都音楽院の福祉音楽パートナー指導者養成コースも受講予定です。

また、音楽を使うにしても、結局「心」の問題だと思っています。心理学は以前から興味があり、4月から京都橘大学の心理学科で勉強しようと思っています。子供から高齢者まで全世代を対象にした発達心理学を履修します(通信です)。他、認知心理学や社会心理学なども興味ありますが、一度には時間的に無理だと思うのでとりあえず絞りました。

また発信できることが増えるのではと思っています。

アーティストはそればかりしていなければならない?

だいぶ前になりますが、ある有名な現代アートのアーティストが、誰かに「画家は他のことはせず絵を描いていればいい」というようなことを言われて、画家であるというのは自分の中のひとつの側面にすぎないと怒ってしまって、その人をブロックしたというツイートをたまたま見かけました。

似たような感じで、ミュージシャンは政治の話をするな(しているのを聞いてがっかりした)、音楽に政治を持ち込むな、などと言われて反論している人を見かけることも時々あります。

なぜ「他のことをするな」と言うのか、考えてみると、それはその人のある人に対するイメージを壊したくないという願望や、それらしくあるべきという思い込みによるのだと推測します。

アーティストでもミュージシャンでも誰でも、まずは人間なので、色々なことを思ったり、または別のことをしたいと思ったりするのも自然なことで、彼らにしてみれば、なぜそればっかりやっていろと言われなければならないのか、そんなこと言われる筋合いもないし、全く納得のいかないことでしょう。

ところで、ユング心理学に「ペルソナ」という概念があり、人には他人にそれらしさを求めたり、また、それらしく振舞おうとする普遍的な心理があるようです。

ペルソナについて『無意識の構造』(河合隼雄/中央公論新社)の中で次のように書かれています。

ペルソナというのは、 古典劇において役者が用いた仮面のことである。人間がこの世に生きてゆくためには、外界と調和してゆくための、その人の役割にふさわしい在り方を身につけていなくてはならない。外的環境は個人に対して、いろいろな期待や要請をなし、その人はそれに応じて行動しなくてはならない。教師は教師らしく、あるいは、父親は父親らしく行動することが期待されている。いわば、人間は外界に向けて見せるべき自分の仮面を必要とするわけであり、それが、ユングの言うペルソナなのである。

ペルソナによって起こりえる問題というのは、自分が外に向かってそれらしくあろうとするあまり、本当の自分というものを置き去りにしてしまうことのようです。またその逆も問題であるようですが。

前述のアーティストような人は、ペルソナにとらわれすぎず、内面の声にも耳を傾けバランスをとられているということではないでしょうか。

人にそれらしさを求めたり、または、それらしく振舞おうとする心理は無意識に働いているのだろうと認識した上で、そればかりしていても、していなくても、どちらにしてもそれは個人の生き方であるから、尊重し合えるといいなと思います。

感じ方は心の領域

たまに、以前書いたブログをチェックすることがあります。この頃はこんなこと考えてたな、こんなこともあったなと思ったりしますが、時々、はあ、そうやったんやと、紹介していた本の内容に感動したりもします(笑)。

たまたま3年ほど前の記事「音と心理の関係」を読んで、改めて、その時興味深く感じたことについて思い出しました。その記事には、『絶対音感神話』(宮崎謙一著/DOJIN SENSHO)からの引用を載せていますが、そこから改めて短く引用します。

「音の聞こえの感覚は、物理的な音が、耳から脳に至るまでの聴覚系で分析・処理されることによってつくり出される主観的経験である」

「音の聞こえの性質を知るには、実際に音を人に聞いてもらう聴覚実験を中心とした心理学的研究を行うしかない」

つまり、耳まで届いた振動は、そこから先はその人その人の主観的な感覚であり、皆違うということですね。人が持ってる感覚とか感性とか経験とかが影響して「感じ方」が違ってくるということですね、おそらく。

「言葉」も受け手の感じ方、考え方によって、発した側の意図とは違う風に受け取られることはたびたびあると思うし、これも人の心理が大いに関係していると思います。それ自体意味を持たない「音」の聞こえもそうなのかあ、なるほどなあと改めて思いました。

音と心理の関係

今読んでいる『絶対音感神話』(宮崎謙一著/DOJIN SENSHO)の中でとても気になることがあったので、引用します。

「音響としての音の物理的性質と、その音を聞いた時に私たちが知覚する音の心理的性質は対応関係にあるが、同じものではない。(中略)音の聞こえの感覚は、物理的な音が、耳から脳に至るまでの聴覚系で分析・処理されることによってつくり出される主観的経験である。」(中略)「ピッチやラウドネス、音色などは、音を聞く人が感じる感覚的性質(心理的性質)であるため、測定器を使って測るわけににはいかない。こうした音の聞こえの性質を知るには、実際に音を人に聞いてもらう聴覚実験を中心とした心理学的研究を行うしかない。」

要は、音は物理現象(振動)だけど、どう感じるかは聞く人の頭の中で起こること(主観)によるから、それぞれに違う。音をどう感じるかは心理学の領域になるということですね。これは少し、はっとしました。
ここでは、単体の音についての話だと思いますが、音楽ならなおさら、心理との関係は深いでしょう。

 

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