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マイクが来ない!

3月にエンジニアさんに録音のアドバイスを受け、新しい録音マイク選びもし、その後楽器店で注文しましたが、納期が延びに延び、9月ということでしたが、また連絡があって11月になるということです。これまで何かを注文してこんなに待ったことはありません!

今の選択肢は、11月まで待つか、別のマイクにするかのどちらか。録音は別にいつまでにというのはありませんが、もうずいぶん間が空いてしまっているしそろそろ待つのはやめようかなとも思います。

けれど、せっかく録り比べをして選んだし、使ったことないのは不安だし(選ぶとするなら相談しますが)、やはり選んだマイクがいいなというのと、3月からロシアン奏法を学んでいるので、まだ弾き方も移行中なところもあります。全く変わるわけではないのですが、やはり私の弾き方のベースになっているのはドイツ奏法だし(日本で主流な)、違う部分が大きい。もう少し奏法が安定してからの方がいいかもとも思います。けれど、それはいつになるやら。

マイクはオーストラリア製(RODE)です。オーストラリアはコロナ禍になってから厳しい規制を行っており、何か経済活動の方に支障がでているのだろうかと思ったり、また半導体が不足しているせいではないかという噂を小耳にはさんだり。

とりあえず迷っていて、とても優柔不断な心境になっています(汗)。

京都府立植物園がピンチ?

先日、京都府立植物園の再開発の話を知りました。中でも気になったのが、広場に野外ステージを作るということです。

植物園は、植物を観察したり、散歩したり、広場で遊んだり、ベンチに座って本をよんだり、池を眺めてぼーっとしたり、それぞれが思い思いに自然と触れ合うことのできる場所です。

広場に野外ステージ、ですぐ思い出したのが梅小路公園です。以前行ったときに、ちょうど野外ステージで演奏をしていました。スピーカーから流れる音が響き渡っていましたが、こちらは別に音楽を聴きにいったわけではないし、そういう気分でもないし、聴きたい音楽でもない(アコースティックの楽器ならまだ耳にも優しいと思いますが)。今ここに大音量の音楽はいならいと思いましたが、音はさえぎることができません。そこを去るしか音から逃れることはできません。音は音が届く空間を支配してしまうんですね。

広場を離れ、梅小路京都西駅の方へ行くと今度は別の場所でスピーカーから大音量の音楽が……。

スピーカーを使って「にぎやかに」することが楽しい気分を盛り上げる、という考えが普通になっているのかもしれませんが、どこでもそんな風にしてしまうってどうなんだろうと私は思っています。

音楽フェスのように、音楽を聴くために人が集まってくる場所ならいざ知らず、普通の公園での大音量音楽というのは、必ずしも歓迎されないのではないかと思います。梅小路公園で音楽フェスありますが、普段は普通の公園ですよね。

京都府立植物園の中には、自然の山のようなエリアがあり、街中にいるのを忘れるくらい、落ち着いた雰囲気があります。そこに、スピーカーからの大音量をとどろかせるのは、やや暴力的でもあるとも思えます。

街中のスーパーや商業施設では、当たり前のように音楽が流れています(隣接した店が流す音楽が混ざっていたり、途中でブチっと切れてアナウンスが入ったり、延々販促用の同じ曲が繰り返されたり)。あまり気にしている人はいないかもしれませんが、そうだとすればあまりにむやみに音楽が乱用されていて、慣れてしまっているのだと思います。

『シュタイナー教育の音と音楽』ー静けさのおおいの中でー(吉良創/Gakken)の中に次のように書かれています。

生まれたばかりの赤ちゃんにとって、まず必要なのは「静けさ」というおおいです。これは赤ちゃんだけのことではなく、私たち人間すべてにとって、「静けさ」のある状態は必要であり、つくり出さなければならないと思います。

私はドイツで四年ほど暮らしたことがあるのですが、そのときに感じた大きなことのひとつは、すべての環境が、それまでの私のいた東京の環境よりもずっと静かだということでした。

(中略)

そうした生活が続いていくと、自分の耳が変わってきたことに気づきました。今まで気づかなかった音に気づくことができるようになったのです。

P16-17

人間は外部の情報を得るとき、耳よりも目を使います。五感のうち9割近くが視覚による情報というデータもあります。なので音に対しては案外無頓着になりがちかもしれません。音楽関係や仕事柄耳を使う人、その他普通の人よりは音に注意を向ける人もいると思います。私も日々ピアノを弾きながら音色(音質)に耳を傾けます。ですから、音に対してやや敏感な面もあるかもしれません。

そういった個人差はあるでしょうが、やはり自然を楽しむ植物園は静かである方が望ましいと思います。静かであって初めて気づくことがあるはずです。意識していなくても、鳥の鳴き声や風や葉っぱの音が耳に入ってくるでしょう。自然の音は耳の感性を豊かにしてくれると思っています。

広場の野外ステージだけでなく、アリーナを含むスポーツゾーンも植物園に隣接する敷地に作る計画があり、大会や音楽イベントなどがあるとここも「にぎやか」になるかもしれません。にぎやかなのがだめというわけじゃないのです。植物園の雰囲気が壊されるのが残念なのです。まだ、美術館や図書館ならばいいのにと思います。

以下のサイトで署名を集められています。私も賛同しました。

京都府立植物園が危ない!「生きた植物の博物館」の存続にあなたのお力をお貸しください! The Kyoto Botanical Gardens are in danger!

長い年月をかけて作り上げられてきた京都府立植物園が、今後どうなるのか気になります。

ベルヴィル・ランデブー

京都シネマで『ベルヴィル・ランデブー』という映画を観ました。この映画についての情報は、公式サイトをちらっと見てアニメーションであること、フランス映画であること、見出しが「ピンチもへっちゃら 愛さえあれば」「最愛の孫シャンピオンが誘拐された! 大都市ベルヴィルでおばあちゃんの大冒険が始まる」、アカデミー賞ノミネート作品であることくらいでしたが、出先で夕方、急に何か映画観ようということになったので、それから間に合うものも限られていたし、これにしようということになりました。

セリフはほとんどなし、独創的な絵(デフォルメがすごくて慣れるのにちょっと時間がかかったくらい)と世界観、スリリングな展開、とにかく強烈な映画でした。このインパクトはなかなか言葉では表現できない。そして創造の可能性とエネルギーを感じさせてくれる。
どうしてもビジュアルに気を取られがちになりますが、フィクションの中に、現実社会への風刺が込められていてそれがリアルだなと感じました。私はこっちにもけっこう反応しました(笑)。

そして、音楽のアピールも感じました。BGMとしてだけではなく、歌ったり、演奏したりするシーンも何度かあるのですが、その演出が魅力的でした。公式サイトを改めてみると、ノミネートされたアカデミー賞は、長編アニメーション映画賞と歌曲賞でした。音楽も高く評価されていたということですね。

クラシックからは、バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第2番がいくつかのアレンジで何度か使われていました(グールドのような人もちらっと登場)。あとモーツァルトも(多分レクイエム)。クラシック曲は映画でよく使われますが、個人的にはよく知っている曲の場合、それが気になって気が散ってしまいます(汗)。物語の世界から現実に引き戻されるような感じがして。知らない曲の方が映画の世界に浸っていられる(大体の場合)。

公式サイトにSpotifyのリストが貼ってあったので、サントラを聴いてみました。やはり、映画のタイトルと同じ『ベルヴィル・ランデブー Belleville rendez-vous』がかっこよくて一番好き(フランス語バージョンと英語バージョンあり)。バッハの曲はジャズバージョンだけ入っていました。モーツァルトは無し。

実は2002年の映画で、再上映のようです。多分クリエィティブな人は、何かしら刺激を受けると思いますよ。

娘の結婚式

日曜は娘の結婚式でした。昨年入籍してすでに新生活スタートしていますが、コロナのこともあり式はやっていませんでした。

夫婦と両家の家族のみのこじんまりした結婚式(人前式)と披露宴(食事会に近い?)でしたが、緊張感もなく、自然体で食事と会話を楽しめてよかったです(スタッフの方々は盛り上げようと色々工夫をしてくださいましたが)。

式が始まり最初に新郎が入場する際、J-POPのような曲が流れました。そして、次に夫にエスコートされた娘が入場という時、曲が変わりました。なんと、私の曲で、思わず「えー!!」っと言ってしまった気がします(笑)。そんなこと全く想像していなかったし、娘も内緒にしていたので、ほんと驚きました。ドッキリ大成功です(笑)。あとで聞くと、Apple Musicで聞いて選曲してその曲をダウンロードしてくれたそう。これはやはりうれしかったですね。ちなみに「Untitled 1」という曲です(YouTube (音出ます)にもアップしています)。

食事の後に、二人が親に手紙を読んだり、プレゼントを渡したりという時間がありましたが、しんみりすることもなく、和気あいあいと笑いながらになりました。もう家を出て10ヶ月たつし、週に1~2度は帰ってくるし、気持ちも落ち着いてるし、だと思います。

それでも、帰ってきてからそれなりに色々な気持ちがよぎっているので、ちょっとぼーっとしています。記念品もちょっと親ばかにはこたえるしかけがあって、じわじわきています(笑)。

とにかく、無事終わってよかった。

テーブルに飾ってあったお花をいただきました

ぼちぼちやってます

先日、買い物している時、近所の方に会って立ち話をしました。「最近どう?」と聞かれて、「まあ、ぼちぼちやってます」みたいな感じで答えると、「サマーコンサートやってや」みたいに冗談ぽく言われて、「ははは」と返しました。その方、普段から私の音楽活動を気にかけてくださっていて、2019年クリスマスに初めてうちの狭いピアノ室でホームコンサートやった時も来てくださったんですが、2020年に入ってコロナ禍が始まり、狭い部屋でコンサートなどできる状態ではなくなりました(汗)。

2021年も半分を過ぎましたが、まだまだ世の中落ち着いたとは言えない状況ですよね。ただ、実際は京都市の場合、人口1,400,000人に対し新規感染者21名(6/30現在。どの年齢層か、軽症か重症かなどはわかりません)で蔓延防止等重点措置ということですが、これは大変な状況なのかどうか、冷静に考えるとわかりません。それよりはるかに多くの人たちがコロナ対策のために仕事を失ったり、精神的に追い詰められたりしているのではと気になります。命を守る、不幸になる人を増やさないという視点で見れば、コロナ対策による弊害も問題だと感じてしまいます。

さて、音楽について今特別書けることがないのですが、ぼちぼちやっている内容を書いてみます。まず、松田紗依先生のロシアン奏法のレッスンは大体月2回くらいのペースで通っています。少しずつ感じがつかめてきている気分です(毎回新しいテクニックのアドバイスがあり、まだまだかかると思いつつそれでも可能性を感じながら)。今レッスンでやっているのは練習曲とショパンの小品・ワルツ、メンデルスゾーンの無言歌集。家ではレッスンと関係なしにモーツァルトも弾いています(勝手に応用編)。

曲作りも少しずつ進めています。何曲か作って、何か月か前に作った曲を弾くとなんか違うかなと思いながら、また新しいのを作ってという繰り返しです。
3月に録音のアドバイスをしていただいた際、エンジニアさんが持ってきてくださった何種類かのマイクで試し録りをし、気に入ったマイクを買うことにして注文しました。ところが、コロナの影響でしょうか、まだ届きません。オーストラリアのメーカーですが輸入できないのでしょうか。注文時、数か月かかるかもと言われましたがいつになるやら。ただ、まだアルバムのための曲作り・選曲は終わってないので(何曲にするかも決めてない)、それをコツコツ続けます。

じゅらく児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」も京都市の緊急事態宣言に合わせて中止されるので、昨年は前半、今年も5月、6月は中止になっています。7月はまだわかりません。

この先、世の中がどうなるのかまだわかりませんが、曲作って録音して配信するのには支障がないので、ぼちぼちやっていこうと思っています。

梅宮大社

アンビエント・ミュージック(環境音楽)について少し

少し前から久しぶりにブライアン・イーノの音楽をBGMとして聴いています。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、彼はアンビエント・ミュージック(環境音楽)という音楽ジャンルを作った人です。調べてみますと(日本大百科全書)、エリック・サティの「家具の音楽」という考えに影響を受けたそうです。「音楽は集中して傾聴されるべき芸術作品ではなく、家具のように生活とともにあるべきものである」という考えです。「環境を遮断する音楽」ではなく「環境を包み込む音楽」という意味を込めて「アンビエント・ミュージック」と名づけられたそうです。ブライアン・イーノの音楽を聴いていると現代美術の展示会場を思い出します。そういう場所でこういった音楽が流れていることがありますから。

音楽は好みや気分によって聞こえ方も変わるし、感じ方は人それぞれですが、ブライアン・イーノはずっとかけていても、聞いていてもいなくても差しさわりないというか、でも確実に現代美術の会場を想像させてくれる(笑)影響力がある、私には。強い主張がなくてもじわじわっと感覚にしみてくるような感じがある。

クラシックの場合、おおざっぱに言えば「調性のある曲」というのが人の感情に訴える作用があり、無調に近づくほどつかみどころがなくなり、無調になるとまた違った感情(通(つう)ではなく一般の人にはついていけない?現代音楽の方すみません)が芽生えるという感じだと思います。

環境音楽は調性は感じられないけれど、クラシックの無調音楽のような難しさがなく、ブライアン・イーノがこのジャンルを作った目的のように、主張せず漂うようにそこにある音楽というのが特徴なのかなと感じています。

こういう音楽の「あり方」に改めて興味をそそられているので、しばらく聴いてみようと思っています。

 

 

 

 

 

 

ショパンの演奏美学

レッスンで話題になった(前回の記事で書いた)『弟子から見たショパンーそのピアノ教育法と演奏美学』(ジャン=ジャックエーゲルディンゲル著/音楽之友社)を少し読んでいます。とにかく、分厚い本ですし(注釈も細かく多い)、多分今回も自分の興味がある所を選んで読むだろうと思います。

とりあえず、「序」の中にとても興味深い部分があります。時間がたって記憶があいまいですが前回読んだ時もそう思ってたはず。ショパンのこだわりが感じられる箇所で共感を覚えています。一部ご紹介します。

「ピアノを弾きたいのなら、歌わなければなりません」

P20

「(ショパンの)声楽へのこれほどのまでの愛着と、人を圧倒するような大音量を拒み、自然で素朴な演奏を好むことには、何らかの関係があると見て然るべきだろう」

P21

「(ショパンは)あまりに狭い職人芸的な見方に反対して、技術の習得はもっと芸術的なものだと主張している。空疎な練習を機械的にくり返してだんだんマンネリになるかわりに、聴覚を極度に集中させるのが彼のやり方なのだ!
このような集中によって、すばらしい音色を得るには不可欠な二つの要素が確実に得られる。耳が良くなり、筋肉を自由に動かし弛緩させることができるようになるのである。ショパンによれば技術とは、名人芸を身につけることよりもまず音の響き具合であり、タッチの用い方なのだということをもっと認識する必要があるのではないだろうか。「だからタッチにふさわしい腕の位置さえ覚えてしまえば、このうえなく美しい音色は自ずと得られ、長い音符も短い音符も思いのままに何でも弾けるようになる」

P22

「当時のピアノ教師たちは、無理な練習を重ねて強制的に指を「均等」にしようとしていたのだが、ショパンはその逆を行って、指の個性、つまりもともと「不均等」なものこそ多様な響きを生み出すものとして、むしろ助長していったのである。(中略)こうして彼は弟子に、退屈なばかりか生理学的にも無理を伴う練習をさせず、弟子の奏でる色彩あふれる響きの多様性を一挙に開花させていったのである。

P23

松田先生にも教えていただきましたが、ショパンの目指す音楽とそのための奏法はロシアピアニズムと重なる部分があると改めて感じます。この本を何年か前読んだときは、ロシアピアニズムについてあまり知らなかったので、今回は改めて新鮮な驚きがあります。

共通すると感じる点はピアノで歌うこと、そのためには機械的な練習ではなく耳を研ぎ澄まし音色を聴くこと、美しい音色のためにはそれにふさわしい体の位置を知り、使い方を身につけること、そういったことです。

また、上の引用の中に「生理学的にも無理を伴う練習」というのがありますが、手や指が強い負担を感じるような練習というのは、それによって多少思うようになったとしても、いずれ手の故障につながる心配がありますよね(『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』にも書いてあるように)。例えば指の独立のために特に上がりにくい薬指を高く上げる練習というのもまだあるようですが、手の構造上かなり無理がありますよね。その前提がハイフィンガー奏法だから、奏法が変わればその必要もなくなりますね?
ショパンは体のことを理解した上で、当時のやり方とは違った合理的な考え方で弟子を指導していたということですから、弟子の証言満載のこの本はやはり参考になりそうです(以前ある程度は読んだのですがみんなショパンをほめちぎっているという印象。彼は教育熱心でヨーロッパ各地からショパンの教えを乞いに弟子が集まったとか。その数は正確にはわからないが記録による研究では150人(おそらく長・短期入れて)に及んでるのではないかと。その間に作曲してたとかすごすぎる)。

私がロシアン奏法を習おうと思ったのも、音色や表現をもっと豊かにしたいからです。ロシアン奏法はクラシックの奏法ですが、その奏法を通して自分の音楽表現(ジャンルでくくらない)を良くしていければいいな、自分が前より少しは良くなったかもと思えることができれば、それが続いていけばいいなと思っています。また、これらのことがピアノを弾いておられる方々の参考になれば幸いです。

最新版ではなく私の持っている本です。引用もここからです。

ロシアン奏法とショパンの教えの共通点

今日のロシアン奏法レッスンで、松田先生が『弟子から見たショパン』(ジャン=ジャックエーゲルディンゲル著/音楽之友社)の話をされました。この本はだいぶ前に買って、まだ全部読めず置いてあるのですが、ショパンが指示している弾き方にロシアン奏法と共通する部分があるということです。手の傾け方や、タッチの方法など。該当箇所を教えていただいて、なるほど。ただ、先生のお持ちの本は増補最新版で中身がちょっと変わってそうです。
ショパンが、手の形を理解して無理な弾き方をしないという合理的なことを言っていたことが書いてあったとぼんやり記憶していますが、その他の細かい部分は覚えていないし、また読もうかなと思っています。

ショパンが体のつくりを理解してピアノを弾いていたのと対照的に、同時期の作曲家、シューマンは手に負担のかかる間違った練習をしてしまって手を痛めピアノが弾けなくなってしまった。昔はヨーロッパでも手を鍛えるために変な器具を使ったりしていたみたいですね。

今はまだ、ロシアン奏法の基礎をやっていて、まだ感覚的につかめるには時間がかかりそうですが(当然です!)、普通の曲を弾くとこれまでのように弾いてしまうから、ちょっと控えた方が良さそうです。これまでもそうですが、これからもちょっとずつ地道にやっていくのみです(汗)。

録音のアドバイスをしていただきました

昨年春ごろ、アルバム曲のための録音を初めて自宅で行いましたが、色々と課題もあっていつか録音のアドバイスを詳しい人にしていただきたいと思っていました。昨年の夏にピアノのアクション部の交換も済ませ(気になっていた打鍵時のノイズを解決するため)、その後ぼちぼちと録音をしてYouTubeにアップはしていますが、録音時の問題を解決せねばとずっと気になりつつ、誰に頼めばよいものかと迷っていました。

先日、とにかく適当なキーワードで検索しているうちに、同じ京都でクラシック系のCDを録音・制作・販売されているウッドノート・スタジオさんのサイトを見つけました。だめもとで、メールでこちらの要望(家まで来ていただいて実際録る環境でアドバイスをいただく)をお伝えすると、初めてのケースですがいいですよと快諾してくださいました。来ていただけることになりよかったーと思いましたが、それに加え、アコースティック楽器の録音に慣れていらっしゃる方にお願いできてさらによかった!

ウッドノート・スタジオは、2012年に左京区の錦鱗館で行われた上原 由記音さんのレクチャーコンサート(アルベニスのスペイン組曲)を主催されていました(今回初めて知りました)。私はこのレクチャーコンサートに行っていましたが(ブログにも書いています)、まさかこんな形でお会いすることになるとは、不思議なご縁を感じます(笑)。

さて、当日はウッドノート・スタジオのSさんに色々と教えていただきました。まずは、マイクの位置。私が弾いているのを聴きながらSさんが一番よさげな場所を探します。部屋が狭いのと試したい場所に本棚があったりして制約があるのですが、その中で大体この辺りではという場所を選んでくださいました。この作業は弾きながらはできないから、録音を一人でやる難しさをさっそく感じました。

そして、普段録音に使われているマイクもいくつか持ってきてくださっていて、それらを使って録音し聴き比べをしました。マイクによって思っていた以上の違いがあり驚きました。高いマイクだから良い音とか、そういう単純なことではないのですね。それぞれ特徴がある。これまでの自宅録音では色々いきさつがあってですが違う種類のもの2本を使っていたので、今回の録り比べを参考にしてマイクをどうするか決めます。

あとは、Studio One(録音ソフト)の設定で疑問に思っていたことやその他録音にまつわる色々なことを教えていただきました。これまで、これでいいのだろうかと自信のなかったこともそのままでよかったり、やめた方がよかったりとはっきりしたこともあり、来ていただいて本当に助かりました。

次のアルバムのための録音は、ちょっと考えていることがあり、まだだいぶ先になりそうですが、新しいマイクの準備ができればまたぼちぼち録音してYouTubeにでもアップします。本命はアルバムの方ですが(音楽配信サービスは音楽に特化されているからこちらの方がたくさん聴かれていますし)、YouTubeはなかなか再生数が上がりませんが、誰でもアクセスできるから、偶然私の音楽を知っていただくきっかけになればと思ってアップしていきます。

身体を通して理解する

先日はまた松田紗依先生のロシアン奏法のレッスンでした。
本当に一音、一音からのスタートです。手の角度、手首の高さ・動かし方、タッチの仕方などなど色々なことに注意を払って弾くのは大変です。どれかを忘れる(笑)。弾き方を少しでも変えるというのはなかなか大変なことです。先生は根気強く、でも優しく、そうじゃなくて、こう、と何度も見本をみせたり、私の手をとって教えてくださる。先生大変だなあと思う(笑)。そして、ニュアンスを伝えるために、色々な言葉を使って私の想像力に訴えかけられる(例えば食べ物とか)。それがけっこう伝わって効果的。

いくら本を読んでいても、動画を見ていても、実際に自分の身体を思うように(このイメージもまだつかみきれていないけど)動かす難しさはやってみないとわからないものです。頭と体が少しずつつながっていく過程を経ながら、やがて自然と馴染んでくる、それを感じられた時はうれしいもの。

『ロシアピアニズム』に出てきたような内容もレッスンで教わることがあり、逆に本の内容で理解できなかった部分も、こういうことなのかなと直に教わって理解できた気がしました。体の構造から考えて理にかなっているとより納得できます。

ロシアン奏法を取り入れて、これまで弾いていた曲を弾くとどのように変わっていくか、それが何より楽しみです。