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ショパンの演奏美学

レッスンで話題になった(前回の記事で書いた)『弟子から見たショパンーそのピアノ教育法と演奏美学』(ジャン=ジャックエーゲルディンゲル著/音楽之友社)を少し読んでいます。とにかく、分厚い本ですし(注釈も細かく多い)、多分今回も自分の興味がある所を選んで読むだろうと思います。

とりあえず、「序」の中にとても興味深い部分があります。時間がたって記憶があいまいですが前回読んだ時もそう思ってたはず。ショパンのこだわりが感じられる箇所で共感を覚えています。一部ご紹介します。

「ピアノを弾きたいのなら、歌わなければなりません」

P20

「(ショパンの)声楽へのこれほどのまでの愛着と、人を圧倒するような大音量を拒み、自然で素朴な演奏を好むことには、何らかの関係があると見て然るべきだろう」

P21

「(ショパンは)あまりに狭い職人芸的な見方に反対して、技術の習得はもっと芸術的なものだと主張している。空疎な練習を機械的にくり返してだんだんマンネリになるかわりに、聴覚を極度に集中させるのが彼のやり方なのだ!
このような集中によって、すばらしい音色を得るには不可欠な二つの要素が確実に得られる。耳が良くなり、筋肉を自由に動かし弛緩させることができるようになるのである。ショパンによれば技術とは、名人芸を身につけることよりもまず音の響き具合であり、タッチの用い方なのだということをもっと認識する必要があるのではないだろうか。「だからタッチにふさわしい腕の位置さえ覚えてしまえば、このうえなく美しい音色は自ずと得られ、長い音符も短い音符も思いのままに何でも弾けるようになる」

P22

「当時のピアノ教師たちは、無理な練習を重ねて強制的に指を「均等」にしようとしていたのだが、ショパンはその逆を行って、指の個性、つまりもともと「不均等」なものこそ多様な響きを生み出すものとして、むしろ助長していったのである。(中略)こうして彼は弟子に、退屈なばかりか生理学的にも無理を伴う練習をさせず、弟子の奏でる色彩あふれる響きの多様性を一挙に開花させていったのである。

P23

松田先生にも教えていただきましたが、ショパンの目指す音楽とそのための奏法はロシアピアニズムと重なる部分があると改めて感じます。この本を何年か前読んだときは、ロシアピアニズムについてあまり知らなかったので、今回は改めて新鮮な驚きがあります。

共通すると感じる点はピアノで歌うこと、そのためには機械的な練習ではなく耳を研ぎ澄まし音色を聴くこと、美しい音色のためにはそれにふさわしい体の位置を知り、使い方を身につけること、そういったことです。

また、上の引用の中に「生理学的にも無理を伴う練習」というのがありますが、手や指が強い負担を感じるような練習というのは、それによって多少思うようになったとしても、いずれ手の故障につながる心配がありますよね(『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』にも書いてあるように)。例えば指の独立のために特に上がりにくい薬指を高く上げる練習というのもまだあるようですが、手の構造上かなり無理がありますよね。その前提がハイフィンガー奏法だから、奏法が変わればその必要もなくなりますね?
ショパンは体のことを理解した上で、当時のやり方とは違った合理的な考え方で弟子を指導していたということですから、弟子の証言満載のこの本はやはり参考になりそうです(以前ある程度は読んだのですがみんなショパンをほめちぎっているという印象。彼は教育熱心でヨーロッパ各地からショパンの教えを乞いに弟子が集まったとか。その数は正確にはわからないが記録による研究では150人(おそらく長・短期入れて)に及んでるのではないかと。その間に作曲してたとかすごすぎる)。

私がロシアン奏法を習おうと思ったのも、音色や表現をもっと豊かにしたいからです。ロシアン奏法はクラシックの奏法ですが、その奏法を通して自分の音楽表現(ジャンルでくくらない)を良くしていければいいな、自分が前より少しは良くなったかもと思えることができれば、それが続いていけばいいなと思っています。また、これらのことがピアノを弾いておられる方々の参考になれば幸いです。

最新版ではなく私の持っている本です。引用もここからです。

ロシアン奏法とショパンの教えの共通点

今日のロシアン奏法レッスンで、松田先生が『弟子から見たショパン』(ジャン=ジャックエーゲルディンゲル著/音楽之友社)の話をされました。この本はだいぶ前に買って、まだ全部読めず置いてあるのですが、ショパンが指示している弾き方にロシアン奏法と共通する部分があるということです。手の傾け方や、タッチの方法など。該当箇所を教えていただいて、なるほど。ただ、先生のお持ちの本は増補最新版で中身がちょっと変わってそうです。
ショパンが、手の形を理解して無理な弾き方をしないという合理的なことを言っていたことが書いてあったとぼんやり記憶していますが、その他の細かい部分は覚えていないし、また読もうかなと思っています。

ショパンが体のつくりを理解してピアノを弾いていたのと対照的に、同時期の作曲家、シューマンは手に負担のかかる間違った練習をしてしまって手を痛めピアノが弾けなくなってしまった。昔はヨーロッパでも手を鍛えるために変な器具を使ったりしていたみたいですね。

今はまだ、ロシアン奏法の基礎をやっていて、まだ感覚的につかめるには時間がかかりそうですが(当然です!)、普通の曲を弾くとこれまでのように弾いてしまうから、ちょっと控えた方が良さそうです。これまでもそうですが、これからもちょっとずつ地道にやっていくのみです(汗)。

手首はどこ?

『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』(トーマス・マーク他著/春秋社)には、正しいボディ・マップを知り、ボディ・マッピングする方法が書かれています。

ボディ・マップとは脳の中でイメージされている身体のことで、ボディ・マッピングとは、自分の身体に注意を向けるトレーニングによって筋感覚を鋭敏にし、それ以前には身体の外の世界にあった情報を自分の中に取り込むことです。

少しわかりにくいですが、わりと分かりやすい例(多分)について書きます。
皆さんは手首ってどこだと思いますか? 私は腕時計をつけたり、脈を測ったりするあたり、小指側のぼこっと出た骨の腕側と思っていました。ところがこの本によりますと、正しいボディ・マップでは、手首の骨というのはぼこっと出た骨の手の側、手の甲の根元あたりなんですね。そこに8個の骨が4個ずつ2段に並んでいてそこから指の骨につながっている。私なかなり意外に感じましたが、その8個の骨によって手を柔軟に動かすことができるのですね。

正しいボディ・マップをイメージしたら、今度はボディ・マッピングです。手首を回してみてください。確かに、腕時計をつけるあたりは回りませんが(ぼこっとした骨は肘までつながった1本の太い骨)、手の甲の根元あたりはわりと自由に動きます。この柔軟さを意識してピアノを弾くと、より余計な力を抜くことができると思います。もともとできていた人には関係ないかもしれませんが、手の甲をひと固まりのようにイメージ(無意識でも)しているのと、根元が自由であることを意識するのとでは変わってくると思います。手首の力を抜いてと言われても、ボディ・マップが間違っていれば違う所に意識がいってしまいますね。

この本は過去にも読んでいますが、改めてそうやったんやと思い返すところがいくつかあり、やはり面白いです。

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逆ハの字?

少し前にとり上げた『ロシアピアニズム』(大野眞嗣氏著/yamaha music media)の本には、手の構えについて1の指を少しだけ前方に移動し、手のひらを逆ハの字のような斜めの状態にすると書いてあり、ここは「ん?」と思って何度か読み返しました。弾きにくそう。このことについて、YouTubeの動画でも説明されているピアニスト(ロシアピアニズムの)がいらっしゃるのですが、この手の構えをすると余計な力みが生じるので同意できませんでした。

それで、今読み返している『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』(トーマス・マーク他著/春秋社)には、手の構えについて「小指主導」であるべきだと書いてあります。つまり、上腕につながっている骨は、前腕の2本の骨のうち1本で、それが小指につながっているから小指側を軸とする方がいいということです。ロシアピアニズムの本に書かれていた1の指を前にするというのは、親指主導であり、それは手の故障につながりやすいということです。小指主導というのは、鍵盤に対し手を垂直に構え逆ハの字ではないので、こちらが普通だと思いますが。

たまたま続けて読んでる本で真逆のことが書かれているので、記事にしてみようと思いました。『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』は骨の構造を元に体の使い方を説明しているので説得力があります。

ロシアピアニズムについても、人によって考え方が少し違ったりするようですし、絶対これというのでもないのかなと思っています。

興味のある方の参考になれば幸いです。

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ロシアピアニズムについて

前回ブログで少しご紹介した本『ロシアピアニズム』(大野眞嗣氏著/yamaha music media)の、とりあえず自分が知りたいと思う部分を大体読みました。知りたかった主な部分はロシアピアニズムにおける体の使い方についてですが、後から確認しやすいように、チェックしておきたい個所は書き出しました(あれどこに書いてあったっけ?と探すの大変ですからね)。

ロシアピアニズムの奏法との比較で書かれているのが、従来型(ドイツや西ヨーロッパの奏法)です。その一部をざっくり簡単にまとめてある部分があったので引用します。

従来の奏法 ロシアピアニズム
どこで支えるか 指の関節 手の内側や前腕の筋肉や腱
どのような運動が多いか 指を上にあげる 指を下に下げる
脱力 肘で腕の重さを抜く 手首で腕の重さを抜く
姿勢 椅子を低くし背筋を伸ばす 椅子を高くし前傾姿勢

ロシアピアニズムでは倍音を聴き響かせること、歌うように弾くこと、また間違った使い方で手を傷めないことなどを大事にしていて、そのためには上記のような体の使い方を基本にするということです(細かく言えば4大流派がある)。その他にも肩甲骨や鎖骨を意識することなどについても書かれています。これは『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』を読んでから、気にするようになったことです。手以外にも直接見えない体の部分に意識を向けることで、余計な力を抜く練習になります。

この本はクラシック作品の演奏をロシアピアニズムによって追究することを前提に、作曲家やロシアピアニズムのピアニストのことなども書かれています。今の私の目的はクラシック作品の追究ではなく、色々な奏法や体の使い方を改めて研究して、いいと思える部分は試してみて、より自分の出したい音を自由にコントロールできるようになることです。

ピアノは、弦楽器など耳で音を確かめて弾かなければならない楽器と違って、誰がドレミと弾いてもドレミと音が出るんですが、同じ楽器でも弾く人によって全然違う音が出ますよね。著者の大野眞嗣さんは本の中で何度も音色について書かれていますが、私も音色にこだわりたいです。それこそがアコースティックピアノの醍醐味だと思っています。録音すると音質が変わってしまうのは残念ですが……。

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2021年 あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします。

昨年終わり頃より、改めてピアノのよりよい弾き方について研究しています。これまで以上により手をコントロールして自分の思うままに表現できるようになりたいと思っています。すぐにたどり着いたのがロシアピアニズムです。今このタイトルの本を読んでいます(『ロシアピアニズム』(大野眞嗣著/yamaha music media))。大野さんの名前は以前からネットで何度か目にして知っていましたが、ロシアピアニズムについてあまり詳しくは知りませんでした。

音色を大切にすること、歌うこと、ロシアピアニズムで大切に考えられていることは私も大切に考えていることで、興味をそそられています。より良い音のためにどのように体を使えばいいかは、以前ブログに書いた『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』アンスガー・ヤンケのメソードなどとも共通する点があるように思います。

今年のスタートは、これらのことをもう一度おさらいし、さらに追及していこうかと思っています。役立ちそうな内容はブログでもまた書ければと思います。

ベートーヴェンの本 その2

先日、『ベートーヴェンの生涯』(青木やよひ著/平凡社)を読み終えました(改めてもうちょっとじっくり読みたいですが)。いやあ、良かった良かった。

興味深く感じた個所は山ほどあります(笑)。ご紹介しきれませんので、興味のある方は読んでください(笑)。それで、最も強く印象に残った事柄について書きたいと思います。超有名な『交響曲第九番』が生まれた背景についてです。ちょっと固い話と感じられる方はスルーしてくださいね。

著者、青木やよひさんの考察になりますが、まず、ベートーヴェンにとって「神」とは何だったのかという問いかけがあります。彼は「神」というものをいつも身近に感じていた。それは、「人間の良心のよりどころとして」そして、「苦難の癒し手として」。

ベートーヴェンにとっての最初の「神」は、洗礼を受けたボン(ドイツ)の聖レミギウス教会。この教会が属する宗派は「自然への愛好」「人間同士の友愛的連帯」「異教への寛容」を特色としていた。その教会で、ベートーヴェンは少年の頃よりオルガンも弾いている。

その後、ベートーヴェンはキリスト教以外の宗教や様々な思想にも出会う。

「古代ギリシャの詩人たちの作品やカントの自然史研究の理論書などの他に、インドの聖典や宗教書などに深く共感し、それらからの引用を数多く『日記』に書き残していた」

一方で、聖書からの引用は一度もないということ。

ベートーヴェンは第九を作曲する前に「ミサ・ソレムニス」という大曲を書いている。4年の歳月をかけ作り上げたけれど、それに満足できない。その理由をロマン・ロランが「多分彼の神が〈教会〉の神でなかった」と述べていることを紹介。

「人生のモットーとして机上に置いていたのも、エジプトのピラミッドに刻まれた碑文の一部だった。こうした彼の精神世界のありようは、正真のキリスト者にとっては〈異教的〉と見えることだろう」

自由・平等・友愛の精神のもと教会の権威を批判する立場をとるフリーメーソンという組織の会員に、尊敬し親交もあったゲーテ、第九の原詩の作者シラー、モーツァルト、ハイドンなどの他、親しい人たちが名を連ねていたけれど、ベートーヴェンの入信記録は見つかっていない。

「彼自身のアイデンティティーにメーソン的な思想基盤があったことは疑いない。それにもかかわらず入信しなかったとすれば、彼は思想信条は共有するが、いかなる集団の掟にも縛られたくないとする独特の自由精神の持主だったと見ることもできよう」

結局、ベートーヴェンが思う「神」とは、特定の既存の思想ではなかったという見方です。たくさんの素晴らしい考え方、思想を取り入れながらも、一つの思想の下に縛られたくない!ここ、とても共感できます、私。

それで、いよいよ「第九」です。彼にとっての「神」つまり「自分の思想」を音楽によって表現したものがあの曲だったということです。

『第九』は長い人生のさまざまな時期にベートーヴェンの中に宿った、時には対立さえする多種多様な思想や動機が、半ば無意識に合流し統合された作品と言えよう。しかしその方向性は一瞬にし て決ったのだ。『ミサ』から手が離れた時、自分の最後のメッセージは、あれではない、これだ!  と閃いたに違いない。これとは何か? 教会の典礼文ではなく、自分の言葉によって、自分の神に、 生きとし生けるものと共に、喜びにみちて祈ることが可能な音楽に他ならなかった。

(自分の言葉→原詩はシラーの詩「歓喜に寄せて」)

対立する思想さえも乗り越え、喜びを共有することは実際難しいし、理想的すぎるかもしれない。でも、ベートーヴェンのようにどこにも属さず自由な精神であることは(彼自身の思想はある)、色々な考えの人たちとの対話を閉ざさないということだと思う。私も最近ちょうどそのようなことを考えていたので、この本に出会ったのはグッドタイミングでした。

ベートーヴェンは20代から難聴が始まり、やがて聞こえなくなる(それで作曲ができていたことがすごすぎる!)。そして、何度も失恋をし、苦悩する。持病などもあり、様々な困難に直面するけれど、創作への意欲、使命感が何度も彼を奮い立たせる。そしてずっと彼を支えてきたのが、彼が信じる「神」(思想)であり、それが人々と共に喜びを分かち合う大作として結実した。なかなか感動的ではありませんか!

ベートーヴェンの葬儀にはウィーン中から2万人、3万人という規模の市民が集まったということです。彼が音楽を通し、社会にのためにしようとしたこと、それが多くの人の心を動かしたのかもしれません。

ベートーヴェンという人は、思っていたイメージをはるかに超える興味深い人物、偉大な音楽家でした。

 

読んでいる途中から、ベートーヴェンの曲を弾きたい気分になっていました(長らく弾いてなかったしあまり弾くこともないと思っていたけど)。5月末までアルバムリリースの準備をしていたので、終わってからピアノソナタを何曲か弾きました。本を読む以前とではやはり違う気持ちで作品に接しました。新しい発見もあり面白かった。

 

 

ベートーヴェンの本

1日のうち、本を読む時間というのはほとんどないのですが(優先順位をつけるとそうなる)、最近また本を読みたい気分で、隙間時間を使って読んでいます。ながら読書です。主に夜、ドライヤーで髪を乾かしている時間などですが、手も耳も使えないけど目があいているので(笑)、パソコンで電子書籍です。そのあと、iPhoneでも読めるから続きをちょこっとストレッチしながらとか。

他に、最近またオーディオブックやYouTubeの朗読なども聞いています。これは台所で、手と目は料理に使うけど耳があいているから(笑)。特に台所に立つ時間は1日3時間以上はあるかな(片づけにも時間かかるしね)、長いので使わないともったいない。音楽を聴くこともあるけれど、ストリーミングの再生リストを流していると(いちいち手を止めて選んでられないので)、そのうち似たような曲、同じ曲ばかりかかってくるので、聴くのをやめてしまいます。おすすめ機能は気がきいているようで、微妙ですね。そしてまた本を求める。でもそれが続くとまた、活字から解き放たれ音楽で頭をほぐしたいと思ったりするのですが(笑)。台所でそれを繰り返している感じです。

最近読み始めた電子書籍は『ベートーヴェンの生涯』(平凡社)です。ロマン・ロランのが有名だと思うし、安かったし、それを買ったんですが、もう少しみてみると青木やよひさんという方の書かれた同じタイトルの本があり、レビューを見るとかなり高評価。これまでのベートーヴェンの伝記よりも、より細かく調べられていて信頼性が高い内容であるということで、サンプルを読んでみるとこちらの方が良さそうで、結局こちらも買ってそれを読んでいます。

ベートーヴェンについては、音楽家という側面以上に人として興味がありました。詳しくは知らないのですが、音楽(西洋クラシック音楽)を貴族や宗教ためのものから民衆のものへと変えたのが彼であるというようなことについて少し別の本で読んだ記憶があります。それってけっこうすごいことなんじゃないかなと思っていました。

ベートーヴェンの作品は、ピアノソナタを何曲か十代の頃レッスンで弾きましたが、それほど強い思い入れがあるわけでもなく、その後はソナタや他の小品などたまに弾くこともあるというくらいでした。今回はたまたま本を見つけたので、改めてベートーヴェンという人について知ろうと思いました。

他の音楽家の場合もそうですが、ベートーヴェンも生い立ちからすでに興味深い。興味そそられる点が多くて、とても紹介しきれませんが、最初の方はざーっくりこんな感じ。祖父の代から音楽家の家で、幼いころから父に厳しい音楽教育を受け(ほとんど虐待?)、父親よりも才能があり、家は父親が酒に溺れて家計が苦しく、母親が亡くなり、十代で兄弟や父親の面倒を見なければならなくなった(音楽で稼ぐ)という流れの中、それでもベートーヴェンは自分につらく当たってきた父親を受け入れ、大事にした。まずは彼の優しさ(人柄)に感動しました(大人だなぁ)。

即興演奏が得意な少年でしたが、10歳で初めて本格的に作曲を習います。最初の教材はバッハの『平均律クラヴィーア曲集』(いきなり!)。

1783年3月2日付の「マガツィーン・デア・ムジーク」で書かれた記事が、ベートーヴェンについての最初の報道記事で、その中で、11歳(実は12歳)のベートーヴェンが平均律クラヴィーア曲集を巧みに演奏すると絶賛、そして

彼がこのまま進歩を続けるならば、必ずや第二の ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトになるであろう

と書かれていることが紹介されています。ほめちぎりですね!

ベートーヴェンが最も敬愛したのはモーツァルトのようです。モーツァルトとの一度だけの出会いについても書かれています。モーツァルトが内心、若いベートーヴェンの才能を見抜きながらそれを本人に言わなかったのは、認めるのはちょっと悔しかったのかなと思ったりしました。

ハイドンやサリエリにも師事していますね。なんか、すごい。

十代のうちから哲学書なども読み、また音楽教師や他の大人たちからの影響もあり、音楽だけではなく広く思想についても思いめぐらしていたことが、のちのちの彼の生き方につながっていくことに、とても興味を持って読み進めています。

ところで、著者の青木やよひさんってどんな人だろうと検索してみると、びっくり。興味のある人はこちらからどうぞ↓(さらに経歴は別のページに)

青木やよひの部屋

もう亡くなられているのですが、エコロジカル・フェミニスト(この言葉は初めて知りました)ということで、この考え方(エコロジカル・フェミニズム)は大変興味深いです。私も似たようなことを考えたりします。主流のフェミニズムについて詳しくないですが、エコロジカル・フェミニズムの方が問題の本質に迫っていると思えます。性別に関わらず、多くの人がなんとなくおかしいなと感じていることの本質に迫っている。これについては話がそれるし、ヘビーだし(汗)、これ以上ここでは書きませんが。

青木やよひさんが、ベートーヴェンを自分の思想とつながる芸術家と認識して書いた『ベートーヴェンの生涯』は、やはり面白いに違いない(笑)。ますます、期待が高まります。そういう意味ではロマン・ロランも、尊敬できる、共感できる人間として、ベートーヴェンについて書いているようです。こちらの本も持ってるからまた読むかもしれません。

録音の方も日々、取り組んでいます。編曲ものの録音は一旦終え、アルバム曲の録音に入っています。まだまだかかりそう~(汗)。

 

視点を変える力、共感する力

『デンマークの親は子どもを褒めない』(ジェシカ・ジョエル・アレキサンダー/イーベン・ディシング・サンダール著/鹿田昌美訳/集英社)の「Reframing 視点を変える」という章からです。

多くの人は、物の見方を「無意識に選んでいる」ことに気づいていない。自分が見る世界が真実だと思っている。自分にとっての真実、物の見方が、学習によってもたらされた視点(多くの場合は親や文化から受け継ぐ)だとは考えない。単に「当たり前」だと思う。この「当たり前」の設定を「フレーム」と呼び、フレームを通して見た世界が「あなたの物の見方(視点)」である。人は、自分が真実だと認識したことを真実だと感じるのだ。

一人一人が違うフレームを持っているということを認識できれば、他の人をより理解したり、受け入れたりできるのだと思います。

また、別の章に「Empathy 共感力」というのがあります。

エンパシーとは、他人の気持ちに感情移入できる力、共感力のこと。その人の感情を理解するだけではなく、気持ちに寄り添うことだ。

世の中のもめごとや摩擦の多くが「視点を変える力」と「共感する力」が足りないために起こっているのではないでしょうか。視点を変えることができれば、共感できる部分が増えるかもしれない。この二つのことはつながっていると思います。そういったことが基礎にあれば社会はもっと寛容で居心地のいい場所になるのではないでしょうか。

子どもの頃から、視点を変える力、人の気持ちを想像してみる力を養えるよう、大人との会話の中で気づかせてあげられることが大切なのだと思います。

 

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『デンマークの親は子どもを褒めない』を読んで

『デンマークの親は子どもを褒めない』(ジェシカ・ジョエル・アレキサンダー/イーベン・ディシング・サンダール著/鹿田昌美訳/集英社)という本を読みました。今年のイベントに備え、資料を検索していてたまたま見つけました。褒め育てがいいのか、そうでないのか、ということよりも、副題の「世界一幸せな国が実践する「折れない」子どもの育て方」という方にとても興味を持ちました。著者のジェシカさんはアメリカ人で作家で、イーベンさんはデンマーク人で心理学の専門家です。ジェシカさんはデンマーク人と結婚し、アメリカとデンマークの子育てに対する考え方や価値観の違いに衝撃を受けたということです。アメリカでは若いうちから心が折れる人がどんどん増えているということで、子育ての重要性をもっと認識せねばという強い思いを持っておられます。

私は常々、子育てというのは、小さなお子さんのいる家庭だけが抱えるというものではなく、社会が関心を持って、社会で支えていくという意識があっていいと思っています。なぜなら、子どもはみんな大人になり、社会を動かしていく人たちになるからです。子育てに悩みを抱える人が増えているならば、それは社会の問題がそういう所に表れているということかもしれません。私が子育てしていた時は、そこまで考えていませんでしたが、児童館などに通うようになって、子どもに関する本なども読む機会増え、そのことについてより関心を持つようになりました。

この本の序章にはまず、次のように書かれています。

子育ての基盤となるデンマーク的な思想と子育てスタイルが、「レジリエンス(折れない心)を持つ情緒が安定した幸せな子ども」という素晴らしい結果を生みだしている。そして彼らが「レジリエンスを持つ情緒が安定した幸せな大人」へと成長し、ふたたび同じ子育てスタイルで子どもを育てる。

子ども時代はやがて大人になる基礎を形成する時期だから大切ですよね。先日ブログ記事に「長い目で見れば、心が成長し、内面が充実し、精神的に安定していくことがその後何をやるにも支えとなるのだと思います」(「子どもと音楽について考える」より)と書きましたが、これは以前からの私の考えです。

この本には「折れない心」を育てるための考え方がいくつかのテーマに沿って書かれていますが、まず最初は「遊び」の大切さについてです。

デンマークの親や教師が重視するのは、社会性、自主性、団結力、民主性、自尊心。

それらを育てるために、子どもたちが自由に遊ぶことを重視する。子どもが先生や親から干渉されすぎると、自分の内部から沸きあがる意欲を育むことができないということです。

統制の所在(「自分を応援する気持ち」「内側から湧き上がる意欲」)が自分の中にある人は、人生や身に起こる出来事をコントロールする力が自分にあると信じている。モチベーションの源が自己に内在する。一方、外部に統制の所在がある人は、人生は環境や運命といった外的要因にコントロールされており自分では変えにくい、と信じている。モチベーションの源が外部にあるからだ。

統制の所在を自分の内側に持つことによって、様々な状況に対処できる折れない心を育てることになる。そのためには子どもが自由に遊ぶ中で自らが感じ、考え、行動する力をつけることに対し、あまり干渉しすぎずに見守る必要があるというのが、デンマーク人の子育ての考えのようです。

これは、私自身の子育ての時にも考えていたことです。子育てはわからないこと、迷うことがたくさんありましたが、遊びから、自主性や創造性や協調性など多くのことを学ぶのだと、日々遊ぶ子どもたちを見ながら思っていました。

教育については色々な考え方があると思いますし、またそれぞれの家庭によって事情も異なると思いますが、特に幼いうちの「自由な遊び」は習い事や勉強に比べて無駄かと言えば、むしろそちらの方が大切なのではと思います。ただ、今どきはスマホやらゲームやら色々あって、また安心して遊べる場所が減っているなど、どうやって子どもたちを遊ばせるのがいいのか、という問題もありますよね。そういったことも各家庭の問題で片づけるのではなく、本当は社会が子どもにとって望ましい環境とはどういうものか、ある程度共通の認識を持って、それを整える必要があるのだと思いますが、ちょっとハードルが高いのだろうなというのが正直な気持ちです。でも、少しでも良い方向に向かうことを願います。

この本について続きがまた書ければと思います。

ちなみに、2016年にこんな記事を書いていました。『「遊び」は大切

興味のある方はお読みください。

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