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寿長生の郷(すないのさと)

4月に城崎へ行った時、ロビーに置いてあってたまたま気になって見た雑誌「森さんぽ(関西版)」に載っていた寿長生の郷(すないのさと)へ行ってきました。

この雑誌を見るまで、大津市にこんな場所があるなんて全く知りませんでした。ここを運営している叶 匠寿庵は以前から知っていますが、和菓子を作っているだけではなく、こんな取り組みをしているとはすごい会社だと思いました。

パンフレットによれば、菓子づくりの原点は「農」であるという思いから、山を開墾し63,000坪の緑豊かな丘陵地の中で、菓子の原料を育てているということです。
また、同時に多様な生物が生息するこの里山の保全にも努められていて(菓子づくりの里山)、環境省より自然共生サイトとして認定されています。

実際、あまり見たこともない植物をたくさん目にしました。山奥ではなくこんな身近なところで鑑賞できるとはうれしいことです。モリアオガエルの池というのがあって、カエルたちが元気よく鳴いていました。モリアオガエルも希少生物のようです。
入場料もなく、訪れた人々は敷地内を散策してそれらの自然の風景を楽しむことができます(食べ物の持ち込みはできません。行かれる方はご注意を)。

こういうことを知ると、どうしても「近江商人」「三方よし」というような言葉が浮かんできます。つまり、商売をしているのだけれど、社会にも貢献しているというイメージです。さすが、滋賀の会社だなと納得してしまいます。

敷地内に、「十〇地」(とわぢ)という陶房があり、房主から色々と興味深いお話を伺うことができました。そこでは、たまに教室もされていますが、寿長生の郷の中にある食事処やカフェなどで使う器などを焼いておられます。
なんと登り窯があるのですが、登り窯を見るのは河井寛次郎記念館で見た時以来です。登り窯で器を焼くには4日間、15分おきに休みなく薪を追加せねばならず、大変な作業ということを知りました。
実際は、電気釜も使われているということで、火で焼くのとの違いは何ですか?と聞くと、火の場合は空中に舞った灰が溶けて陶器に付着し自然に釉薬のかわりになるということです。焼き物は釉薬がないと水分がしみてしまいますが、火で焼けば釉薬はいらない(十分でない場合は焼き直すということ)ということです。
器の材料は寿長生の郷と信楽の土を使っているそうです。

自然、食べ物、陶器、木造建築物などどれも本物へのこだわりが感じられました。
このような場所を作り、維持していくためには、膨大なコストと労力と情熱が必要でしょう。お金に換算できない価値を作り、それを人々に感じてもらう、そのことに使命感を持たれているのではと思いました。
多くのことを感じさせてもらった一日でした。

これは夫撮影

城崎へ

先日、1泊2日で城崎へ行ってきました。最寄駅から特急きのさきで2時間と少し。温泉好き、しかも源泉かけ流しがいいという夫の希望に合わせて宿を選びました。

城崎と言えば有名な温泉街ですが、1300年ほどの歴史があるとは知りませんでした。
写真や動画を通して見ているのと、行ってみてその場の雰囲気を感じのとでは全然違うというのは経験があることですが、やはり城崎も行ってみると思っていた以上にいいなと感じました。

人もそれほど多くなく、温泉街の真ん中を流れる川に沿って歩くのは心地よい。でも、地元の人に聞くと、3月まではカニで、4月の初めごろは桜でもっと人が多くて混んでいたそう。もう少ししたらゴールデンウィーク。今はちょうどいい時期ですよと言われました。

1日目、温泉街を西にずっと行ったところに温泉寺というのがあったので、階段で登ってみたのですが、思った以上に段数があってへとへと。冗談で熊が出たらどうするか、夫と相談しました。誰もいないような山道などを歩くことがあると、熊に会ったらどうするといつも話しますが、逃げると追いかけてくるそうなので、今回はもう大声あげて威嚇するしかないなとか話していました(笑)
実はすぐ近くにロープウェイがあったのですが、強風で止まっていて、ようやく温泉寺に登りついた時、そこにロープウェイの途中の駅があると知りました。奥の院がある山頂まではまだほど遠い。そこで引き返しました。
城崎温泉1300年の歴史は、ここ温泉寺から始まっているそう。

2日目はロープウェイが動いていたので山頂まで行きました。ロープウェイ乗り場の入り口に向かうところに「熊に注意」と書いてあったので、え、ほんまに出るんや!と驚きました(;’∀’)。

山頂まで行きましたが、あいにく小雨が降っていて、展望台からの眺めはかすんでいました。

午後からは、城崎文芸館城崎麦わら細工伝承館に行きましたが、特に麦わら工芸がすごかった。ざっくりした民芸品のようなものをイメージしていのですが、非常に高度な技術で精巧に作られた工芸品が展示されていました。お土産向けに軽めのものもありましたが。
その昔、シーボルトが麦わら工芸の作品を他の多くの日本の美術品と共にヨーロッパに持ち帰り、今も博物館に展示されているということですが、その復刻版も展示されていました。

100年ほど前に、この地域は大震災に見舞われ多くのものが失われたそうですが、城崎麦わら細工伝承館の建物はそれ以前から建っているもので、倒壊をまぬがれたそうです。
この蔵は木造で、夫が言うにはこの構造では倒れようがないということです。
城崎の麦わら工芸品の職人さんは現在も後継者が何人かがんばっておられるということです。

夫は二日間で宿のお風呂と外湯で計7回お風呂に入って満足していました(笑)。
私は宿のお風呂しか入っていませんが、温泉寺の石段で疲労した足にじわじわ効いている気がしました。

心も体も癒される、温泉街の魅力を感じた旅でした。

温泉街から近い円山川。向こうは海です。

山の辺の道・長岳寺

最近のウォーキング(夫と)は、滋賀や奈良へも出かけています。

昨日は奈良の山の辺の道を歩いてきました。山の辺の道はガイドブックによれば、大和を囲む東の山麓を伝う道で『古事記』や『日本書紀』にも記されている古い道だそうです。

天理から桜井の間を歩くと16kmで(さらに山の辺の道北コース12kmもある)、そんなたくさん歩く自信がないので、一部を歩きました。紅葉がきれいだという長岳寺周辺にすることにしました。JR万葉まほろば線の柳本駅で降り、長岳寺に行き、山の辺の道を通って隣の長柄駅まで行くというコースです。

長岳寺に向かう途中住宅街の間から突然大きな古墳が見えました。黒塚古墳です。この辺りは古墳があちこちにあります(天理市には1600基!の古墳があるそうです)。黒塚古墳は小高い丘のようになっていて上まで上がることができました。

長岳寺は824年、弘法大師により創建されたそうです。真っ赤な紅葉が見ごろでした。

長岳寺の横のトレイルセンターとその近くで里芋と生のピーナッツを買いました。山の辺の道では色々農作物も売っていることは事前に知っていて、ちょっと期待していました。

それから、山の辺の道を進んで行きました。途中でまた無人販売所があり、柿を買いました。3つで100円! 道沿いには柿畑、みかん畑などがたくさんありました。

山の辺の道で期待していた風景にも出会いました。

3年前の年末にも、奈良で見たい景色を求めて旅行しました。イメージは万葉集です。
山の辺の道には今回行けなかった所にまだ万葉集を感じられる場所がありそうなので、改めて行くつもりです。

3年前の奈良旅行の記録をブログにアップしていたつもりでしたが、ここにはあげてなかったようなので、この後に貼っておきます(わりと盛りだくさんです)。
久々に読んでみると、あまり覚えていないこともあり、色々と調べていたことを思い出しました。
寒かったことが一番記憶に残っています(笑)。

奈良へ

先日、久々に奈良へ行ってきました。
実は少し前から奈良に対してこれまでとは違う関心を持ち始めていて、それで改めて行ってみることにしました。

奈良にはまだ行ったことがない場所がたくさんあります。地図を改めて見ると知らない所がたくさん。これまでたまに行くのは奈良公園周辺が多かったですが、今回は行ったことないエリアへ足を延ばすことにしました。

そう思ったきっかけの一つは「万葉集」
昔の人が歌を詠んだ、その場所に行ってみて自分は何を感じるか体験してみたい。

以前、図書館で万葉集の本(別冊太陽 万葉集入門)を借りて読んだとき、現代人も昔の人も「心」のありようは変わらないのではと感じました。なので自分もその場に立てば、昔の人の気持ちに共感できるかもしれない。そのことがとても興味深く思えました。

(バックナンバーは売っていなかったので、古本を購入しました)

行先は奈良に着いてから決めました。まずは明日香村へ。奈良の中心地から南へ車で約1時間ほど(だったと思います)。

甘樫丘(あまかしのおか)から北側に、万葉集に詠われた大和三山(香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま))が眺められることがわかり登ってみることにしました。

(右端が香具山、その左の小さい山が耳成山)

(右端が耳成山、左端が畝傍山。3つ同じ写真に納まらなかった)

建物や道路など当然昔とは違うけれど、山々などの地形やスケール感などは変わらないでしょう。いい眺め。

春過ぎて 夏来(きた)るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山
(春が過ぎて夏がやってきたらしい。真っ白な衣が干してある。天の香具山よ)
持統天皇
「別冊太陽 万葉集入門」より

これは百人一首にも選ばれている有名な歌ですが、百人一首では
「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」
と少し違っています。

大和三山が出てくる歌は他にもあります。大化の改新の中大兄皇子は大和三山を擬人化した歌を詠んでいます。盆地の中にこぶのように盛り上がったこの三つの山は、印象的で想像力を刺激する魅力があるように感じました。

甘樫丘から南の眺めもなかなかいい雰囲気でした。

丘の上に登ったり降りたりする間、地元の子供たち(小学生くらい?)にたくさん出会いました。息を切らせて走っている子たちもいました。「こんにちは」と挨拶してくれる子たちも! 子供は元気やなあと夫と言いながら微笑ましくその姿を眺めていました。

甘樫丘を降りた後、近くの道の駅へ。柿の葉寿司などを買って食べた後、隣の明日香村埋蔵文化財展示室に寄りました。親切なガイドさんの説明もあり明日香村に様々な歴史の痕跡があることを知り、短い滞在ではとても回れないことがわかりました。

その後、そこから南東へ。前から見たかった石舞台古墳へ向かいました。

でかい! 高さ3~5mくらいでしょうか?

地下もあります。

巨岩!

明日香村観光マップによると、石舞台古墳は蘇我馬子の墓と伝えられる日本最大級の方墳で、使用されている30数個の岩の総重量は約2,300トン!(ピンときません)
明日香村埋蔵文化財展示室に、巨岩を木に載せて多くの人が引っ張っている様子の絵があり、そうやって運んでいたんだと思いましたが、どうやって積んだのか? 昔の人、重機もないのにすごすぎます。

明日香村にはその他にも巨岩がいくつかあるのですが、そのうちの一つ酒船石というのを見に行きました。その近くに亀形石造物というのもありますが、入場時間が終わってて入れませんでした。

何かミステリアスな雰囲気の階段を登っていく。
竹藪を奥に進んでいくと巨岩が横たわっていました。

人工的に彫られた跡が残っている。酒船石という名前は、酒造りに用いられたと伝えられているところからきているということですが、用途は未だ不明ということです。

謎めいた竹藪の外は、このようなのどかな景色。ここを右に行くと飛鳥寺(日本最古の本格的仏教寺院だそうです)ですが、あまりに体が冷えたのでこの日の屋外活動はこれで終了。宿泊先の奈良公園近くのホテルへ向かいました。

次の日、やはりせっかく奈良公園の近くに泊まったのだから、鹿は見ていきたい。その日も0度くらいで寒かったけど、奈良公園へ。

みんなひたすら草(?)食べてる。

かわいい。

奈良公園には囲いがなく、鹿が自由に動き回っていてる。こんな場所はなかなかないと改めて思う(あとは宮島くらい?)。もっと見ていたかったけど寒すぎて、奈良公園横のスタバに暖を取りに。

荒削り。

お茶を飲んだ後、大宇陀へ向かうことに。万葉集に詠まれた風景が見られるのではと前から気になっていた場所です。当日行くことに決めたのですが、改めてガイドブックを見て、万葉時代からの薬草の里であることを知りました。奈良公園から、前日行った明日香村と同じくらいの距離を南東へ。明日香村より東になります。

大宇陀の道の駅でお昼を済ませ、まずは見晴らしの良さそうな、かぎろひの丘万葉公園へ行くことに。そこには、柿本人麻呂の歌碑が立っているらしい。地図とナビを見ながら目的地へ向かいますがなかなか行きつけない。
馬に人が乗った銅像がある公園があり、これかと思ったけど、そこは阿騎野(あきの。大宇陀の古代の呼び名)・人麻呂公園でした(馬に乗っていたのは柿本人麻呂)。寒すぎてそこはそそくさと切り上げる。
かぎろひの丘を探し、そのまま人麻呂公園の横の道を進んでいくと山が近づいてくる。山には雪がうっすら積もっている。道理で寒いわけだ。竜門岳という山らしい。

もう一度よく地図を見て引き返し、人麻呂公園に行く道とは違うもう一方の細い道へ入っていく。わかりにくかったけどようやく、かぎろひの丘の駐車場を見つける。駐車場の横の丸太の階段を上がっていく。

そして、丘の上に登ると、ありました。例の歌碑が。

「ひむかしの野にかぎろひの立つみえてかへりみすれば月かたぶきぬ」

現代語訳を検索してみました。

東方の野に日の出前の光が射し始めるのが見えて、後ろを振り返って(西の方角を)見てみると、月が傾いていた。(マナペディア

解説のサイトは色々あって、現代語訳は微妙に違いますが大体こんな意味ですね。

「かぎろひ」というのは、ガイドブック(楽楽 奈良・大和路)によると

諸説があるが、厳冬のよく晴れた早朝、日の出1時間ほど前の東の空に現れる光で、朝焼けとは違うと考えられている。

こんな限定的な情景を表す言葉があったんですね。柿本人麻呂はこの場所でこの歌を詠んだそうです。しみじみ。

大宇陀は薬草の里ということでしたが、鹿の角も昔から薬として使われていたことが記されていました。鹿茸(ろくじょう)という漢方薬で今もあります。

体が芯から冷え、もう限界だと思いながら、かぎろひの丘を降りました。

近くには森野旧薬園(江戸時代に創設された現存最古の薬草園)がありましたが、駐車場がないようなのであきらめ、また宇陀市歴史文化館「薬の館」は閉館していたためあきらめました。もう少し暖かければ散策もできたかもしれないけれど、今回はこれで引き返すことにしました。

帰り道、桜井のある場所を走っているとこんもりと木が生い茂っている場所があり、もしかして古墳?と思って見ると、鳥居があり、しばらく走ると説明の看板があり、やはり古墳でした。

調べると「箸墓古墳」でした。宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に指定されているそうですが、卑弥呼の墓という説もあるそうです。ちょっとわくわくします。

写真は古墳の茂みの一部です。前方後円墳だそうです。


今回の観光はここまで。京都へ。

あまり多くの場所ヘは行けませんでしたが、知らなかった奈良の魅力に少し触れられて良かった。謎が多くてますます好奇心がそそられました。万葉集に詠まれた場所を含めまだまだ行ってみたい所があります。

古都でも、奈良と京都はかなり違うということを改めて感じました。また暖かい時期に出直したいです。

(2022.1.1)

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黒島町

今回、夫が黒島町の物件の改修設計の依頼を受けている関係で初めて黒島町のことを知りましたが、この町は国の重要伝統的建造物群保存地区で瓦は黒、外壁は下見板張りで統一されています。空き家も多く移住者や別荘として買う人によって町の景観を美しく保てるよう色々取り組みがなされています。
(6/28ツイートより)

ストリートピアノ

輪島市の總持寺前の通りで夫の電話が終わるのを待っててブラブラ歩いてて屋内に置いてあるストリートピアノを発見。そのピアノは横で作業中だった調律師さんが管理されているとのこと。夫が電話長くて暇だし通りにほとんど人がいないので何曲か弾かせてもらいました。
(6/28ツイートより)

メタセコイア並木

高島を出て能登に向かう途中、前から行きたかったマキノのメタセコイア並木を通りました。思っていた以上に長い並木でした。紅葉もいいですが緑もきれい。車も少なく道のど真ん中に立って写真が撮れた。(6/28ツイートより)

黒島町の宿

夫の仕事の物件下見に輪島市の黒島町へ来ています。招待していただいた宿は改修された元古民家。設計もインテリアも凝っていて素敵です。海に面していて景色も最高。 夫も町家を宿などにする設計を何軒もしていますが泊まるのは初めて。 思っていた以上に快適で参考になることも色々。(6/28ツイートより)

夏の信州

先日、信州旅行へ行ってきました。昨年秋にも信州の松本、安曇野、白馬あたりを旅しましたが、やはり、緑や花が美しい夏にまた行きたいと思っていました。

今回は蓼科高原に宿をとり、そこから色々な所を訪れました。

旅行で撮った写真でYouTube用の動画(スライドショー)を作ろうと思っていたので、帰ってから早速作りました。けっこうたくさん撮ったつもりですが、実際動画に使うのに選ぼうと思うと案外使えない写真もたくさんあって写真選びに手間取りました。

動画の音楽は6月に出したアルバム「MESSAGE FOR YOU」に収録している9曲です。

よかったらご覧ください。

撮影地:美ヶ原高原、霧ヶ峰高原、八ヶ岳自然文化園、御泉水自然園等

撮影地:蓼科湖

撮影地:ビーナスライン

撮影地:御泉水自然園

撮影地:八ヶ岳自然文化園

撮影地:美ヶ原高原

撮影地:長門牧場

撮影地:蓼科湖、蓼科高原芸術の森彫刻公園

撮影地:白樺湖、蓼科第二牧場、尖石縄文考古館、御射鹿池

安曇野への旅

以前から憧れていた安曇野へ行ってきました。
3泊4日の旅で感じたことを簡単に記しておこうと思います。記憶が新鮮なうちに。

10月29日、京都から新幹線で名古屋まで行き、そこから「しなの」に乗り換え松本へ。そして、レンタカーで安曇野へ向かいました。

最初に感動したのは、普段見慣れた京都の山とは全然スケールの違う山々が見えてきた時です。京都中心部も盆地で山に囲まれていますが、山までが近いしもっと低い。それに比べここは広い平野があって遠くに山々がある。手前の高い山々の向こうにさらに山頂に雪が積もった山々が見える。そのスケールの大きさに感動し、車の中で興奮が高まっていきました。

安曇野エリア、穂高に着いた時は午後3時過ぎていて、すでになんとなく夕方の雰囲気。とりあえずどこかへ行ってみようということで、碌山美術館へ。
碌山美術館は彫刻家、荻原守衛(碌山)の彫刻、絵画等を展示していると今回知りましたが、代表的な建物「碌山館」は以前から写真で見ていました。建物にまとわりついているのは写真で見ていた青々としたツタではなく、赤や黄色も混ざった秋のツタでした。

荻原守衛の経歴などについて書かれているコーナーで、彼がロダンより受けたアドバイスを見つけました。

汝が私ないしは、ギリシア、エジプトの傑作にしろ、それらを手本になどと思っては駄目だ。仰ぐべき師は至る所に存在しているではないか。自然を師として研究すればそれが最も善い師ではないか

少し前に、「自然」について違う側面から考えるようになったきっかけがあり、このロダンの言葉に興味を持ちました。きっかけとなったのは河合隼雄の『無意識の構造』(中央公論新社)の中に書かれていることですが、それについて引用を交え少し書きます。旅の話から少し離れますので興味ない方はとばしてください。

この本の中に「自我」と「自己」の違いについての記述があります。「自我」とは意識できていること、「自己」は無意識の中にあり意識化できないことです。無意識の中に私にとっての重要研究テーマ「言葉にならないこと」が在ると思っていて、そこに自己(心の中心)があるという考えは、とても興味深く惹かれるものです。

以下の引用では、ざっくりしたくくりであると思いますが西洋人は意識できる自我が心の中心と思っている傾向があるのに対し、東洋人は無意識の中にある自己の存在を、ちゃんと把握できないながらも感じていて意識と無意識の均衡をとろうとする傾向があること、無意識内の自己を知ることは難しいためそれをシンボルに投影することで把握しようと試みること、その自己のシンボルとしてあるがままの自然というのは適しているというようなことなどが書かれていると理解しています。

自己という考えは、日本人には西洋人よりも受け入れやすいように、著者には感じられる。 無意識と明確に区別された存在として、意識の中心としての自我を確立することは、西洋の文化のなした特異な仕事ではないかと思われる。そして、その確立した自我を心全体の中心と見誤まるほどに、彼らの合理主義が頂点に達したころに、ユングが自己などということを言い出したのではないか。そのため、彼は心の中心が自我ではなく自己にあることを何度も繰り返して主張している。しかし、実のところ、自己の存在は東洋人には前から知られていたことではなかったろうか。というよりは、東洋人は意識をそれほどに確立されたものと考えず、意識と無意識とを通じて生じてくる、ある漠然とした全体的な統合性のようなものを評価したのではないだろ うか。

西洋人は自我を中心として、それ自身ひとつのまとまった意識構造をもっ ている。これに対して、東洋人のほうは、それだけではまとまりを持ってい ないようでありながら、実はそれは無意識内にある中心(すなわち自己)へ志向した意識構造を持っていると考えられる。ここで、自己の存在を念頭におかないときは、東洋人の意識構造の中心のなさのみが問題となり、日本人 の考えることは不可解であるとされたり、主体のなさや、無責任性が非難されたりする。

自分の無意識内に存在する自己へと志向することは、実のところ至難のこと なので、日本人の多くは、その自己を外界に投影し、ー

自己は無意識界に存在していて、それ自身を知ることはありえないと述べ た。ただ、われわれは自己のある側面をシンボルという形で把握すること ができる。

(物語に出てくる自然を例に挙げ)

自己の象徴として、自然物が選ばれることもよくある。自然はいわば、ある がままにあるものとして、自己の象徴に適していると言える。

これらを読んだ時、自分が漠然と考えていたことが裏付けられるような感じがして、さらに自然との関りについて気づかされ、なるほどそうなのかと感動しました。
自然の風景と向き合っている時心がなごむのは、あるがままのその姿にあるがままの自分(自己)を重ねているからなのかもしれない、人間も自然の一部であることを無意識のうちに感じ取っているのかもしれない、そんな考えも浮かんできました。自然との触れ合いが人の心に及ぼす影響とその大切さについて改めて考えました。

ロダンの「自然を師とせよ」という言葉は、造形についてのみ語ったのかそれ以外のことも含めていたのかわかりませんが、気づきとしての自然というのは、今私にとって大きな関心事となっています。

さらに、展示室の壁面に彫られていた、孤雁という彫刻家の言葉にも目をとめました。

自然はただそこにあり、それをどう感じるかは人それぞれですね。私は歳を重ねるごとに手が大きくなって、より感動するようになっている気がします。

そろそろ旅の話に戻ります。

碌山美術館の庭も自然なおもむきが感じられいい雰囲気でした。

2日目。
まず、前日車の中から見つけたリンゴ畑のひとつを見に行きました。実は、木になっているリンゴを見るのは今回初めてで、最初に見つけた時、はっとしました。そして実物を見るために近寄る時はとても心が躍りました。

それから、北アルプス展望美術館へ。美術館は閉まっていましたが、目的はここからの眺望。北アルプスを臨む大パノラマ。素晴らしい眺めでした。

次に、国営アルプスあづみの公園へ。敷地が広く一部しか行っていませんが、美しい水路や自然の川など、見ごたえある光景がいくつかありました。

どんぐりを見つけるといつでもときめいてしまう。これは私の謎のひとつです。

残念だったのは、夜のイルミネーションのために多くの場所に電飾が張り巡らされていたことです。夜楽しむために、昼間の景色を台無しにしているというのはどうなんだろうと思ってしまいます。ライトアップというのは京都でもありますが、街中ならともかく、お寺など緑の多い所ではそこに住む生き物に影響があるんじゃないかと前から気になっています。

この後、前から行きたかった安曇野ちひろ美術館へ。

いわさきちひろの絵、これまで何度か展覧会で見ていますが、いつ見てもほれぼれします。子どもの特徴を描くのが本当にうまい。シンプルだけど説得力のある描写。

3日目。
もう少し山へ近づいてみようと白馬の方へ。まずはたまたま見つけた落倉自然園へ行こうと木立に入りかけましたが、すぐに木道修理中の看板があり断念。ひと気もなし。念のため半分冗談でYouTubeで見つけた鈴の音の動画を再生しながら行こうとしていたんですが。駐車場へ戻る途中「熊に注意」の張り紙があるのを見つけ、通行止めになっていて助かったかもと思いました。

実は2日目の朝、夫が露天風呂に入っている時、近くの茂みに熊がいるのを目撃していて驚いていたところです。ホテルの人が言うには、冬眠前で懸命に餌を探しているとのこと、珍しくもないようです。

それから、これもたまたま通りかかった霧降宮切久保諏訪神社に寄りました。時の重みの感じられる、雰囲気のある神社です。調べると平安時代末期から鎌倉時代初期頃に創建されたと推定され、現在の本殿も江戸時代初期に建てられたもので、神社本殿建築の遺構として貴重であることから、白馬村の文化財に指定されているそうです。

どこかでお昼をと探していたら、夫が白馬のスタバが良さげだと検索して見つけたので行ってみることに。
スタバはsnow peakの建物内にありました。建物が白馬の山々に面していて、スキーのジャンプ台も見える。その絶景を眺めながらコーヒーとサンドウィッチをいただきました。長野に来て魅了され続けている山々を間近に感じながら、こんな体験は初めてだとしみじみかみしめる。あの山のどこかに登っていく人たちのことを少し想像しながら。きっと高さによってレベルが全然違うんだろうな。母は何年か前から何度か山にハイキング(or トレッキング?)に行っている。白馬にも。初心者でも行けるコースだと思う。それくらいなら私も行けるかな?

広場のマルシェで売っていた笹だんごをいただきました。ヨモギではなく、オヤマボクチという山菜の一種が使われているということです。そこでしか採れない材料でそこでしか食べられないものを食べるというのは貴重な体験です。

昼を済ませて、その日の朝に行こうと決めた白馬五竜高山植物園へ。なんと行ってみると夏季営業最終日でした。ロープウェイで標高1515mの頂上駅まで登りました。スリル満点です。
降りてみると、植物園の植物はほぼ枯れていて、ちょっとがっかり。一部ではもう草刈り機で刈り始めている! あと1日待ってよ。
けれども見晴らしがすごい。花壇は山の斜面に沿って駅よりさらに上に広がっているので、枯れた植物の花壇の間を歩いて登っていく。登るほどさらに絶景が広がる。雪の山も下から見ていた時よりもぐっと近くに見える。実際はまだまだ高い。実はこの近くが五竜岳の登山口で五竜岳は2814m !!

ロープウェイからの眺め

旅行を計画していた時は、こんな高い所まで行く予定はなかったのだけど、安曇野へ入り、まず山に魅了され、知らず知らずのうちに少しずつ近くへ誘われたのかもしれない。導かれるようにこの山の上に登った時、感動も極まり、この旅行のクライマックスを迎えたという気がしました。そんなドラマチックな運びになるとは予想もしていませんでしたが。

普段から、京都で見ている山は1000メートルもないものばかり。身近で威圧感もない。その気になればいつでも登れそう。けれど、今回見た山々、特に雪の積もった険しい山々は、心も体も決して自分が近づくことができない遠い存在と感じる。自然の厳しさが見ていて伝わってくるよう。恐れ入りました!という気持ち。

4日目、最終日。
ホテルをチェックアウトし、前日横を通った青木湖へ。道中、紅葉のグラデーションが延々と続く。ため息。

青木湖は、流入河川が無いにもかかわらず水位が維持されていることから、湖底にかなりの量の湧水があると考えられている(ウィキペディアより)。

安曇野最後の訪問地は、安曇野アートラインマップで見つけた、征矢野 久(そやの ひさ)水彩館。この方は生まれ育った安曇野の風景を長年描かれているということで、どんな風に表現されているのか興味がありました。旅の締めくくりにちょうどいいのではと思いました。
美術館には、不透明水彩や水彩の、安曇野やその他海外の風景画がなどが展示されていました。ポストカードをいただきました! 安曇野の風景画、雰囲気がよく伝わってきます。

このあと安曇野の風景を見納めながら、松本へ。

昼過ぎに車を返した後、松本に数時間ほど滞在することに。時間があまりないので行ける所は限られていて、松本城に行きました。松本城は戦国時代に造られた現存最古の貴重な木造天守ということです。
通常とは違い、入城の制限があり、中でゆっくりはできませんでしたが、なかなかいい眺めでした。

この後、帰路へ。
今回の安曇野旅行がきっかけで、長野にはまだまだ行きたいところがあることを再確認。長野以外にも行きたい所はたくさんあるけれど。
写真や動画をいくら見ても、その場に行ってみないとわからない。全身で感じることでようやくわかる。そして現地で色々なことを知り、また考える。

とても、良い旅でした。