今日はじゅらく児童館のピアノに合わせてあそぼうの日でした。 今月の季節の歌の中に「月」(出た出た月が~)がありましたが、知らないお母さんが多かったようです。 時々ジェネレーションギャップ(のせい?)を感じます。
(9/11ツイートより)
「音楽」カテゴリーアーカイブ
幼児のピアノコンクール
ゴダーイの音楽教育
コダーイの音楽教育というのは音楽を教えるというより、音楽で教える(内面を育てる)というものだそう。音楽が内面に与える影響を考えた時、どう教えるかというのは特に子どもにとってとても大切なことだと思います。コダーイの音楽教育に関する本もあるのでまた読んでみたいです。
(8/12ツイートより)
丸善でコダーイの音楽教育について書かれている本がないか探す。 保育関係の棚に一冊だけ音楽表現に関する本があり、コダーイの音楽教育について数ページ書かれていました。他にも興味深いことが色々。 役立ちそうです。
(8/13ツイートより)
コダーイの考えでは、まずは母国のわらべうたから始めよということです。 乳幼児へは5音音階のわらべうた(童謡も含む)から始めることがよいことや、この本の副題に書かれている「声から音楽へ」ということについて、これまで保育所のイベント等でお話させていただいていますが、さらに学びます。
(8/14ツイートより)

コダーイ
ピアノに合わせてあそぼう(7/10)
なぜその歌が?
最近ツイートばかりのせていましたが、久々にちょっとブログを書きます。
さっき、頭の中に『オリビアを聴きながら』が流れていて、ああこんな曲もあったなあと歌いそうになりましたが、えっ、なんでこんな古い曲が唐突に流れているのだろうと一瞬考えました。それで、その時ジャスミン茶を淹れているからだとすぐに気づきました(知らない方も多いかもしれませんが、この歌の中に「ジャスミンティーは眠り誘う薬」という歌詞があります)。
何かのキーワードをきっかけに忘却の彼方にあった歌が引きずり出されてくる。こういうことはこれまで何度もあります。皆さんも経験ありますでしょうか?
記憶のあいまいさというのは、頭の中には経験したことが全部入っているけれど、それを引き出す時に生じるようです。忘れたというのは覚えたことがなくなったのではなく、出してこれないというわけです。
今でも口ずさめるような歌というのは、一度や二度ではなく何度も歌っていたはず。しっかりと頭のどこかにあって静かにしているだけ。だから、たった一つの言葉をきっかけにすぐによみがえってくるのでしょう。
それにしても、いつも歌が先、しばらく不思議に思ってから後でそのきっかけの言葉に気づいて笑うのです。

ストリートピアノ
ピアノに合わせてあそぼう(2013.6.12)
ふれあいあそびとピアノコンサート
今日は左京区の養生保育所で赤ちゃんと保護者向けの音楽イベントを行いました。
3月にも同じ場所で、同じようなスタイルのイベントを行いましたが、今回は赤ちゃんと音楽についてのお話と演奏に加え、ふれあいあそび、手遊びをやりました。
参加してくださったのは、0歳児さん、1歳児さんたちとそのお母さんたち。そして、左京区の別の施設の方が見学で来られました。さらに別の施設から何組かの親子の参加希望もあったのですが、雨のため来られませんでした。
今回のお話の主なテーマは音楽を子育てにどのように取り入れるかです。赤ちゃんにとっては音楽を一方的に聞かされるよりも、一緒にふれあいながら音楽あそびをすることの方が意味があるのではないかということです。わかりやすい語りかけるような音楽は赤ちゃんが本来持っている音楽性(リズム感や音に対する感性)を引き出し、コミュニケーションや共感を生み出すことにつながるのではというお話です。参考にしている書籍も一部ご紹介しました。
ふれあいあそび、手遊びは、毎月じゅらく児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」でもやっている曲から選びました。言葉の繰り返しの多い曲は赤ちゃんの注意を引くので、それも意識して選曲しています。
今回は
・あままかたひざぽん
・ゆらゆらたんたん
・おおきなたいこ
・つんつんつん とんとんとん
・てをたたきましょう
・いっぽんばし こちょこちょ
をやりました。
見本の振付は養生保育所の保育士さんがやってくださいました。
演奏は
・クーラウ・ソナチネ Op.55-2
・クレメンティ・ソナタ Op.25 No.6-2
・シューマン 五月、愛する五月
・モーツァルト・ソナタ K.282-1
・モーツァルト・ソナタ K.332-2
を弾きました。
生ピアノを弾く時は、普段耳にする、テレビ、スマホ、パソコン、CDなどのデジタル音との違いを話します。そう言われればそうだなと気づかれる方がいらっしゃいます。
イベントの内容が少しでも皆さんの子育てのお役に立つといいなと思っています。
