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音楽と心の関係

10月30日、ドイツ音楽療法センター主催のオンライン公開講演会に参加しました。講演会のタイトルは「自分の音楽とつながる & 他者の音楽とつながる」です。

この講演会について知った時は確かチラシの説明を読んでだけで、それほど明確なイメージを抱いたわけではないのですが、なんとなく自分の興味と接点があるように感じて申し込みました。

前半のテーマは「自分の内なる音楽とつながる」、後半のテーマは「他者の音楽とつながる」。
特に前半は普段自分が考えていることと重なることも多く、思っていた以上に興味深かったです。
オンラインでただ聞いているだけでは忘れてしまうだろうから、先生の話を聞きながら画面に映されるレジュメをひたすらノートに書いていました(前半部分を。後半はほとんど動画だったので)。せっかくですから資料として残せるように。

というわけで、前半部分は手元に資料もあるので一部ご紹介します。

まず、生まれた後の環境、養育者の接し方が子どもの性格を変えるような影響があるということです。肯定的に受け入れられていると感じている子は精神的にも安定し、そうでない子よりも良い影響を受けるということです(この辺りのお話は今勉強している発達心理学と重なる部分があります)。

そして、音楽教育が内面に与える影響についての話です。
子どもが、楽譜の通り、先生の言われる通り弾くという教育の中で、内面の音楽を表現するチャンスやそれを認めてもらえる機会はあるか、 レッスンで否定されたことが自分を否定されてしまったように感じないか、というような内容です。

さらに、自分の内面にある音楽に意識を向けるための手段としての「即興演奏」の話です。
例として楽器演奏経験がない人(確か)と音楽家(音楽療法士)に対するセラピーが紹介されました。
どちらも音源を聴かせていただきましたが、楽器経験のない人の方は、「音」によって何かを表現しているようでした(ギターを使って)。色々な音を出してみることで何かに気づき自分の気持ちに向き合うことができることもあるようです。
一方、音楽家は自分の表現したい音楽がわからなくなっていたのですが、即興にトライして自分の中にある音楽を奏でることができ、肯定的な心境に変化していったということです。とてもまとまりのある自然なピアノ演奏でした。

お話の中で出てきた音楽療法士は、音楽で人のために役立つ仕事をしているはずですが、自分自身にとっての音楽がわからなくなっていてそれが苦しみの原因だった。今回の講演会は、「演奏家とセラピストに向けて」ということですが、音楽家にも特有の悩みがあり、時にはセラピーが必要なことがあるのかもしれないと改めて思いました。改めて、というのはこのようなことはだいぶ以前から私の意識の中にはあったからです(何年か前、『音楽気質―音楽家の心理と性格』という本を読んだ頃から特に意識し始めました)。

この記事を書いているのは、講演会からしばらくたってからですが、音楽と心の関係というのが私にとって大きな関心事であることを、講演会の内容を振り返りながら再認識しています(振り返れば音楽と心の関係に興味を持ち始めたのはずっと以前、人はなぜ音楽を聴くと涙がでるのかと思い始めた頃だったと思います→関連記事『どうして涙が出る』?)。

最近の私の関心事を端的に言葉で表わすと「音楽心理学」ということになりそうですが、『音楽心理学ことはじめー音楽とこころの科学』という本を読んでいる途中です。専門的なのと翻訳がややわかりにくい感じなのと合間に読んでいるというのもあって、なかなか進みませんが、興味深い内容です。
ちなみに、京都橘大学の心理学の科目には音楽心理学やそれに近いものはなかったので、今後も自分で関係ありそうな本を読んでいこうと思っています。

久々のピティナステップ

今日は久々にピティナのステップに参加してきました。実に7年ぶりです。それ以前も何年か、参加するのは京都修学院(アトリエ松田)だけになっていましたが、この会場も2~3年ほどはコロナのために開催されていなかったようです。
しばらく出ていなかったのは、オリジナル曲の作成と録音をやり始めたからだったと思いますが、松田先生の所へ来させていただているうちに(ロシアン奏法を学びます)、また出てみようかという気持ちになりました。

弾いたのはメンデルスゾーンの無言歌集から、「瞑想」(Op.30-1)「ヴェニスのゴンドラの歌」(Op.30-6)、「岸辺にて」(Op.53-1)の3曲。無言歌集は他にも好きな曲がありますが、出ると決めたのも2か月ほど前だったのでとりあえずの選曲となりました。

わりと無難な選曲をしたつもりですが、この3曲のうち「瞑想」がかなりポリフォニックで特にエンディングに近づくあたりは弾き分けしにくいところがあり、けっこうてこずっていました。「岸辺にて」は同じようなパターンが繰り返されるので、単調にならないような工夫が必要でした。
とりあえず、まあまあ落ち着いて弾けたのでよかったかな。

私の出たのは最終の部だったので、終わった後、以前何度か一緒に出演して知っている人やその他聴きに来られていた人たちなどと歓談しました。
アトリエ松田はとてもアットホームでなごやかな雰囲気があります。松田先生のおおらかなお人柄とも相まってか、打ち解けた雰囲気になりやすいのだと思います。
レッスンで弾かせていただいている場所ですが、やはりコンサートになるといつもと違った雰囲気になります。暗くなって照明が灯ると、昼間とはまた違った魅力が感じられる空間です。この雰囲気が好きと思える人たちとはどこか、共感できる感性があるのかもしれません。

来年はどうなるか。とりあえず、やろうとしてることが山ほどあるのでまた考え考えやっていくのでしょう。

(夫に写真を頼んだのですが、後ろの方から撮ったため人がたくさん写ってしまって、その部分を切りとったらこんな感じになりました。何をしている写真かわからない(笑))

「いまむら文庫」について

はっきりした期間は記憶があいまいなのですが、大体2000年くらいから2005年くらいの間に、夫と「いまむら文庫」というサイトでweb絵本を作っていました。私が物語を書き、夫が絵を描きました。
これもはっきりしたきっかけは覚えていないのですが、当時、自分の子育ての中で感じたり考えたりしたことから色々な物語が生まれてきました。

うちの娘が生後半年から6歳ごろまでは、夫の転勤で岡山にいました(当時は夫は会社勤めでした)。その間住んでいた賃貸マンションには多くの子育て世代の人たちがいて、子どもたちは毎日毎日、お互いの家を行き来したり、マンション前の駐車場で遊んでいました。その様子を見ながらとても微笑ましく思っていました。遊びの中で自主性や創造性や社会性や協調性など多くを学んでいる、よしよしと。その子どもたちの生き生きした様子も後の創作の源になりました。

いまむら文庫を始めたのは、岡山から関西(最初は大阪に)に戻ってきて何年かしてからです。うちの子は小学生でした。当時はまだインターネットのコンテンツはそれほど多くはなく、子ども向けのサイトも少なかった。そんな時代でした。
ホームページを作るのも最初はホームページビルダーなどを使っていました。その後ソフトを変えたりしながら更新を重ね続ける中で、一応画面は普通に見えてはいますが、サイトのソースを見ると余計なタグが大量にできていて信じられないくらいぐちゃぐちゃになっていて、気にはなるものの、ページ数も多いし直すには時間がかかるし何年も放置していました(たまーに多少の手直しはしていましたが)。
スマホの時代になりレスポンシブ(端末が変わってもそれに合わせた見え方になる)にしないと見にくいけどとりあえずそのままでした。

とうとう1年ほど前から、娘が隙間時間を使って「いまむら文庫」のサイトのリニューアル(新しいテンプレートを使って置き換える)を手伝ってくれて、このたびようやく完了しました。長らく引き下げていた「おはなし」(絵のない)からもいくつかアップしました。httpからhttpsにもしました!(改行などまだ多少おかしなところは見つけ次第直していきます)

子育てがあったからできた「いまむら文庫」だと思っていますが、その子が大人になってサイトのリニューアルを手伝ってくれたというのは感慨深いものがあります。

私自身もいまむら文庫のお話を書いていた頃からはずいぶんと変化していますが、今読み直しても、伝えようとしたことがよみがえってきます。子どもたちへの思い、心の機微、音楽の持つ可能性など。
今は当時よりももっと色々なことについて深く考えるようになっている反面、この頃のようには書けないような気がします(年齢による適性が変わったためか、子育てから離れたためか、わかりません)。でも時間があれば続編を書きたいと思うお話もあります。今のところ、予定はありませんが。

そういえば、以前、いまむら文庫のお話のBGMに私の曲を入れた動画をYouTubeにアップしていました。

興味のある方は、またのぞいてみてください。