ストラヴィンスキーの『音楽の詩学』(未來社)の中の第2課「音楽現象について」の中に次のような記述があります。
「私は、それ自体として心地よく、耳を愛撫し、完全たりうる喜びを私たちにもたらす基礎的な音響、生の状態の音楽素材の存在を認めます。けれども、そうした受動的な快感の彼方に、私たちは、秩序づけ、活気づけ、創造する精神の操作に私たちを積極的に関与させる音楽を発見しに赴くのです。というのも、あらゆる創造の根源には、地上の糧に対する渇望ではない渇望が見出せるからです。そのようなわけで、自然のたまものに、策略―それこそが、芸術(アート)(技術)の一般的な意義です―の恩恵が加わります。」
(この中の「基礎的な音響」、「生の状態の音楽素材」とは前述している「木々をわたる微風のささやき」「小川のせせらぎ」「鳥の歌」などのことだと思います)
受動的な感動を得られる自然の音と、それとは別に意思をもって人が作り出す音楽(芸術)というものの違いを明確に表現した文章だなと思いました。翻訳されているから原文とのニュアンスの違いがどの程度かわかりませんが、簡潔でしっくりくる表現です。
月別アーカイブ: 2015年5月
京都・国際音楽学生フェスティバル2015
今日から始まった「京都・国際音楽学生フェスティバル2015」に行ってきました。毎年府民ホールアルティで行われていることは知っていましたが(今年で23年目だそう!)、特別気になることもなく行ったことはありませんでした。今年は今日の分のチケットをいただいたので、初めて行ってみることに。
今日は、ベルリン芸術大学の学生がチェロとピアノのアンサンブル、パリ国立高等音楽院の学生がヴィオラとピアノのアンサンブル、そして最後に両学校のピアノの連弾と、日本の音大生たちやシベリウス音楽院の学生も加わって弦楽アンサンブルが行われました。
ベルリンの2人はテクニック、オーラとそろっている感じでなかなかすごかったです。ピアノの響きのコントロールが素晴らしかった!
今日のプログラムの中で印象的だったのは、グラズノフの曲です。今までこの作曲家の作品は聴いたことなかったので、新鮮でした。
弦楽アンサンブルはレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲」でしたが、生演奏の弦のハーモニーに弱い私は始まるとさっそく涙目に。演奏自体とてもよかったですが、色々な国の学生が1つの音楽を奏でているという様子に、たいへん感動しました。彼らは何語でコミュニケーションをとっているか知りませんが(やはり英語かな?)、演奏は言葉はいらない。目と目で合図をすれば、あとはお互いの響きに耳をすませ、同じ音楽を感じる。音楽は素晴らしいなとあらためて思いました。
思っていた以上に楽しいコンサートで、明日以降のジュリアード音楽院やウィーン国立音楽大学などその他の音楽学校もそれぞれ違いがあってプログラムもバリエーションに富み興味そそられます。
今年は今日だけですが来年はもうちょっと聴いてみたいかなという気分です。
バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
自然を感じて
今日は大田神社のカキツバタを見て、またそこから近い深泥池まで行って自然を楽しんできました。いずれも歴史が長く、特に深泥池は氷河期以来の動植物が今も生き続けている!という自然豊かな場所です(深泥池といえば、おばけの話が有名で子どもの頃は怖く感じましたが(笑))。
上賀茂神社と大田神社の間にある、藤木社の樹齢500年のクスノキの存在感もすごいです。いつも巨木を見かけると、オーラを感じ、しげしげと眺め、ずっとそこに生き続けていることについて不思議な思いがします。何百年も周りでおこっていることをずーっと見てきてるんだなと思えたり。どうしてもただの木とは思えない(笑)。
ゆっくりと自然と向き合って、色々感じて、また創作などに生かせそうな気分です。