昨日、冬青庵能舞台へ源氏物語の語りと雅楽の演奏を聴きに行ってきました。
語りは山下智子さん。彼女は高校の同窓生です。
長い年月が流れたのち、偶然電車で山下さんに出会いました。その時に源氏物語の語りをしていることを知り、それから定期的に案内を送ってもらっていました。そのうち行こうと思いつつなかなか行けていませんでした。
今回行くにあたり、予習をしました。源氏物語の中の「紅葉賀(もみじのが)」という部分です。源氏物語は高校の古典でやりましたが内容を全く覚えておらず、何年か前にまとめ動画のようなものでざっくりとした流れを聞いたくらいであまり把握できておらず、また「紅葉賀」だけでは話の途中であり、人間関係とかそれ以前の背景がわからないから、改めて話の始めからの解説動画を聞きました。主に台所に立っている時のながら聞きですが、古典の先生らしき人(?)のその動画は30分くらいの長さのものが続きで30本以上もありました。
途中「紅葉賀」が出てきました。全部聞くのは時間かかりましたが、それらの動画は第一部で、まだ第二部、第三部とあるのですね。なんと長い話。
第一部の動画を聞き終わってから、青空文庫で与謝野晶子の訳による「紅葉賀」を読みました。それで、解説動画では語られていなかった細かい部分を知ることができました。
昨日聴いたのは、国文学者、中井和子さんによって訳された100年ほど前の京ことばによる源氏物語です。読んでいた与謝野晶子の訳とは違うし、他の訳とも違う。
実際聴いてみて、この、京都を舞台にした物語が京ことばで語られることの面白みを改めて感じました。声色も人物に合わせて変えて、表情豊かに語られる様子に聴き入り、見入りました。
山下さんはホームページで女房語りについて次のように述べています(京ことば源氏物語とは)。
平安期には、宮中に仕える身分の高い女官を女房と呼びました。紫式部も上東門院(一条天皇中宮彰子)に仕える女房でした。
京ことばは書き言葉ではなく話し言葉です。ですから原文を標準語化したときの地の文の朗読とはすこしニュアンスが違い、宮中に仕える女房が垣間見た出来事を問わず語りに語るという風情があるのです。
問わず語りとは、尋ねられていないのに自分から語ることです。
話し言葉を使うことにより、本を読む朗読ではなく、語っているという様子になる。
山下さんのこだわりが少しでも感じられた気がします。
今回、訳文まで読んだのは「紅葉賀」だけですが、読むことにより(わからないことは調べて)物語そのものが含んでいる多様な文化的価値に触れることができました。全部読めば、この物語が千年以上読み継がれ、世界で評価されている理由がもっとわかるかもしれません
ただ、なにせ長い話ですし、他の色々のことをしていると時間がなさそうです。また聴きに行く機会があれば、それに合わせてその部分を勉強することになるかなという感じです。
雅楽の演奏も楽しみにしていました。笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)の3人による演奏です。「紅葉賀」の中に出てくる「青海波(せいがいは)」という舞楽の曲や、語りのBGMなどを演奏されました。
解説もあり、それぞれの楽器の特徴や音色についてより理解できました。普段弾いたり聴いたりしている西洋音楽とは違う音楽であること、そちらが実は私たち日本人の音楽であるのだと思いつつ、その音色を感じ、その違いについて改めて考えました。
何でもネットで視聴できる時代ですが、やはり実際の体験は面白いですね。その場の空気を含め体全体で感じること、目の前で人が何かをしていることを直接見ることで感じられることは大きいし、そのことによって感受性も磨かれるのではと思っています。