認知症を重くしないために知っておきたいこと

ケアマネージャーをやっている友だちに聞きましたが、認知症の問題はより深刻になってきているようです。高齢者が増えるにつれ、認知症の人も増える。今は他人事でも、そのうち誰もが直面する可能性がある問題だと思います。

10年以上前、音楽療法関連の本を読んでいる時期があって、認知症について色々と書かれているのを目にしていました。そのことについて、当時のブログ(今はネットに上げていません)にも何度か書いています。今回、その中から誰もが知っておいた方がいいと思えることを書いた記事を、改めてのせようと思いました。

以下が今回ご紹介したい記事です(そのままコピーしました)。

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認知症を重くしないために知っておきたいこと

音楽療法については以前から気になっていて本を読みかけたこともありますが、選んだ何冊かの本が悪かったのかなんとなく違和感がありました。
でも、最近音楽で人のお役に立てることを模索している中で、音楽療法についてもう一度ちゃんと調べてみようと、また関連する本を読んでいます。

『認知症 ケアと予防の音楽療法』という本の中に大変大切なことが書かれています。
認知症とは病名ではなく、様々な原因により起こる症状の総称で、まず脳の器質的障害によっておこる「中核症状」(記憶障害・判断力低下・実行機能障害・失語・失行・失認など)があり、そこに別の要因が加わると二次的症状BPSD(認知症の行動・心理症状)が引きおこされます。

最初の中核症状に対し、周辺の理解不足で責めたり冷たくあしらったりすると、二次的症状に進んでしまうというのです。
BPSDの心理症状は不安・幻覚・妄想など、行動症状は攻撃的行為・不穏・徘徊などです。

中核症状が出たことは本人にとっても不本意なこと。自覚があればなおさら不安でたまらないはず。そのことを周りがどれだけ理解し、温かく受け入れるかがとっても重要だと思いました。
本の中で敬老思想の強い沖縄では認知症になってもBPSDに進行している人がいないという調査結果も報告されています。

何度も同じことを聞いたり、教えたことをすぐ忘れても、「さっきゆうたやん」「何べん聞くん?」といらいらせず、根気よく応対していくことが求められるのだと思います。家族は本当に大変だとは思いますがありのままのその人を受け入れることが安心感につながるのでしょう。

そのためにも認知症についての基本知識を広く共有することが必要ではないでしょうか?
これからさらに高齢化が進み、ある一定の割合で認知症の人も増えていくでしょう。完治する方法がない以上、いかに社会が認知症とつきあっていくかは放っておけないテーマだと思います。
そして音楽は普通の人が思っている以上に不思議な力がありそうですから、大いに活用したいですね。

DATE: 09/05/2011 23:56:45

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この記事では『認知症 ケアと予防の音楽療法』の出版社を記載していませんでしたが、春秋社です(佐々木和佳・伊志嶺 理沙・二俣 泉著)。

この記事で書きたかったことは、中核症状の段階でうまく対応できれば、重症化するのを遅らせたり、防いだりできるかもしれないということです。多くの人がイメージしていて恐れている認知症の症状はBPSDの方ではないかと思います。重症化しにくい方法を知っていれば本人も家族を含む周りの人も少しは助かるかもしれないと思いました。

ただ、わかっていたとしても、サポートする家族がいら立つ気持ちを抑えて冷静に対応するのは、実際はなかなか難しいことかもしれません。元々円満であればまだしも、実はあまり仲が良くない家族だとすると、より困難が伴うようです。

難しい問題ですが、何も知らず感情にまかせて対応するよりも、少しでも基本的な知識や情報を得ていた方がましではないかと思います。どのように対応すればいいか、具体的な例を挙げて説明した本もあります。

私は音楽で何ができるか、改めて考えています(少し前にもブログに書きました)。5月から京都音楽院の福祉音楽パートナー指導者養成コースも受講予定です。

また、音楽を使うにしても、結局「心」の問題だと思っています。心理学は以前から興味があり、4月から京都橘大学の心理学科で勉強しようと思っています。子供から高齢者まで全世代を対象にした発達心理学を履修します(通信です)。他、認知心理学や社会心理学なども興味ありますが、一度には時間的に無理だと思うのでとりあえず絞りました。

また発信できることが増えるのではと思っています。

ラ ソ ミ

3月に子育て講演会を依頼されており、そのための資料づくりをするため、以前読んだ本を読みなおしたりしています。

今回の資料に含むかわかりませんが、『音楽と認知』(波多野誼余夫/東京大学出版社)という本の中に書かれているちょっと気になることをご紹介します。
童謡や唱歌に出てくる音の並びで最も多いのが、「ラソミ」ということについてです。

ラソミが日本のわらべ唄の基本的な旋律構造である。

童謡や唱歌は、ヨナ抜き音階(長音階の4番目と7番目を抜いた音階、ひふみ(よ)いむ(な)、ドレミソラド)が多いことはよく知られていると思いますが、その中に含まれる3つの音の下降する旋律、ラソミが日本的な旋律ということです(全音音階の曲であっても多いということ)。

ドレミソラドという五音音階は、他の国の民謡やわらべ歌にも使われているけれど、このラソミが日本的な響きをかもし出しているのですね。

実際、ラソミが含まれる歌はどんなものがあるでしょう(音符の長さは無視して音だけならべてみました)。

 ・げんこつやまの、たぬきさん ~ ラララララシ、ラソミミミ

 ・ひらいた ひらいた(なんの花がひらいた) ~ ララソ ララソミ

 ・あんたがたどこさ ひごさ ひごどこさ ~ ミミミソラソラ シソラ シシラソミ

 ・とおりゃんせ とおりゃんせ ~ ララソ ララソミ

 ・かごめかごめ かごの中のとりーは ~ ララシラララ ララララソソララソミ

 ・てるてるぼうず てるぼうず ~ ラララララソ ラララソミ

 ・かもめのすいへいさん ~ ドミソラソミドミソ

 ・おさるのかごやだほいさっさ ~ ミファ♯ミレシレシソラソミ

 ・うみはひろいな ~ シラソミラソミ

 ・おほしさまきらきら(たなばた) ~ シシシレシラソソミ

 ・かきねのかきねの(たきび) ~ ソラソミラソミ

 ・ももたろさん、ももたろさん ~ ソラソソミ、ソソミドレ

京都の通り名の唄も

 ・まるたけえびずにおしおいけ(丸竹夷二押御池)~ ソソソソラソラソ ラソミミミ

このラソミだけを歌ってみてください。どう感じますか? なんとも不思議な旋律だと思いませんか? 浮遊感があるというか、どこにも着地しない感じ。

『シュタイナー教育の音と音楽』(吉良創/Gakken)に次のような記述があります。

わらべ歌の中に現れている下向きの四度の中に、日本人の魂のあり方の、何か大きな秘密があるように思います。

四度とはラからその下のミの音程のことです。この本でも、日本のわらべ歌には四度のインターバルが多く使われていると書かれています。

私も、このラソミに日本人の民族性が感じ取れるかもしれないと思ったりします。

西洋音楽の終止形に比べるとあいまいな感じ。精神性の違いが音楽に現れているのかもしれません。興味深いです。

音楽と心の関係については、これからも調べていきたいと思っているので、ラソミの謎についてもまた考えることがあるかもしれません。

(子育て講演会は、まん延防止等重点措置期間延長のため中止になるかもしれません)

音楽療法について改めて考えています

もう何年も前ですが、音楽療法について調べていた時期があります。高齢者の施設へ行って演奏を始めたのもきっかけだったと思います。音楽療法や音楽と脳の関係などの本を読んだり、音楽療法士に会って話を聞いたり、京都音楽院で行われた音楽療法の研究会のようなものにも参加しました。

音楽療法の目的はいくつかあると思いますが、音楽が脳にどのような影響を及ぼすのか、それがどのように人にとって良い効果があるのか、興味深い点がいくつかありました。

例えば、音楽を奏でるときは(歌も含め)脳の色々な部分が活動する、リズムは脳の運動に関わる部分を刺激する、海馬を刺激して「思い出す」ことに良い影響があるなど。

ただ、その後、音楽療法は誰にとっても効果があるのか、そのことが気になりだしました。

そう思うようになった理由の一つが、私が見た音楽療法の現場の動画です。
その動画は小学生か中学生の子が音楽療法を受けている様子でしたが、その子は電子ピアノの演奏が始まるとそれが気に入らないようで、やめてくれというジェスチャーをしたのです。それ以外の楽器(確か打楽器だったように記憶しています)についても、それほど興味があるようにも見えませんでした。私はその子にとって音楽や音楽によるセラピーが有効だろうか、と思いました。もしかして、音楽に興味がないならあまり意味がないのではと思えてしまいました。

自分が音楽をやっていて、音楽が好きであるからこそ、そうでない人とのギャップを感じることがこれまでも何度もありました。聴いている人より演奏している自分の方が盛り上がっているんじゃないかと思うこともしばしば(笑)。音楽にさほど興味がない、生活の中になくてもそれほど物足りないとも思わない、そういう人はけっこういるんじゃないでしょうか。音楽よりも好きなことがある、周りを見るとそんな人はいっぱいいるように思えます。そういう人たちが歳をとって何かしらセラピーが必要になった時、音楽は役にたつのだろうか?

そんなことを考えているうちに、音楽療法への関心は薄れていきました。

けれども、最近また改めて少し違う風に考えるようになりました。人の心理、無意識の中にあることなど、言語化できないものの大切さについてよく考えますが、それらと音楽のつながりについて興味がでてきました。まだ、ぼやっとしていますが、そこら辺を探っていくことと音楽療法的なことがどこかでつながるのではという気がしています。

万人に役立たなくても、音楽が好きな人、興味のある人のためにできることがあるのではと考えるようになりました。

そういうわけで、音楽による癒し、改善の力についてまた研究していこうと思っています。


久々にYouTubeに動画をアップしました

ブログに何度か書いているように、昨年は新しいマイクを何か月も待っていて、なかなか録音できませんでしたが、昨年末から録音を試していて、結局交換用マイクカプセル(無指向性)に取り換えず、元の指向性のまま録音しました。昨年3月にエンジニアさんにアドバイスに来ていただいて録った時は無指向性のカプセルをつけた方がよく聞こえたのですが、マイクの位置や角度によっても音は変わるし、なかなか思うようにはいかないものですね。

これまで私の再生リストのうち、Arrangement(編曲したもの)に選ぶ曲は著作権切れのものにしていました(実はところが「サンタが街にやってくる」は古い曲と思っていましたが著作権がありました。でも、調べたところとりあえずYouTubeでは大丈夫のようでした)。

今回改めて調べたところ、私はYouTubeパートナープログラムに参加していないので(参加条件を満たしていない)そもそも広告収入は得られませんが、参加していた場合、著作権のある曲では広告料が支払われないし、参加していない場合、広告料が著作権者に払われるということで、著作権のある曲も演奏できると確認できました。

というわけで、早速「Yesterday」を録音、アップしました。

これから、次のアルバムのための録音も始めますが、YouTube用にまた編曲ものも録音し、アップしていこうと思います。アルバム曲をYouTubeにアップするのはアルバムを出した後になるので、春以降になるかな?

2022年、始まりました。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

年末年始があわただしく過ぎ、すでに5日になりました。
ようやくいつも通りの生活が始まる感じです。

昨年末より新しいマイクで録音を試みていますが、30日くらいにマイクの位置がこの辺かなととりあえず定まった感じです。ピアノの録音は難しいなと改めて思ってます。また録りながら試行錯誤です。地道にやっていきます。

ミハイル・プレトニョフ

松田先生にミハイル・プレトニョフというピアニストを教えていただいて、YouTubeで見ています。彼はロシアのピアニストですが(プロフィールはこちら)、この方の弾き方が、私が今習っているロシアン奏法の弾き方に近いんじゃないかと思っています。
とても近づけませんが、無駄な動きのない手や体の使い方(それによって引き出される音色)を少しでも見習いたいものです。

確認してみると、以前ご紹介した『ロシアピアニズム』(大野眞嗣/yamaha music media)の中でもミハイル・プレトニョフが紹介されていました。

ロシアン奏法、ロシアピアニズム、流派などもあり少しずつ違うようですが、共通している部分があると思います。

習っていなければ、このような動画を見ても、具体的にどこをどうすればこうなるのか自分で発見するのは難しいですが、今教わっている内容のお手本のような部分が所々に見られ、勉強になります。

ロシアン奏法(ロシアピアニズム)の他の記事はこちら

ようやくマイクが来ました

9月に「マイクが来ない!」という記事を書いていましたが、その時には楽器店から11月納品予定という連絡を受けていました。ところが、11月になって今度は納期がまだわからないという連絡がありました。さすがに、注文から7か月以上たってるし、ちょっと他の店はどうだろうかと今更ながら調べてみると、売っている店があります。念のため問い合わせてみると、なんとすぐに送れるという回答。それで、いつ届くかわからない楽器店の分はキャンセルし、別の店で購入することになり、マイクはすぐに送られてきました。

これで、ようやくと思ったのですが、また問題が発生。

実は、この録音マイクは単一指向性(マイクが向いている方向の音を主に拾う)で、3月に録音アドバイスを受けた時に、これに交換用マイクカプセル(無指向性)をつけ部屋全体の音を拾った方がいい感じに録れたので、それも最初にマイク(2本)を注文した時に一緒に2個注文しました。

交換用マイクカプセル は在庫があったので、すぐに送ってきていました。でも、マイクがなかなか来ないので開けずにおいていました。そして、最悪マイクが来ない(輸入できない?)場合は交換用マイクカプセルを返品できるという確認をとりました(5月ごろ)。

それから、月日がたち11月になり、先日他店よりマイクが届いた後に、ようやく交換用マイクカプセルの箱を開けました。段ボールの中に小さな缶が二つ入っていて、一つずつ開けてみると、なんと一つの缶は空でした!

それで、買った店(最初にマイクを注文していた店)に、一つの箱が空であったから一つ送ってほしいと連絡すると、もう時間がたちすぎて対応できないということなのです。

確かに時間はたっていますが、それはマイクが来ないからという特殊な事情があったし(そのマイクが手に入らなければ結局使えない)、5月には特別な事情のため返品も可能だと聞いていました。けれどそれも5月時点の話で無理ということでした。

納得いかないけれど対応してくれないなら仕方ない。そこで、改めてまたマイクを買った店のサイトを見るとその商品は取り寄せになっている。やはり、商品そのものがないのかなと問い合わせてみると、すぐに取り寄せが可能だとわかり、即注文。そして、すぐに送られてきました。ようやく、これで必要なものが揃いました。

あとは、録音ですが、また試し録りや曲の見直しやらでアルバム完成まではまだ時間がかかるでしょう。まずはYouTube用に録ろうかなと考えています。

アーティストはそればかりしていなければならない?

だいぶ前になりますが、ある有名な現代アートのアーティストが、誰かに「画家は他のことはせず絵を描いていればいい」というようなことを言われて、画家であるというのは自分の中のひとつの側面にすぎないと怒ってしまって、その人をブロックしたというツイートをたまたま見かけました。

似たような感じで、ミュージシャンは政治の話をするな(しているのを聞いてがっかりした)、音楽に政治を持ち込むな、などと言われて反論している人を見かけることも時々あります。

なぜ「他のことをするな」と言うのか、考えてみると、それはその人のある人に対するイメージを壊したくないという願望や、それらしくあるべきという思い込みによるのだと推測します。

アーティストでもミュージシャンでも誰でも、まずは人間なので、色々なことを思ったり、または別のことをしたいと思ったりするのも自然なことで、彼らにしてみれば、なぜそればっかりやっていろと言われなければならないのか、そんなこと言われる筋合いもないし、全く納得のいかないことでしょう。

ところで、ユング心理学に「ペルソナ」という概念があり、人には他人にそれらしさを求めたり、また、それらしく振舞おうとする普遍的な心理があるようです。

ペルソナについて『無意識の構造』(河合隼雄/中央公論新社)の中で次のように書かれています。

ペルソナというのは、 古典劇において役者が用いた仮面のことである。人間がこの世に生きてゆくためには、外界と調和してゆくための、その人の役割にふさわしい在り方を身につけていなくてはならない。外的環境は個人に対して、いろいろな期待や要請をなし、その人はそれに応じて行動しなくてはならない。教師は教師らしく、あるいは、父親は父親らしく行動することが期待されている。いわば、人間は外界に向けて見せるべき自分の仮面を必要とするわけであり、それが、ユングの言うペルソナなのである。

ペルソナによって起こりえる問題というのは、自分が外に向かってそれらしくあろうとするあまり、本当の自分というものを置き去りにしてしまうことのようです。またその逆も問題であるようですが。

前述のアーティストような人は、ペルソナにとらわれすぎず、内面の声にも耳を傾けバランスをとられているということではないでしょうか。

人にそれらしさを求めたり、または、それらしく振舞おうとする心理は無意識に働いているのだろうと認識した上で、そればかりしていても、していなくても、どちらにしてもそれは個人の生き方であるから、尊重し合えるといいなと思います。

マイクが来ない!

3月にエンジニアさんに録音のアドバイスを受け、新しい録音マイク選びもし、その後楽器店で注文しましたが、納期が延びに延び、9月ということでしたが、また連絡があって11月になるということです。これまで何かを注文してこんなに待ったことはありません!

今の選択肢は、11月まで待つか、別のマイクにするかのどちらか。録音は別にいつまでにというのはありませんが、もうずいぶん間が空いてしまっているしそろそろ待つのはやめようかなとも思います。

けれど、せっかく録り比べをして選んだし、使ったことないのは不安だし(選ぶとするなら相談しますが)、やはり選んだマイクがいいなというのと、3月からロシアン奏法を学んでいるので、まだ弾き方も移行中なところもあります。全く変わるわけではないのですが、やはり私の弾き方のベースになっているのはドイツ奏法だし(日本で主流な)、違う部分が大きい。もう少し奏法が安定してからの方がいいかもとも思います。けれど、それはいつになるやら。

マイクはオーストラリア製(RODE)です。オーストラリアはコロナ禍になってから厳しい規制を行っており、何か経済活動の方に支障がでているのだろうかと思ったり、また半導体が不足しているせいではないかという噂を小耳にはさんだり。

とりあえず迷っていて、とても優柔不断な心境になっています(汗)。