下鴨つどいの広場こがも(2025.1.14)

下鴨つどいの広場こがもへ行ってきました。
いつものように、お母さんたちと色々な話をしたり、幼児さんたちと遊んたり楽しいひとときを過ごしました。
途中、成り行きでお母さん、お子さん、スタッフ全員で様々な打楽器を鳴らしましたが、なにかの儀式のような不思議な雰囲気が漂って、それがおかしくてみんなで大笑いしたのでした。

行き帰りに鴨川の季節の変化を見るのも楽しみです。



2025年の始めに

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

音楽について最近のことを少し書くと、なるべく皆さんが知っている曲をレパートリーにしていったり、アレンジしたりという感じです。
録音は家に一人という状況でかつ家中のエアコンを切らなければならないので(本体と室外機の音がするので)、特に夏冬はなかなかできません。春ごろになればまた録音しやすくなるかもしれません。

皆さんがよく知っている曲とは違いますが、キースジャレットのピアノソロ譜面を写譜して弾いています。以前よりも色々と発見があって面白いし参考になります。ジャズとクラシック(多声部)の両方の要素を取り入れているところが興味深い。

昨年12月から、TuneCoreなど経由の音楽配信は更新のタイミングでやめていっています。今のところ全部やめる予定です。ですから、Apple Music や Spotify 等々での配信はなくなります。今後はYouTubeやbandcampなど自分で管理できるプラットフォームでの配信に絞るつもりです。

配信を減らしたり、録音もなかなかできずという状況ですが、私自身の音楽への向き合い方はより落ち着いて、充実しています。

今年も音楽活動や演奏は求められる場所でやらせていただきたいですが、子育て支援の場などでもお手伝いを続けていきたいです。

歌う子ども 2

孫のNちゃんは来月2歳になりますが、最近では何曲かよく歌います。部分的で言葉や曲の構成はあやふやですが、音程はわりと正確で、何を歌っているのかはわかります。

例えば、星の形を見ると、「きらきら~」ときらきら星を歌います。また、唐突にカエルの歌、ぞうさん、チューリップなどを歌います。

もちろん、一緒にも歌います。その時は自分が歌えない部分を一生懸命まねしようとします。一緒に歌うことを通して、歌を覚えていっているのだと思います。

それで最近またイエ―デのこの言葉を繰り返し読んで、しみじみとしています。

子どもは、喜びの気持ちを歌にする

子どもの歌には、両親や兄弟と共に歌う喜びや安心感がそのままあらわれる

子どもの歌は、幸せな「生」の表現としての創造活動であるとイェーデは捉えている

『フリッツ・イェ―デの音楽教育ー「生」と音楽の結びつくところ』(小山英恵著/京都大学学術出版会)より

こんな小さな子が自発的に歌っている様子は、不思議であるし、また幸せの象徴のように感じます。

大人の歌いかけは意味があるという話は以前イベントでもしていますが、それを強く実感しているところです。

歌う子ども

下鴨つどいの広場こがものクリスマス会

今日は下鴨つどいの広場こがものクリスマス会でした。
午前と午後、同じ内容で2回の開催です。
いつもは、遊んだりおしゃべりしたりして過ごしますが、クリスマス会ではクリスマスの歌を歌ったり、クリスマスの絵本の読み聞かせをしたりしました。

私はピアノで伴奏をしたり、BGMなどを弾きました。
子どもたちと親御さんたちは鈴、マラカス、タンバリンなどを鳴らしながら歌ってくれました。
私の後ろで歌っていた担当職員さんがとてもいい声で歌われているので、感想を伝えると、なんと声楽出身ということ。
それで、昼の休憩時間にバッハのプレリュードを伴奏に、グノーのアヴェ・マリアを歌ってもらい、思わぬセッションもできました。

BGMの中で手遊び歌を弾いた時にはそれに合わせて手遊びしたり歌ったりしている親子もいらっしゃったし、音楽会も楽しかったので、また今後の広場で音楽を少し取り入れていこうかという話になっています。楽しみです。

朱六キッズパーク クリスマス会

今日は、朱六小学校で朱六キッズパークのクリスマス会がありました。
生後2か月の赤ちゃん!から2歳児さんまで多くの親子でにぎわいました。

キッズパークは毎月乳幼児親子が集う場所ですが、クリスマスイベントでは、これまでも何度かピアノを弾きに行っています。毎月私が行っているじゅらく児童館の職員さんが、朱六キッズパークも担当されているので、その関係でご依頼をいただいています。
キッズパークではいつも民生委員さんも数名いらっしゃいます。

今日のプログラムは以下のとおりです。

(歌)
・ジングルベル
・赤鼻のトナカイ
・サンタが街にやってくる
・とんとんとんとんサンタさん(手遊び)
・グーチョキパーでクリスマス(手遊び)
・あわてんぼうのサンタクロース
・もろびとこぞりて

(演奏)
・ビビディ・バビディ・ブー
・星に願いを
・クリスマスソングメドレー
・アメイジング・グレイス
・きらきら星変奏曲

(パネルシアター:もりの詩保育園)
・あわてんぼうのサンタクロース

(ジングルベルは参考にした楽譜がありますが、それ以外の伴奏・演奏の編曲:私)

皆さんよく歌ってくださいました。けっこう盛り上がっていたと思います。やはり、たくさんの歌声が聞こえると弾いていてとても楽しいです。担当の職員さんは歌っていると暑くなってきたと上着を脱がれていました(笑)。
演奏タイムも知っている歌があれば歌ってくださいね、と声かけをすると歌ってくださっている方がちらほらいらっしゃって、うれしかったです。弾き手と聴き手が一緒に音楽を奏でることは素晴らしいことだと前から思っています。

ピアノに合わせてあそぼう(2024.12.9)

今日はじゅらく児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」の日でした。
今日は1歳児さんばかりでした。

プログラムは以下のとおり。

・自己紹介(お子さんの紹介とお子さんの好きな歌)

・おはようのうた

(季節の歌)
・きらきら星
・赤鼻のトナカイ

(手あそび)
・手をたたきましょう
・ころころたまご
・りんごがころころ

(ふれあいあそび)
・おんまはみんな

(今月の歌)
・ジングルベル

(歌に合わせて動きましょう)
・サンタが街にやってくる
・あわてんぼうのサンタクロース

(演奏)
・クリスマスソングメドレー(編曲:私)
・星の世界(編曲:私)

「赤鼻のトナカイ」は毎年12月歌いますが、ところでトナカイって見たことありますか?と質問するとやはり誰も見たことなく、どこへ行けばみれるのかな?とみんな首をかしげていました。
聞いておいて私も知らないので、先ほど検索してみると、トナカイは地球の一番北に棲むシカ科の動物だそうですが、日本では北海道の幌延町のトナカイ観光牧場というところにいるそうです。トナカイはおとなしく、人なつっこいそうです。

一休さん

昨日は京田辺市にある酬恩庵一休寺へ行ってきました。
このお寺は近鉄新田辺駅から徒歩で西へ約25分のところあります。
参道の紅葉が美しいと評判だったのを期待して行きましたが、案の定、入り口の門をくぐった先に見える参道のもみじを撮りたい人たちが参道の手前に控えていて、そこだけ妙に人が集まっていました(全体としてはそれほど混んでいませんでした)。
なので、そこで写真を撮るのはあきらめて、境内を散策しました。思っていた以上に大きなお寺で、もみじもたくさん見られました。

一休さんといえば子どもの頃、アニメで親しんでいましたが、一休宗純という禅僧です。
方丈に一休禅師木像が安置してありますが、それとは別にアニメを思い出させるような少年の頃の一休さんの像が庭にありました。
池のほとりに小さな橋があり、「このはしわたるべからず」の立て札がありました。
また、庫裏には虎の屏風があり、子どもの頃から知っているネタがちらほら(笑)。

それで昨日から、一休さんのアニメソングがずっと頭に流れていて困っています(笑)。
他にもありますが、子どもの頃に歌っていた童謡やアニメソングや流行りの歌などは普段忘れていても何かの拍子にふと思い出します。どんな映像だったか覚えていないものでも歌は覚えています。音楽の記憶ってすごいなと実感します。

下鴨つどいの広場(2024.12.3)

下鴨つどいの広場の「乳幼児親子のつどいの広場」へ行ってきました。
10月から月に2回行っていますが、今日来られていた親子は何度かお会いしたことある方たちでした。

孫の相手をしていていつも思うのが、子どもってひたすら休みなく遊んでいるということです(その相手を要求されるからこちらも休みなしです)。

今日来ていた子たちも、1歳前の子はおもちゃや何かを持ったり振ったり触ったり、ハイハイしたり立ってみたりをずっと繰り返しているし、2歳前の子は楽器を鳴らしたり、ままごとしたり、また楽器を鳴らしたりと休みはない。

子どもの遊びは学びであるということですが、大人から見れば何をしているのかな?ということも全て、感じたり、こうすればこうなると学習したり意味のあることなのですね。

今日は保育士を目指している大学生も来られていて、保育士試験の話などをしました。

次回はクリスマス会のお手伝いでピアノを弾く予定です。

山の辺の道・長岳寺

最近のウォーキング(夫と)は、滋賀や奈良へも出かけています。

昨日は奈良の山の辺の道を歩いてきました。山の辺の道はガイドブックによれば、大和を囲む東の山麓を伝う道で『古事記』や『日本書紀』にも記されている古い道だそうです。

天理から桜井の間を歩くと16kmで(さらに山の辺の道北コース12kmもある)、そんなたくさん歩く自信がないので、一部を歩きました。紅葉がきれいだという長岳寺周辺にすることにしました。JR万葉まほろば線の柳本駅で降り、長岳寺に行き、山の辺の道を通って隣の長柄駅まで行くというコースです。

長岳寺に向かう途中住宅街の間から突然大きな古墳が見えました。黒塚古墳です。この辺りは古墳があちこちにあります(天理市には1600基!の古墳があるそうです)。黒塚古墳は小高い丘のようになっていて上まで上がることができました。

長岳寺は824年、弘法大師により創建されたそうです。真っ赤な紅葉が見ごろでした。

長岳寺の横のトレイルセンターとその近くで里芋と生のピーナッツを買いました。山の辺の道では色々農作物も売っていることは事前に知っていて、ちょっと期待していました。

それから、山の辺の道を進んで行きました。途中でまた無人販売所があり、柿を買いました。3つで100円! 道沿いには柿畑、みかん畑などがたくさんありました。

山の辺の道で期待していた風景にも出会いました。

3年前の年末にも、奈良で見たい景色を求めて旅行しました。イメージは万葉集です。
山の辺の道には今回行けなかった所にまだ万葉集を感じられる場所がありそうなので、改めて行くつもりです。

3年前の奈良旅行の記録をブログにアップしていたつもりでしたが、ここにはあげてなかったようなので、この後に貼っておきます(わりと盛りだくさんです)。
久々に読んでみると、あまり覚えていないこともあり、色々と調べていたことを思い出しました。
寒かったことが一番記憶に残っています(笑)。

奈良へ

先日、久々に奈良へ行ってきました。
実は少し前から奈良に対してこれまでとは違う関心を持ち始めていて、それで改めて行ってみることにしました。

奈良にはまだ行ったことがない場所がたくさんあります。地図を改めて見ると知らない所がたくさん。これまでたまに行くのは奈良公園周辺が多かったですが、今回は行ったことないエリアへ足を延ばすことにしました。

そう思ったきっかけの一つは「万葉集」
昔の人が歌を詠んだ、その場所に行ってみて自分は何を感じるか体験してみたい。

以前、図書館で万葉集の本(別冊太陽 万葉集入門)を借りて読んだとき、現代人も昔の人も「心」のありようは変わらないのではと感じました。なので自分もその場に立てば、昔の人の気持ちに共感できるかもしれない。そのことがとても興味深く思えました。

(バックナンバーは売っていなかったので、古本を購入しました)

行先は奈良に着いてから決めました。まずは明日香村へ。奈良の中心地から南へ車で約1時間ほど(だったと思います)。

甘樫丘(あまかしのおか)から北側に、万葉集に詠われた大和三山(香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま))が眺められることがわかり登ってみることにしました。

(右端が香具山、その左の小さい山が耳成山)

(右端が耳成山、左端が畝傍山。3つ同じ写真に納まらなかった)

建物や道路など当然昔とは違うけれど、山々などの地形やスケール感などは変わらないでしょう。いい眺め。

春過ぎて 夏来(きた)るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山
(春が過ぎて夏がやってきたらしい。真っ白な衣が干してある。天の香具山よ)
持統天皇
「別冊太陽 万葉集入門」より

これは百人一首にも選ばれている有名な歌ですが、百人一首では
「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」
と少し違っています。

大和三山が出てくる歌は他にもあります。大化の改新の中大兄皇子は大和三山を擬人化した歌を詠んでいます。盆地の中にこぶのように盛り上がったこの三つの山は、印象的で想像力を刺激する魅力があるように感じました。

甘樫丘から南の眺めもなかなかいい雰囲気でした。

丘の上に登ったり降りたりする間、地元の子供たち(小学生くらい?)にたくさん出会いました。息を切らせて走っている子たちもいました。「こんにちは」と挨拶してくれる子たちも! 子供は元気やなあと夫と言いながら微笑ましくその姿を眺めていました。

甘樫丘を降りた後、近くの道の駅へ。柿の葉寿司などを買って食べた後、隣の明日香村埋蔵文化財展示室に寄りました。親切なガイドさんの説明もあり明日香村に様々な歴史の痕跡があることを知り、短い滞在ではとても回れないことがわかりました。

その後、そこから南東へ。前から見たかった石舞台古墳へ向かいました。

でかい! 高さ3~5mくらいでしょうか?

地下もあります。

巨岩!

明日香村観光マップによると、石舞台古墳は蘇我馬子の墓と伝えられる日本最大級の方墳で、使用されている30数個の岩の総重量は約2,300トン!(ピンときません)
明日香村埋蔵文化財展示室に、巨岩を木に載せて多くの人が引っ張っている様子の絵があり、そうやって運んでいたんだと思いましたが、どうやって積んだのか? 昔の人、重機もないのにすごすぎます。

明日香村にはその他にも巨岩がいくつかあるのですが、そのうちの一つ酒船石というのを見に行きました。その近くに亀形石造物というのもありますが、入場時間が終わってて入れませんでした。

何かミステリアスな雰囲気の階段を登っていく。
竹藪を奥に進んでいくと巨岩が横たわっていました。

人工的に彫られた跡が残っている。酒船石という名前は、酒造りに用いられたと伝えられているところからきているということですが、用途は未だ不明ということです。

謎めいた竹藪の外は、このようなのどかな景色。ここを右に行くと飛鳥寺(日本最古の本格的仏教寺院だそうです)ですが、あまりに体が冷えたのでこの日の屋外活動はこれで終了。宿泊先の奈良公園近くのホテルへ向かいました。

次の日、やはりせっかく奈良公園の近くに泊まったのだから、鹿は見ていきたい。その日も0度くらいで寒かったけど、奈良公園へ。

みんなひたすら草(?)食べてる。

かわいい。

奈良公園には囲いがなく、鹿が自由に動き回っていてる。こんな場所はなかなかないと改めて思う(あとは宮島くらい?)。もっと見ていたかったけど寒すぎて、奈良公園横のスタバに暖を取りに。

荒削り。

お茶を飲んだ後、大宇陀へ向かうことに。万葉集に詠まれた風景が見られるのではと前から気になっていた場所です。当日行くことに決めたのですが、改めてガイドブックを見て、万葉時代からの薬草の里であることを知りました。奈良公園から、前日行った明日香村と同じくらいの距離を南東へ。明日香村より東になります。

大宇陀の道の駅でお昼を済ませ、まずは見晴らしの良さそうな、かぎろひの丘万葉公園へ行くことに。そこには、柿本人麻呂の歌碑が立っているらしい。地図とナビを見ながら目的地へ向かいますがなかなか行きつけない。
馬に人が乗った銅像がある公園があり、これかと思ったけど、そこは阿騎野(あきの。大宇陀の古代の呼び名)・人麻呂公園でした(馬に乗っていたのは柿本人麻呂)。寒すぎてそこはそそくさと切り上げる。
かぎろひの丘を探し、そのまま人麻呂公園の横の道を進んでいくと山が近づいてくる。山には雪がうっすら積もっている。道理で寒いわけだ。竜門岳という山らしい。

もう一度よく地図を見て引き返し、人麻呂公園に行く道とは違うもう一方の細い道へ入っていく。わかりにくかったけどようやく、かぎろひの丘の駐車場を見つける。駐車場の横の丸太の階段を上がっていく。

そして、丘の上に登ると、ありました。例の歌碑が。

「ひむかしの野にかぎろひの立つみえてかへりみすれば月かたぶきぬ」

現代語訳を検索してみました。

東方の野に日の出前の光が射し始めるのが見えて、後ろを振り返って(西の方角を)見てみると、月が傾いていた。(マナペディア

解説のサイトは色々あって、現代語訳は微妙に違いますが大体こんな意味ですね。

「かぎろひ」というのは、ガイドブック(楽楽 奈良・大和路)によると

諸説があるが、厳冬のよく晴れた早朝、日の出1時間ほど前の東の空に現れる光で、朝焼けとは違うと考えられている。

こんな限定的な情景を表す言葉があったんですね。柿本人麻呂はこの場所でこの歌を詠んだそうです。しみじみ。

大宇陀は薬草の里ということでしたが、鹿の角も昔から薬として使われていたことが記されていました。鹿茸(ろくじょう)という漢方薬で今もあります。

体が芯から冷え、もう限界だと思いながら、かぎろひの丘を降りました。

近くには森野旧薬園(江戸時代に創設された現存最古の薬草園)がありましたが、駐車場がないようなのであきらめ、また宇陀市歴史文化館「薬の館」は閉館していたためあきらめました。もう少し暖かければ散策もできたかもしれないけれど、今回はこれで引き返すことにしました。

帰り道、桜井のある場所を走っているとこんもりと木が生い茂っている場所があり、もしかして古墳?と思って見ると、鳥居があり、しばらく走ると説明の看板があり、やはり古墳でした。

調べると「箸墓古墳」でした。宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に指定されているそうですが、卑弥呼の墓という説もあるそうです。ちょっとわくわくします。

写真は古墳の茂みの一部です。前方後円墳だそうです。


今回の観光はここまで。京都へ。

あまり多くの場所ヘは行けませんでしたが、知らなかった奈良の魅力に少し触れられて良かった。謎が多くてますます好奇心がそそられました。万葉集に詠まれた場所を含めまだまだ行ってみたい所があります。

古都でも、奈良と京都はかなり違うということを改めて感じました。また暖かい時期に出直したいです。

(2022.1.1)

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大津絵

大津絵をご存知でしょうか?
大津絵美術館(大本山圓満院)のサイトには次のように書かれています(抜粋)。

大津絵とは、今からおよそ340年昔(江戸初期)、東海道五十三次の大津の宿場(大津の追分、大谷)で軒を並べ、街道を行き交う旅人等に縁起物として神仏画を描き売ったのがその始まりです。

名も無き画工たちが書き始めたのが始まりで、その多くの絵柄は風刺、教訓の意味を持っています。

実は先日、週末のウォーキングで大津まで行って成り行きで寄った大津市歴史博物館で大津絵を見ました。その近くの圓満院に大津絵美術館があるのは帰ってから知りました。

この博物館には琵琶湖周辺の歴史や近江大津宮、滋賀にゆかりのある紫式部や源氏物語にまつわる展示などがありました。最近、大津の辺りを歩いてその地域の歴史のことを学んだりしているので、どの展示も興味深く面白かったですが、特に大津絵は印象に残りました。

展示物のところに大津絵は民藝運動の柳宗悦もその価値を評価していたという説明があり、なるほどと思いました。柳宗悦は無名の職人たちによる日用品などの芸術性を「用の美」として評価していた人ですが、大津絵にも共通点があると思えます。

特に面白いと感じたのは「鬼の念仏」(画題の一つ。他にも「藤娘」など)です。描かれているのは僧侶の格好をした鬼ですが、偽善を風刺しているようです。外見と内面のギャップを僧侶と鬼で表しているのです。なんだか憎めない感じの鬼たちですが。

機会があれば、大津絵美術館にも行って改めて見てみたいです。