久々のピティナステップ

今日は久々にピティナのステップに参加してきました。実に7年ぶりです。それ以前も何年か、参加するのは京都修学院(アトリエ松田)だけになっていましたが、この会場も2~3年ほどはコロナのために開催されていなかったようです。
しばらく出ていなかったのは、オリジナル曲の作成と録音をやり始めたからだったと思いますが、松田先生の所へ来させていただているうちに(ロシアン奏法を学びます)、また出てみようかという気持ちになりました。

弾いたのはメンデルスゾーンの無言歌集から、「瞑想」(Op.30-1)「ヴェニスのゴンドラの歌」(Op.30-6)、「岸辺にて」(Op.53-1)の3曲。無言歌集は他にも好きな曲がありますが、出ると決めたのも2か月ほど前だったのでとりあえずの選曲となりました。

わりと無難な選曲をしたつもりですが、この3曲のうち「瞑想」がかなりポリフォニックで特にエンディングに近づくあたりは弾き分けしにくいところがあり、けっこうてこずっていました。「岸辺にて」は同じようなパターンが繰り返されるので、単調にならないような工夫が必要でした。
とりあえず、まあまあ落ち着いて弾けたのでよかったかな。

私の出たのは最終の部だったので、終わった後、以前何度か一緒に出演して知っている人やその他聴きに来られていた人たちなどと歓談しました。
アトリエ松田はとてもアットホームでなごやかな雰囲気があります。松田先生のおおらかなお人柄とも相まってか、打ち解けた雰囲気になりやすいのだと思います。
レッスンで弾かせていただいている場所ですが、やはりコンサートになるといつもと違った雰囲気になります。暗くなって照明が灯ると、昼間とはまた違った魅力が感じられる空間です。この雰囲気が好きと思える人たちとはどこか、共感できる感性があるのかもしれません。

来年はどうなるか。とりあえず、やろうとしてることが山ほどあるのでまた考え考えやっていくのでしょう。

(夫に写真を頼んだのですが、後ろの方から撮ったため人がたくさん写ってしまって、その部分を切りとったらこんな感じになりました。何をしている写真かわからない(笑))

「いまむら文庫」について

はっきりした期間は記憶があいまいなのですが、大体2000年くらいから2005年くらいの間に、夫と「いまむら文庫」というサイトでweb絵本を作っていました。私が物語を書き、夫が絵を描きました。
これもはっきりしたきっかけは覚えていないのですが、当時、自分の子育ての中で感じたり考えたりしたことから色々な物語が生まれてきました。

うちの娘が生後半年から6歳ごろまでは、夫の転勤で岡山にいました(当時は夫は会社勤めでした)。その間住んでいた賃貸マンションには多くの子育て世代の人たちがいて、子どもたちは毎日毎日、お互いの家を行き来したり、マンション前の駐車場で遊んでいました。その様子を見ながらとても微笑ましく思っていました。遊びの中で自主性や創造性や社会性や協調性など多くを学んでいる、よしよしと。その子どもたちの生き生きした様子も後の創作の源になりました。

いまむら文庫を始めたのは、岡山から関西(最初は大阪に)に戻ってきて何年かしてからです。うちの子は小学生でした。当時はまだインターネットのコンテンツはそれほど多くはなく、子ども向けのサイトも少なかった。そんな時代でした。
ホームページを作るのも最初はホームページビルダーなどを使っていました。その後ソフトを変えたりしながら更新を重ね続ける中で、一応画面は普通に見えてはいますが、サイトのソースを見ると余計なタグが大量にできていて信じられないくらいぐちゃぐちゃになっていて、気にはなるものの、ページ数も多いし直すには時間がかかるし何年も放置していました(たまーに多少の手直しはしていましたが)。
スマホの時代になりレスポンシブ(端末が変わってもそれに合わせた見え方になる)にしないと見にくいけどとりあえずそのままでした。

とうとう1年ほど前から、娘が隙間時間を使って「いまむら文庫」のサイトのリニューアル(新しいテンプレートを使って置き換える)を手伝ってくれて、このたびようやく完了しました。長らく引き下げていた「おはなし」(絵のない)からもいくつかアップしました。httpからhttpsにもしました!(改行などまだ多少おかしなところは見つけ次第直していきます)

子育てがあったからできた「いまむら文庫」だと思っていますが、その子が大人になってサイトのリニューアルを手伝ってくれたというのは感慨深いものがあります。

私自身もいまむら文庫のお話を書いていた頃からはずいぶんと変化していますが、今読み直しても、伝えようとしたことがよみがえってきます。子どもたちへの思い、心の機微、音楽の持つ可能性など。
今は当時よりももっと色々なことについて深く考えるようになっている反面、この頃のようには書けないような気がします(年齢による適性が変わったためか、子育てから離れたためか、わかりません)。でも時間があれば続編を書きたいと思うお話もあります。今のところ、予定はありませんが。

そういえば、以前、いまむら文庫のお話のBGMに私の曲を入れた動画をYouTubeにアップしていました。

興味のある方は、またのぞいてみてください。

メンデルスゾーンの本

メンデルスゾーンの無言歌集に好きな曲が何曲かあり、今は3曲練習もしています。メンデルスゾーンについて書かれた本を前から探していますがあまり種類がありません。音楽之友社が出している「作曲家・人と作品シリーズ」にも今のところありません(出るのを期待しています)。図書館で検索してもあまりなく、とりあえず『メンデルスゾーンの音符たち』(音楽之友社)という本を借りてみました。

この「音符たち」シリーズがあるのは前から知っていましたが、2年に渡って『音楽の友』誌で連載されていて書籍化されたものです。メンデルスゾーンでこのシリーズは終了したということです。

これまで色々な作曲家の本を読んでいますが、伝記的なものが多く、彼らがどのように音楽に向き合っていたのか、どんな人生を送ったのか、人として興味があります。
『メンデルスゾーンの音符たち』は作品ごとの解説のような本です。ですから、メンデルスゾーンがどのような人だったのか、あまりわからないようです。とりあえず無言歌集のところを読みましたが残念ながら7ページだけです。取り上げられている作品はごく一部。ページ数などの制約もあったように書かれています。

まず「はじめに」では著者の池辺晋一郎さんはメンデルスゾーンを絶賛しています。

メンデルスゾーンはまちがいなく、音楽史上屈指の天才だ。しかも、極めて正統的な天才である。和声法、対位法、フーガや管弦楽法……エクリチュール(書法)に関する技術の高さはバッハに比肩できると言って過言でない。

その割には、他のメジャーな作曲家に比べるとそれほどその作品を知られていないと思います。派手さがないから?? 正統すぎるから??

7ページと少ない中にも、興味深いことが書かれています。

この曲集は6曲ずつの8巻で合計48曲。最初の巻から最後の巻(死後刊)までは20年以上の期間があります。全部で48曲ということはバッハの平均律クラヴィーア曲集のようにすべての調性で作られているのかと言えば、そうではない。それどころか、♯、♭は4つまでの調でおさえられている。
少し驚いたのは、この48曲中メンデルスゾーン自らがタイトルをつけたのは5曲のみだったということ。それは、3曲の『ヴェニスの舟歌』(Op19-6, 30-6, 62-5)、『デュエット』(Op38-6)、『民謡』(Op53-5)ということです。おそらく無言歌集の中で一番有名な『春の歌』も別の人がつけたのですね。

この本で取り上げられた無言歌は3曲の『ヴェニスの舟歌』と、『春の歌』(Op62-6)、『紡ぎ歌』(Op67-4)です。たまたま今弾いている舟歌が入っているというのは運がいい!
解説を読んで曲の中に仕掛けられた伏線のようなものに気づかされました。

無言歌集の曲を特に弾きたくなったのはわりと最近ですが、以前読んだ本で無言歌について言及されていたことがずっと印象に残っています。
その本は、『ある「完全な音楽家」の肖像』(―マダム・ピュイグ=ロジェが日本に遺したもの)です。2011年、その頃書いていたブログでアンリエット・ピュイグ=ロジェの言葉を紹介しています。

「全体に、ことさら難しいものを求め、やさしいものを馬鹿にする傾向があるのではないでしょうか。技術的に難しい曲が、かならずしも音楽的にすぐれたものとはかぎらないのですが……。たとえば、ピアノ曲のレパートリーの中でもとくに難しい作品を弾きこなす学生が、メンデルスゾーンの《無言歌》やフォーレの作品など、技術は中程度の難しさで、自身の人間性を最も発揮しなければならない曲になると、どう弾いていいか困ってしまう。全体にアクロバティックなパフォーマンスが重視される傾向にあるのは、悲しむべきことで、胸が痛みます」

なるほど、無言歌はそういう難しさがあるのだと当時改めて思いました。豊かな表現力を求められるような曲は若いころよりも年を重ねた方がより深みがでそうです。
無言歌集の曲はポリフォニックな曲が多く、声部を弾き分ける難しさというのもあります。メンデルスゾーンはバッハのマタイ受難曲を世の中に知らしめた人です。やはりバッハに強く影響を受けている作曲家の一人ではないでしょうか。

途中から無言歌の話ばかりになりました。
また別のメンデルスゾーンの面白そうな本を見つけたら読んでみたいです。

ノラ・ジョーンズのライブ

17日、大阪城ホールで行われたノラ・ジョーンズのライブに行ってきたので、メモ程度に書いておこうと思います。

ノラ・ジョーンズは以前から夫がたまに聴いており、私もそれを耳にしたりたまに自分でも聴いてみたりという感じでした。夏前、ノラ・ジョーンズの来日が分かった時、夫が行かない?というので行くことにしました。

大阪城ホールへ行くのは何十年かぶり。あいまいな記憶ではホイットニー・ヒューストンのコンサートへ行ったのが最後ではないかな。

さて、コンサートではノラ・ジョーンズの存在感、オーラを強く感じました。彼女の音楽、雰囲気のある独特の歌声、歌い方が作り出す独自の世界を間近で見ることができました。

声を出さないようにという会場側の要望で、観客は演奏や舞台からの呼びかけに対し拍手で答えるような形でしたが、最後の方で「ノラ!」と声をかける人が出てくると、ノラ・ジョーンズは待ってましたとばかりに応えていました。その後、ちらほらと声が出て、ファンが熱い思いをこらえきれないのが伝わってくるようでした。

ノラ・ジョーンズの代表作、「ドント・ノー・ホワイ」(Don’t Know Why)」がアンコールで歌われた時が、やはり最も盛り上がったように思います、多分。
私もこれまでこの曲をよく耳にしていて、まだかな?という気持ちで待っていました。
何度も聞いたことがある曲を初めて生で聴くのですから、それは期待しますよ(笑)。
アレンジも素敵でしたし満たされた気持ちでライブの終わりを迎えました。同じような気持ちの人、多かったのではないでしょうか??

アンサンブル演奏

昨日は、京都市改進第一福祉センターふれあいサロンで行われた「親子であそぶ!ふれあいサロン OPEN DAY」というイベントで演奏してきました。誘ってくださったのはアンサンブルサウンドドレスさんです。今回のイベントは未就学児とその家族が対象で、私が児童館で弾いているので、ぜひお願いしたいと言われました。

1ヶ月ほど前に選曲をして、それから今回の編成(ヴァイオリン、歌またはフルート、チェロ、ピアノ)に合わせた編曲をしました。

施設の人の話では、もともと高齢者向けのサービスをメインにしていたけれど今後もっと子ども向けにもやっていきたい、その宣伝も兼ねたイベントであるということでした。
数えていませんが20組以上の家族(50~60人くらい?)はいらっしゃったように見えました。土曜というのもあってかお父さん、お母さん、子どもたちと家族そろってこられている方たちも。

合わせ練習は本番前のリハーサルのみで、その場でいくつか変更も加えました。曲はいつも児童館でやっているような曲ばかりですが、合奏は迫力ありました。やはり弦楽器など生で聴く機会は少ないと思いますし、皆さん興味を持って聴いていらっしゃたと思います。

アンサンブルサウンドドレスさんが子ども向けの小さなヴァイオリン(ウクレレより小さい?)を持ってこられていたのですが、大人気でした。私も弾いてみました(笑)。子ども用というのもあるけれど、なかなかまともな音は出ないんですね。

皆さんスタンプラリーなども含めイベントを楽しんでいらっしゃったようです。


Facebook Music とは?

私は自分の曲をTuneCoreという音楽配信代行サービスの会社を通して、Apple MusicやSpotify等、50以上の音楽配信サイトからダウンロード販売及びストリーミング配信しています(TuneCoreのアーティストページはこちらです)。毎月、TuneCoreのレポートで自分の音楽がどれくらい聴かれたか、集計した結果が見られます。各ストアのダウンロード・ストリーミング配信レポートとは別枠でBGMとして使われた実績がわかる「TikTok」「YouTube収益化」「Facebook Music」などがあります。この中でFacebook Musicというのが何なのか、あまりわかっていませんでした。

9月末のレポートを見ると、Facebook Musicでの再生数が26万を超えていました(262,012回)。これまで見たこともない桁違いの数字です。そのほとんどが今年出したアルバム「MESSAGE FOR YOU」に収録している「思い出ばなし(Good Old Story)」です(261,982回)。なぜこの曲がバズったのか? さすがに気になり過ぎてFacebook Musicが何なのか改めて調べてみました。

検索するとTuneCoreのサイト内の説明が出てきました。

「Facebook Musicプロダクト」とは、Facebookが運営するアプリ/サービスである。Facebook(フェイスブック)やInstagram(インスタグラム)などに、楽曲を登録することが可能となるサービスです。登録されたあなたの楽曲は、世界中のFacebookやInstagramのユーザーが音楽スタンプ、独自の動画、プロフィール、Oculus Roomsにて「使用」することが可能になり、大きなプロモーション効果が期待できます。

詳細レポートを見ると、再生されている国は100か国! そのうちトルコで24万回以上再生されています。レポートを見ても、音楽スタンプ、独自の動画、プロフィール、Oculus Roomsのどれに使われているのかわかりません。またいくつのコンテンツに対して使われたのかもわかりません。バズったのはインスタではないというのはわかりました。

ずらーっと並んだ国の名前を見ていて、Facebookのすそ野の広さを実感しました。確かにプロモーション効果はあるかもしれません。

TikTokの場合は、どんな動画に使われたのか確かめることができますが、FacebookもInstagramもやっていないので、確かめられるのかどうかもわかりません。

それでも、このレポートを見てちょっとモチベーション上がりました。単純です(笑)。世界の国々の知らない多くの人たちの耳に自分の音楽が届いていると考えるとワクワクします。とても不思議な気持ちになります。
ストリーミングも海外で聴かれていますが、今のところ日本の方がはるかに多いです。

次のアルバムを出せるのはいつになるのか、全く未定ですが、やはりまた曲を作っていきたい気持ちです。単純です(笑)。

歌のイベント

11月に開催するイベントのご案内です。

現在、アンサンブル サウンドドレスという演奏者のグループと一緒に歌のイベントの企画をしています。企画内容は、私が提案したものをベースにしてもらっています。

内容は7月にうちのeasy roomでやった「詩を味わいながら歌う会」に近いものです。この時は参加者にピアノ伴奏で歌ってもらいましたが、今回は歌手に来ていただき、またグループのメンバーがヴァイオリンを弾き、それに合わせて歌っていただくというものです(歌手が歌うので聴くだけもありです)。

歌とヴァイオリンとピアノの構成で、今編曲をしています。合わせ練習はまだ先になりますが、初めての試みで楽しみです。世代を問わず、参加していただけるとうれしいです。

グループの代表にチラシも作っていただきました。よいイベントになるよう準備をすすめます。

ブライアン・イーノ ・アンビエント・キョウト

BRIAN ENO AMBIENT KYOTO  (ブライアン・イーノ ・アンビエント・キョウト)へ行ってきました。
ブライアン・イーノ(イングランド出身の音楽家で、アンビエント・ミュージック(環境音楽)の創始者)の音楽はこれまでたまにネットで聴くくらいでしたが、今回はインスタレーション(観客参加型の芸術作品)でしたので、また違った印象を受けるだろうと期待して行きました。

最初に入った部屋は「The Ship」

室内は暗い。人影は見えるけど顔はあまりわからない。そこはスピーカーから流れる、重厚で普段はあまり耳にすることがない音楽で満ちている。音に包まれるようなとても不思議な感覚です。実際音は振動であり、体に直接響いてくるものですが、視覚がほぼ遮断されることによって音波により意識が向くのかもしれない。

人によって受け止め方は違うと思いますが、この非日常な状況は、人々を瞑想にいざなうような雰囲気です。しばらく座って聴いていると、考えることをやめ(あまり意味がない気がしてくる)、感じる方へと心がシフトしていくよう。
どう感じたか? 言葉では表せませんね。まさに、心がニュートラルになる瞑想状態に近い体験していたのではと思えます。

次の部屋は「Face to Face」

今度は部屋の正面に大きなスクリーンがあり、3人の顔が並んでいる。すごいインパクト。音楽も流れているけれど、さっきの部屋にいる時と比べたちまち目の前のヴィジュアルに意識が向く。しばらく眺めていると3人の顔が少しずつじわじわと変わっていく。女性が男性になったり、若い人が高齢者になったり、人種が入れ替わったりを繰り返す。その変化に気を取られ、音は聞こえているけれど、あ、今聴いてなかったとたびたび意識する。
やはり、聴覚は視覚にはかなわないと実感。顔そのものも訴える力が大きいと思いますが、微妙に変化する瞬間瞬間にどうしても意識が向いてしまう。あらがえない。

次の作品の前にラウンジをのぞく。

ここはちょっとした休憩所のようでしたが、こんなディスプレイも。

次が「Light Boxes」

今度は光の作品。顔の作品に比べると、そこまで主張が強くなく、今度は音楽とのバランスをとりながら鑑賞できました。

光の色は流れ続ける音楽と共にずっと変化し続けます。この部屋でも心をニュートラルな状態にできそうですが、やはり見ることにほとんど意識が向かない最初の部屋にはかなわない。
例えば、黄色くなった、紫に変わったなどとどこかで思ってしまっていのではないか?

最後に入ったのが「Million Paintings」
このイベントのメインではと思います。

入り口の注意書きに、寝入っている人がいたら声をかけますというようなことが書かれていました。部屋は天井が高く、正面に大きなディスプレイがあり、柔らかいソファがいくつか置かれていて、人々がそこにゆったりと体を預けて鑑賞しています。確かにこの状況であれば寝てしまっても仕方ない。


私たちもソファに腰かけ、体にじわじわ音楽を感じながら絶え間なく変化する映像を眺める。背もたれによりかかろうとすると体を半分寝かすような状態になり、私は多分寝てしまうので(笑)、もたれかからずに座っていました(大人になってから何度か行ったプラネタリウムではほぼ毎回途中で睡魔に負ける(笑))。

アンビエント・ミュージックについて、イベントのサイトには次のように書かれています。

興味深く聞くことも、ただ聞き流すことも、無視することもできるというリスナー主体の、あらゆる聞き方を受容する

終わりのない音楽と映像だから、どれだけ鑑賞するかは鑑賞する側が決めることになる。受け身である鑑賞者が主体的に鑑賞を終える瞬間を決断する。ある人は5分かもしれない。ある人は30分かもしれない。それぞれが作品に寄せる関心も感じ方さまざまであるだろうし、鑑賞していたい時間も違う。用意された環境の中で、鑑賞者が主体的にふるまう自由さというのが、このインスタレーションの魅力の一つではないだろうかと思います。

こういう音楽や映像作品が好きかどうかということではなく、アンビエント・ミュージックとビジュアル作品が作り出す特殊な空間が人にどのような影響を与えるのか、何を呼び覚ますのか、そんなことがとても気になりました。

会場にブライアン・イーノ自身の言葉もありました。

ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、自分の想像力を自由に発揮することができるのです

元々、音楽の双方向性というのは私にとって関心の高いテーマですが、今回の体験は今後の活動の参考になりそうだと感じています。

アンビエント・ミュージック(環境音楽)について少し (過去の記事です)

夏の信州

先日、信州旅行へ行ってきました。昨年秋にも信州の松本、安曇野、白馬あたりを旅しましたが、やはり、緑や花が美しい夏にまた行きたいと思っていました。

今回は蓼科高原に宿をとり、そこから色々な所を訪れました。

旅行で撮った写真でYouTube用の動画(スライドショー)を作ろうと思っていたので、帰ってから早速作りました。けっこうたくさん撮ったつもりですが、実際動画に使うのに選ぼうと思うと案外使えない写真もたくさんあって写真選びに手間取りました。

動画の音楽は6月に出したアルバム「MESSAGE FOR YOU」に収録している9曲です。

よかったらご覧ください。

撮影地:美ヶ原高原、霧ヶ峰高原、八ヶ岳自然文化園、御泉水自然園等

撮影地:蓼科湖

撮影地:ビーナスライン

撮影地:御泉水自然園

撮影地:八ヶ岳自然文化園

撮影地:美ヶ原高原

撮影地:長門牧場

撮影地:蓼科湖、蓼科高原芸術の森彫刻公園

撮影地:白樺湖、蓼科第二牧場、尖石縄文考古館、御射鹿池

阿波踊り!

なぜか阿波踊りの動画がYouTubeのおすすめに出てきたので観てみました。阿波踊りは昔テレビか何かでちょっと見かけたくらいの程度しか知らなかったのですが、観てみるとなんかすごい。ワクワクしました。

13分くらいの動画で、最初三味線、笛、太鼓と行進してきて、通路の両端に分かれて演奏を続け、5分過ぎたあたりから踊り子たちが進んできます。

動画の概要から引用します。

00:00 オープニング:レレレの連(Opening: Rerere-No-Ren)

00:33 鳴り物・三味線 (Musical instruments: Shamisen)

02:01 鳴り物・笛 (Musical instruments: Transverse flute)

03:07 鳴り物・太鼓 (Musical instruments: Drum)

05:03 女踊り (Women’s dance)

10:00 ちびっこ (Children’s dance)

10:23 男踊り (Men’s dance)

12:50 鳴り物・鉦 (Musical instruments: Small gong)

すごい数の踊り子たち。千人以上はいそう。特に女踊りはしなやかだけれど、迫力あります。

これを観て改めて思ったのは、日本にもこんなに素晴らしい踊りの文化があるのだということです。みんなで揃えて踊る様子を見て、これが今のアイドルグループが大人数で踊るのにつながっていたりしてと想像しました。

阿波踊りの歴史は400年以上あるそうです。

江戸時代には、踊りの熱狂が一揆につながることを懸念した徳島藩から何度も踊りの禁止令が出された。特に、武士が庶民の阿波おどりに加わることなど論外で、1841年(天保12年)には徳島藩の中老・蜂須賀一角が踊りに加わり、乱心であると座敷牢に幽閉された記録も残っている。しかし、阿波っ子たちの心に流れる阿波おどりを完全に絶やすことはできなかった。

阿波おどり会館

昔から権力者が恐れるほどの熱気があったのですね。庶民の間に政治に対する不満がたまっていて、それがよりエネルギーを生んだのかもしれませんね。大勢で踊るとテンションが上がってきて、より熱くなるでしょう。

子どもの頃から音楽も踊りも、ほぼ西洋的なものばかりに接してきましたが(日本ではそれが普通ですよね?)、最近になって日本の伝統芸能も気になってきました。歌舞伎や能のようなものもいいのですが、庶民の間で継承されている芸能にも興味そそられます。特別な人たちが行うパフォーマンスではなく、子どもたちも含む無名の庶民が参加するパフォーマンス。音楽も踊りも元々そういうものではないでしょうか。

富山の「おわら風の盆」も今回阿波踊りの動画を観た後に知りました。

こちらは阿波踊りに比べるとしっとりと静かな音楽と踊りです。日本にはまだまだ私が知らない伝統的な音楽や踊りがあるんだなあと、今頃思っています。

西洋音楽(やそれをベースにした音楽)は今ではすっかり世界の多くの人々が共有している音楽と言えると思いますが、地域の音楽や踊りはそこに暮らす人々によって支えられている希少な文化であると思います。一部の人たちがずっと受け継いできているから、古くからそれがあったことを知ることができる。継ぐ人がいないから消えていった文化は世界中にたくさんあるのではないでしょうか。

半月ほど前、寺町通三条上ったところの其中堂(仏教書専門店)の店頭(仏教書以外のジャンルの本が少し置かれている)で日本の音楽のルーツや種類について細かく書かれた専門的な本を見つけたのですが、迷った末、特に必要ないかと思い買いませんでした。その後、阿波踊りの動画を観て少し気持ちが変わり、先日、其中堂の前を通りかかった時、やはり買っておこうと思って見てみるともうありませんでした。古本は偶然の出会いですから、もう二度と巡り合うことはないでしょう。ちょっと後悔しました。また似たような本を探してみます。前から気になっていたものの、まだほとんど知らない民族音楽学者の小泉 文夫さんの本もまた読んでみたいです。

元々民族などに関係なく人が共通して持っている音楽性には興味がありますが、そこからどのように各地域独特の音楽や踊りがうまれたのか、興味深いです。