今日はピアニスト文京華さんのレッスンでした。
今回もバッハとモーツァルト。
自分では気づけない、細かな部分を色々とアドバイスいただき、うーんとうなってばかり。
ほんの少しの注意で表現が変わる。
理論と表現の関係性も面白い。
曲や作曲家について私がこれまで勉強してきた内容を話たりもしますが、そういったことも交えレッスンしていただけるのもありがたいです。
先生が京都に来られるのは月1回ほどで、私は今のところ2か月に1回ほどお願いしていますが、毎回充実したレッスンで、また楽しみです。
今日は約2か月ぶりに、ピアニストの文 京華さんのレッスンを受けてきました。
3月のレッスンでとても感動したので、今回も楽しみにしていました。
今日はモーツァルトとバッハ。
私の要望としては、大きく2点。
すでに弾ける曲であっても演奏の精度をあげること。
楽曲分析を交えたアドバイス。
期待通り、それ以上のアドバイスを得られました。自分が苦手であると自覚している箇所と全く自覚していなかった箇所の両方について、よりよく弾くための指導をしていただけました。
楽曲分析も面白いし、そうやって曲を深掘りすると演奏の仕方も変わってくることがよくわかります。
こちらの要望に合わせてレッスンしていただけるのはありがたいです。
次はいつ京都に来られるかわかりませんが、また楽しみにしています。
三橋桜子さん、パブロ・エスカンデさんご夫妻からご案内いただいたコンサートに行ってきました。新しく結成された声楽アンサンブル”Vox-Lux(声の光)”のコンサートです。場所は京都府立府民ホールアルティ。
メンバーはパブロ・エスカンデさん(指揮)、三橋桜子さん(オルガン)の他、歌手8人とチェリスト。ユニークな編成だと思います。
曲目はバッハ、タリスなどの作品と日本の古い歌(パブロさん編曲)。
今回のプログラムで特に面白かったのは、タイトルや作曲家を知らされず3曲の演奏を聴衆が聴き、どの曲が現代でどの曲がルネッサンス(16世紀頃)かあてるというものです。1曲がルネッサンス。どれも宗教音楽の雰囲気ですが、私ははずしました。一番モダンに感じた1曲がルネッサンスの曲でした。3曲の中で一番印象に残りました。
パブロさん編曲の日本の歌(ちんちん千鳥、宵待草、待ちぼうけ)もよかった。素朴なこれらの歌をどのように編曲されているのか興味深く聴きました。やはり日本語の歌は親しみがあってほっとする。
今日の歌手は8人(ソプラノ2人、アルト2人(そのうち1人がカウンターテノール)、テノール2人、バス2人)でしたが、ハーモニーがとても美しく、倍音が豊かに響いている感じがしました。声色の無限と思えるバリエーションを聴いていると、楽器ではできないことだなと改めて思います。声の威力はすごい!
お二人のコンサートはいつも独特で、今度はどんな工夫を凝らされているんだろうといつも楽しみです。今回も内容の濃い、楽しいコンサートでした!

久々にピアノのレッスンを受けてきました。
先生は、ピアニストの文 京華さんです。
文 京華さんのことは、最初YouTubeで知りました。ご自身のチャンネルで演奏や練習のヒントになる動画をあげられていますが、技術的なことから和声などの理論まで、参考になる動画ばかりで、実際自分の練習にも取り入れたりしていました。
演奏活動をしながら、指導されたり、YouTube配信されたりとほんとすごい方です。
仙台に住まれていますが、なんと東京と京都でもレッスンをされていると知り、思い切って問い合わせました。そして幸運にもレッスンを受けられることになりました。
今回持っていったのは、とりあえずバッハとシューマンとモーツァルト。
まずは、バッハから。
先生のバッハの譜読みのレベルが私の想像をはるかに超えていました。
自分の楽譜にはすでにアナライズの本からそのままうつした内容や、私自身が気づいて書き込んだ部分などがありましたが、それ以外にまだまだ読み取れる部分があり驚きました。それらを意識することで、演奏そのものが変わることもわかりました。
1時間半のレッスンでしたが、バッハで半分以上(まだ足りないけど)かかり、シューマン、モーツァルトは全部弾く時間はなく、私が気になる点をメインに指導していただきました。それらのアドバイスもすばらしく、がんばればきっと自分の演奏のレベルが上がると思えました。
レッスンの雰囲気は和気あいあいとした感じで、時おり笑ったりしながらでしたが、たった一回のレッスンでとてもたくさんの改善点や取り組む課題を得ました。曲を分析することがどう演奏に繋がるのかについて、新たな認識を得た感じがします。
こちらの要望にも柔軟に対応してくださり、本当に良いレッスンでした。とにかく、楽しかった! また次の機会にお願いできればと思っています。
先日、三橋桜子さんとパブロ・エスカンデさんご夫妻のサロンコンサートへ行ってきました。今回のコンサートはCD「Dolci」の発売記念コンサートで、昨年から少人数ずつ10回にわけて開催されました。昨年案内をいただいていたのですが、連絡ミスで行きそびれ、今回追加コンサートをされるというので、行かせていただきました。
「Dolci」(イタリア語でデザートという意味だそうです)はピアノ連弾のためのアンコール曲集で、23曲収録されています。聴いたことある有名な曲も多いのですが、連弾であること(パブロさんの編曲含む)、パブロさんのオリジナル曲も入っていること、あまり知られていない作曲家の曲もあることなど、やはり他では聞けない曲集になっていると思います。
コンサートは40分ほどでしたが、ピアノ連弾でCD収録曲、パブロさんの曲、ピアソラの曲など、チェンバロ連弾でバロック曲(ヴィバルディと、関西では恐らく初演と言われていた多分一般にはほとんど知られてない作曲家→忘れました)と10曲くらいだったでしょうか、とても濃い内容でした。お二人の息の合った演奏も素晴らしく、聴き入りました。
コンサートのあと、マテ茶と手作りクッキーをごちそうになり、その後、興味のある人たちが残ってチェンバロについて色々と教えていただいたりしました。
興味深かった点がいくつかあります。ピアノは昔作られた当初からはどんどん改良されていったわけですが、チェンバロは当時のままということ。弦をはじく部分の部品を自ら削って調整すること。上部鍵盤の位置をずらすとユニゾンで音が出ること(結果、大きな音が出せる。実際弾いてみて確認)、レバーの切り替えで弦を押さえて響きを変えられる(ピアノのペダルのような)、などなど。
そして一番驚いたのが、ピアノのように平均律だけではなく、音律を変えることができるということ。チェンバロは狂いやすくたびたび(コンサートの合間でも)調律をするということは、音律を変えることも容易ということなんでしょうか? 調性によってより美しく響く音律に合わせることができるのは、弦楽器や歌だと思っていましたが、鍵盤楽器でもそれが可能なわけですね(この辺りは少し専門的な話になりますね。過去に少し関連するような記事も書いていますが(「音律について少し」)、あまり詳しいわけでもなくうまく説明できないので、興味のある方は調べてくださいね)。
皆さんが帰られたあと、最後に私たち夫婦が残って桜子さん、パブロさんご家族と色々と話をしました。ゆっくりとお話をさせていただくのは何年かぶりで、楽しかったです。
帰って早速、家事をしつつ聴かせていただきました。短めの曲ばかりですが、盛りだくさんで聴きごたえあります。また何度もじっくり聴いてと楽しもうと思います。

曲目などこちらで詳細がご覧いただけます。https://amzn.to/3vMpQQM
4月8日は、京都文化博物館別館ホールで行われた、三橋桜子さん、パブロ・エスカンデさんご夫妻主催のコンサートシリーズ、アンサンブル・コントラスタンテへ行ってきました。今回のテーマは「死と生」でした。
「死」というとなかなか重いテーマに感じますが、全体としてその対比としてある「生」が浮き立つような印象がありました。「生と死」ではなく「死と生」という語順にされたのも、「生」に光を当てようという意図があったのではと勝手に想像しています。
プログラムは以下のとおり
・ランベール 愛する人の影
・クープラン 2つのミュゼット (歌なし)
・モンテクレール ダイドーの死
・ヘンデル 調子の良い鍛冶屋(三橋桜子編曲) (歌なし)
・フローベルガー ブランシュロシュ氏の死に寄せる追悼曲 (歌なし)
・バッハ オルガンのためのトリオソナタ 第5番より ラルゴ (歌なし)
・パーセル 妖精の女王より「聞いて!風がこだましながら」 (歌なし)
・シューベルト リュートに寄せて
ポロネーズニ短調 (歌なし)
死と少女
・サンサーンス 死の舞踏 (歌なし)
・エスカンデ 5つの死の歌(イバルボウロウの詩による)
高熱
死
死のヴォカリーズ
船
道・フォーレ 組曲「ドリー」より子守唄 (歌なし)
・エスカンデ さくら(茨木のり子の詩による)
(バッハのラルゴは時間の関係で演奏されませんでした)
谷村由美子(ソプラノ)
三橋桜子(チェンバロ・オルガン・ピアノ)
パブロ・エスカンデ(オルガン・オッタビーノ・ピアノ)
お二人のコンサートのプログラムはいつもオリジナリティの高い、創意工夫の感じられるものばかりですが、その理由の一つは楽器の編成に合わせた編曲が多いというのがあるのではと思います。伴奏も連弾であったり、チェンバロとオルガンだったり、曲によって入れ替わって弾かれます。パブロさんが作曲家で演奏もこなされるので、かなり自由にできるのではないでしょうか?
例えば、サンサーンスの「死の舞踏」という曲は、元々オーケストラの曲ですが、ピアノとオルガン用に編曲され演奏されました。他ではなかなか聴けないと思います。かっこいい編曲、演奏でした。
また別の理由として、選曲が面白いというのもあると思います。今回もバロックから現代(パブロさん)まで幅広く、知らない曲が多かったです。
その中でまた聴いてみたいと思える曲が何曲かありました。例えばシューベルトの「リュートに寄せて」など。
そして、特に印象深かったのは「5つの死の歌」と「さくら」です。
「5つの死の歌」はウルグアイの詩人、イバルボウロウの詩でそれにインスパイアされてパブロさんが若いころに作ったということです。この曲を聴いていて、ピアソラを思い出しました。パブロさんはアルゼンチン出身のようなので、どこか似た感性があるのかなと思うことがあります。現代的な響きと哀愁を帯びた旋律に心動かされ、何度も心に波がおこり涙が出そうに。声が楽器のようになるヴォカリーズもいいなと改めて思いました。
そして「さくら」。これは詩人、茨木のり子の詩で、ソプラノの谷村さんがパブロさんに作曲を依頼、今回初めて公の場で演奏されるということでした。
この詩はなかなか強烈でした。
さくら
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
先祖の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しいとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
今回のテーマ、「死と生」について考えさせられる。死生観が表されていると感じる詩。
美しい音楽(ピアノ伴奏、歌声)とあいまって、迫ってきました。
谷村由美子さんの声は、ふくよかで柔らかい、けれど迫力もあり聴きごたえあるものでした。
終わって帰る前、お二人に挨拶しましたが、「すごくよかったです!」などとしか言い表せないことがもどかしかった。人が多くてゆっくりは話せなかったというのもあるのですが。
感じたこと、心に起こったことはそう簡単には言い表せない。せめて、帰って少しでもその時の感じを思い出せるようブログに書こうと思っていました。
書いてみるとやはり、難しい。


3月16日、保育所で乳幼児向けの音楽イベントをさせていただきました。定員7組のところ、12組の参加となり、また保育所の0歳児さんたちも来てくれました。
「赤ちゃんと音の世界&ミニピアノコンサート」というタイトルは、昨年の始め、聚楽保育所の保育士さんが考えてくださって一緒に企画していましたが、まん延防止措置が延長となり中止になりました。その後、その方は別の所へ移られたため聚楽保育所での開催はなくなりました。
そして、昨年末にこのイベントの企画について知っておられた養生保育所の方から連絡をいただき、ぜひこの内容のイベントをやってほしいということで養生保育所で開催することになりました。
内容は赤ちゃんと音や音楽についての話とピアノ演奏です。
お話の方では、赤ちゃんの聴覚や音からどういう情報を得ているか、マザリーズ、赤ちゃん向けの歌はどういったものか、音楽から何を感じるか、聴覚だけでなく視覚も含めたコミュニケーションが大切であること、歌いかけの効果など、ブログにも書いているような内容を短くまとめた資料をお渡しして、説明をしました。
演奏の方は、ハイドン2曲、モーツアルト2曲、グリーグ1曲を弾きました。
ピアノはアップライトでしたが、演奏前に生楽器の音とデジタル音の違いについて話しました。普段、多くの人が耳にしている音はテレビ、パソコン、スマホなどからの音だと思いますが、できれば倍音の豊かな生楽器や自然の音などを聞いて違いを感じられるのもいいのではというようなことです。
最後は、職員さんから予想外のアンコールがあり、1曲弾きました。
イベントについてのアンケートを後で見せていただくと、皆さん、好意的な感想を書いてくださっていましたが、中でもお子さんがずっとご機嫌だったとか、体を揺らしていたといった感想はうれしかったです。
そして、保育所の0歳児さんたちがおとなしく聴いていて驚いたと付き添いの保育士さんたちに聞かされました。普段はそうでもない子たちだそうです。背中を向けて弾いていたのでそういった様子がわからず、その話を聞き喜びました。
目の前で人が演奏していて、楽器がなっているということを初めて見た子も多かったかもしれません。
お話や演奏を通して、何か感じていただけたらいいなといつも思っています。
今日は久々にピティナのステップに参加してきました。実に7年ぶりです。それ以前も何年か、参加するのは京都修学院(アトリエ松田)だけになっていましたが、この会場も2~3年ほどはコロナのために開催されていなかったようです。
しばらく出ていなかったのは、オリジナル曲の作成と録音をやり始めたからだったと思いますが、松田先生の所へ来させていただているうちに(ロシアン奏法を学びます)、また出てみようかという気持ちになりました。
弾いたのはメンデルスゾーンの無言歌集から、「瞑想」(Op.30-1)「ヴェニスのゴンドラの歌」(Op.30-6)、「岸辺にて」(Op.53-1)の3曲。無言歌集は他にも好きな曲がありますが、出ると決めたのも2か月ほど前だったのでとりあえずの選曲となりました。
わりと無難な選曲をしたつもりですが、この3曲のうち「瞑想」がかなりポリフォニックで特にエンディングに近づくあたりは弾き分けしにくいところがあり、けっこうてこずっていました。「岸辺にて」は同じようなパターンが繰り返されるので、単調にならないような工夫が必要でした。
とりあえず、まあまあ落ち着いて弾けたのでよかったかな。
私の出たのは最終の部だったので、終わった後、以前何度か一緒に出演して知っている人やその他聴きに来られていた人たちなどと歓談しました。
アトリエ松田はとてもアットホームでなごやかな雰囲気があります。松田先生のおおらかなお人柄とも相まってか、打ち解けた雰囲気になりやすいのだと思います。
レッスンで弾かせていただいている場所ですが、やはりコンサートになるといつもと違った雰囲気になります。暗くなって照明が灯ると、昼間とはまた違った魅力が感じられる空間です。この雰囲気が好きと思える人たちとはどこか、共感できる感性があるのかもしれません。
来年はどうなるか。とりあえず、やろうとしてることが山ほどあるのでまた考え考えやっていくのでしょう。

(夫に写真を頼んだのですが、後ろの方から撮ったため人がたくさん写ってしまって、その部分を切りとったらこんな感じになりました。何をしている写真かわからない(笑))
メンデルスゾーンの無言歌集に好きな曲が何曲かあり、今は3曲練習もしています。メンデルスゾーンについて書かれた本を前から探していますがあまり種類がありません。音楽之友社が出している「作曲家・人と作品シリーズ」にも今のところありません(出るのを期待しています)。図書館で検索してもあまりなく、とりあえず『メンデルスゾーンの音符たち』(音楽之友社)という本を借りてみました。
この「音符たち」シリーズがあるのは前から知っていましたが、2年に渡って『音楽の友』誌で連載されていて書籍化されたものです。メンデルスゾーンでこのシリーズは終了したということです。
これまで色々な作曲家の本を読んでいますが、伝記的なものが多く、彼らがどのように音楽に向き合っていたのか、どんな人生を送ったのか、人として興味があります。
『メンデルスゾーンの音符たち』は作品ごとの解説のような本です。ですから、メンデルスゾーンがどのような人だったのか、あまりわからないようです。とりあえず無言歌集のところを読みましたが残念ながら7ページだけです。取り上げられている作品はごく一部。ページ数などの制約もあったように書かれています。
まず「はじめに」では著者の池辺晋一郎さんはメンデルスゾーンを絶賛しています。
メンデルスゾーンはまちがいなく、音楽史上屈指の天才だ。しかも、極めて正統的な天才である。和声法、対位法、フーガや管弦楽法……エクリチュール(書法)に関する技術の高さはバッハに比肩できると言って過言でない。
その割には、他のメジャーな作曲家に比べるとそれほどその作品を知られていないと思います。派手さがないから?? 正統すぎるから??
7ページと少ない中にも、興味深いことが書かれています。
この曲集は6曲ずつの8巻で合計48曲。最初の巻から最後の巻(死後刊)までは20年以上の期間があります。全部で48曲ということはバッハの平均律クラヴィーア曲集のようにすべての調性で作られているのかと言えば、そうではない。それどころか、♯、♭は4つまでの調でおさえられている。
少し驚いたのは、この48曲中メンデルスゾーン自らがタイトルをつけたのは5曲のみだったということ。それは、3曲の『ヴェニスの舟歌』(Op19-6, 30-6, 62-5)、『デュエット』(Op38-6)、『民謡』(Op53-5)ということです。おそらく無言歌集の中で一番有名な『春の歌』も別の人がつけたのですね。
この本で取り上げられた無言歌は3曲の『ヴェニスの舟歌』と、『春の歌』(Op62-6)、『紡ぎ歌』(Op67-4)です。たまたま今弾いている舟歌が入っているというのは運がいい!
解説を読んで曲の中に仕掛けられた伏線のようなものに気づかされました。
無言歌集の曲を特に弾きたくなったのはわりと最近ですが、以前読んだ本で無言歌について言及されていたことがずっと印象に残っています。
その本は、『ある「完全な音楽家」の肖像』(―マダム・ピュイグ=ロジェが日本に遺したもの)です。2011年、その頃書いていたブログでアンリエット・ピュイグ=ロジェの言葉を紹介しています。
「全体に、ことさら難しいものを求め、やさしいものを馬鹿にする傾向があるのではないでしょうか。技術的に難しい曲が、かならずしも音楽的にすぐれたものとはかぎらないのですが……。たとえば、ピアノ曲のレパートリーの中でもとくに難しい作品を弾きこなす学生が、メンデルスゾーンの《無言歌》やフォーレの作品など、技術は中程度の難しさで、自身の人間性を最も発揮しなければならない曲になると、どう弾いていいか困ってしまう。全体にアクロバティックなパフォーマンスが重視される傾向にあるのは、悲しむべきことで、胸が痛みます」
なるほど、無言歌はそういう難しさがあるのだと当時改めて思いました。豊かな表現力を求められるような曲は若いころよりも年を重ねた方がより深みがでそうです。
無言歌集の曲はポリフォニックな曲が多く、声部を弾き分ける難しさというのもあります。メンデルスゾーンはバッハのマタイ受難曲を世の中に知らしめた人です。やはりバッハに強く影響を受けている作曲家の一人ではないでしょうか。
途中から無言歌の話ばかりになりました。
また別のメンデルスゾーンの面白そうな本を見つけたら読んでみたいです。
松田先生にミハイル・プレトニョフというピアニストを教えていただいて、YouTubeで見ています。彼はロシアのピアニストですが(プロフィールはこちら)、この方の弾き方が、私が今習っているロシアン奏法の弾き方に近いんじゃないかと思っています。
とても近づけませんが、無駄な動きのない手や体の使い方(それによって引き出される音色)を少しでも見習いたいものです。
確認してみると、以前ご紹介した『ロシアピアニズム』(大野眞嗣/yamaha music media)の中でもミハイル・プレトニョフが紹介されていました。
ロシアン奏法、ロシアピアニズム、流派などもあり少しずつ違うようですが、共通している部分があると思います。
習っていなければ、このような動画を見ても、具体的にどこをどうすればこうなるのか自分で発見するのは難しいですが、今教わっている内容のお手本のような部分が所々に見られ、勉強になります。