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滋賀の本

隣の県だけどまだまだ知らない所もある滋賀。ことりっぷなどコンパクトな旅行ガイドブックは限られた場所しか紹介してないし、大きなのは派手派手でちょっとあれなので別の棚を探して良さげな本を見つけました。 いい所たくさんで興味津々です。
(5/28ツイートより)

保育士のテキストを読む

保育士のテキスト読み始めています。これまで読んだ本で知っていること、発達心理学で学んだこと、自分の携わってきていることなど、重なる部分も多い。今まであまりちゃんと知らなかったのは福祉に関する法律や制度や歴史のことなど。どの科目も興味深いです。(5/15ツイートより)

「音楽アイデンティティ」

「音楽アイデンティティ」は何年も前に読んだ本。ここ何年か本棚に入ったままでしたが来月のイベントの資料の参考になるかなと久々に開いてみると覚えてない部分が多く今まさに確認したいことが色々。音楽心理学の中に音楽発達心理学があり、乳幼児の音楽性についての研究もこの中にある。(5/9ツイートより)

もいもい

プレゼントで『もいもい』の絵本をもらったんですが、知り合いの小さなお子さんも好きだそうです。絵も好まれるんでしょうけど、言葉の響きも面白いのかも? 興味深いです。
(5/6 ツイートより)

(ブログ、なかなか書けませんので時々ツイッターより転載します)

目を見て

前回マザリーズについて書きましたが、これまで赤ちゃんは目よりも耳がいいので、音によるコミュニケーションはより有効であると考えていました。
イベントの資料作りのために、参考文献にしている『赤ちゃんの心はどのように育つのか』(今福理博著/ミネルヴァ書房)を読み返してみて、また新たに以前はそれほど気に留めていなかった部分が気になりました。とても重要だと感じたことです。

それは、赤ちゃんは自分に語りかけている相手の目や口元を見ているということです。新生児のうちは視線が定まらない感じではあるけれど、ちゃんと赤ちゃんの目を見ながら話すということは意味があるということです。大人が思っている以上に赤ちゃんは目が合っている人の語りかけ、歌いかけに注意を払い、音(聴覚)と口の動き(視覚)で言葉を覚えていくようです。それがいつから始まるのかはっきりしているわけではないですが、実験では生後間もなくであっても口の形を見て模倣することができると確認されているようです。

赤ちゃんの視力は弱いので、目で確認するということについてこれまであまり重視していませんでした。以前、乳児の視力は0.01~0.02程度であると書かれているのを見て書き留めていたためですが(どの本であったか今はわかりませんし、そもそも乳児の時期があいまい)、今確認できるものを見ると、1か月児(新生児から乳児と呼ばれ方が変わる時期)の視力はおよそ大人の4分の1程度(この場合の基準となる大人の視力がわかりませんが)、乳児で30cmで焦点が合うということです(『発達心理学』(本郷一夫編/遠見書房)「知覚・認知の発達」)。抱っこした時に赤ちゃんからちょうどよく見える距離ですね。
資料によってばらつきがありますが、今回取り上げている参考文献によれば、これまで思っていた以上に早く見えるようになると言えそうです。生まれたては0.01程度でもその後少しずつ見えてくるようになるのでしょうから、乳児期に入ってまだ0.01というわけではないだろうということですね。ちなみに視力0.01の焦点距離は10㎝以下ということです。

赤ちゃんが声から学んでいく際に視覚も大事な要素であると認識しました。

また、マザリーズや歌いかけは赤ちゃんが好むわけですが、スピーカーを通してではあまり意味がないようです。

赤ちゃんにとっては人以外(たとえば、機械などの人工物)から伝達される情報の学習は、効果的ではないと考えられます。

『赤ちゃんの心はどのように育つのか』p.83

目を見て、直接語りかけたり、歌いかけることが大事なのですね。当然と言えば当然と思えますが。

また、感動したのは、歌いかけの効果です。
言葉の発達への影響に留まらず、心を落ち着かせ、その後の成長における内面の安定にもつながるのではということです。

本で書かれていることは、研究がもとになっていて、同じことをして同じような結果が得られるとは限らないと思いますが、目を見て語りかける、歌いかけることはお互いにとって心が安らぐことで、それだけでもよいことではないでしょうか。

私自身、これらのことを子育ての時に知っておきたかったと思います。知れば知るほど赤ちゃんの発達は早くから始まっていることがわかり、驚くばかりです。

マザリーズ

今まで何度か子育て講演会(音楽の話や演奏など)の中で「マザリーズ」について話しています。マザリーズとは、赤ちゃんに向けた、やや高めのゆっくりした抑揚のある話し方(母親語、乳児向けの話し方)のことを言います。赤ちゃんはマザリーズが大好きということです。

1月の後半から2週間ほど生まれて間もない孫と過ごしましたが、家中赤ちゃん言葉が飛び交っていました(笑)。理解できるはずはないけれど、色々と話しかけてしまう。その時、みんなマザリーズのような話し方になっていました。赤ちゃんがそれを好むかどうか知らずとも、赤ちゃんと向き合えば自然とそのような話し方になる感じがします。

生後半年の間、赤ちゃんが音から得ている情報は「音声のリズム」「抑揚(ピッチの変動)」「韻律情報(強さの情報)」と考えられているということです。

マザリーズは赤ちゃんにとってとらえやすい音(情報)であるのでしょうね。そして、マザリーズは普通の話し方よりもより音楽的ですね。子守唄はマザリーズから発生したのではないでしょうか。

赤ちゃんを見ていると、まだ何もわからなくても色々なことを感じているのだろうと思えます。おなかがすいたり、不快だったりすると泣く。抱っこして話しかけたり、体をさすったり、歌を歌ったりしてあやすと泣き止んで穏やかな表情になる(おなかすいている時は通用しないけど)。

赤ちゃんの感情表出はまず「興奮」と「不快」から始まる。けれども、他の感情も誕生時には備わっていると考えられているということです。

不快なのはわかる気がします。今まで(おなかの中)と全然違う環境に放り出されたのだから。

赤ちゃんは何も理解できなくても、何かを感じているはずと思えば、気遣いながら接することができます。なぜ泣いているのだろう? おなかもいっぱい、おむつもかえたところなのに。どこか痛いのかな? かゆいのかな? 不安なのかな? わからないのだけれど。

私が赤ちゃんや子どものことについて、専門書を読んだり、よく調べるようになったのは、10年ほど前児童館に行きだしてからです。自分の子育ての時はそこまで調べられていなかった。
自分が得て役に立つと思える情報は、自分の娘にもですが、子育てする人たちとも共有できればいいなと思っています。

3月には初めての保育所でお話と音楽のイベントをさせていただきますが、そこでもマザリーズについて話す予定です。

メンデルスゾーンの本

メンデルスゾーンの無言歌集に好きな曲が何曲かあり、今は3曲練習もしています。メンデルスゾーンについて書かれた本を前から探していますがあまり種類がありません。音楽之友社が出している「作曲家・人と作品シリーズ」にも今のところありません(出るのを期待しています)。図書館で検索してもあまりなく、とりあえず『メンデルスゾーンの音符たち』(音楽之友社)という本を借りてみました。

この「音符たち」シリーズがあるのは前から知っていましたが、2年に渡って『音楽の友』誌で連載されていて書籍化されたものです。メンデルスゾーンでこのシリーズは終了したということです。

これまで色々な作曲家の本を読んでいますが、伝記的なものが多く、彼らがどのように音楽に向き合っていたのか、どんな人生を送ったのか、人として興味があります。
『メンデルスゾーンの音符たち』は作品ごとの解説のような本です。ですから、メンデルスゾーンがどのような人だったのか、あまりわからないようです。とりあえず無言歌集のところを読みましたが残念ながら7ページだけです。取り上げられている作品はごく一部。ページ数などの制約もあったように書かれています。

まず「はじめに」では著者の池辺晋一郎さんはメンデルスゾーンを絶賛しています。

メンデルスゾーンはまちがいなく、音楽史上屈指の天才だ。しかも、極めて正統的な天才である。和声法、対位法、フーガや管弦楽法……エクリチュール(書法)に関する技術の高さはバッハに比肩できると言って過言でない。

その割には、他のメジャーな作曲家に比べるとそれほどその作品を知られていないと思います。派手さがないから?? 正統すぎるから??

7ページと少ない中にも、興味深いことが書かれています。

この曲集は6曲ずつの8巻で合計48曲。最初の巻から最後の巻(死後刊)までは20年以上の期間があります。全部で48曲ということはバッハの平均律クラヴィーア曲集のようにすべての調性で作られているのかと言えば、そうではない。それどころか、♯、♭は4つまでの調でおさえられている。
少し驚いたのは、この48曲中メンデルスゾーン自らがタイトルをつけたのは5曲のみだったということ。それは、3曲の『ヴェニスの舟歌』(Op19-6, 30-6, 62-5)、『デュエット』(Op38-6)、『民謡』(Op53-5)ということです。おそらく無言歌集の中で一番有名な『春の歌』も別の人がつけたのですね。

この本で取り上げられた無言歌は3曲の『ヴェニスの舟歌』と、『春の歌』(Op62-6)、『紡ぎ歌』(Op67-4)です。たまたま今弾いている舟歌が入っているというのは運がいい!
解説を読んで曲の中に仕掛けられた伏線のようなものに気づかされました。

無言歌集の曲を特に弾きたくなったのはわりと最近ですが、以前読んだ本で無言歌について言及されていたことがずっと印象に残っています。
その本は、『ある「完全な音楽家」の肖像』(―マダム・ピュイグ=ロジェが日本に遺したもの)です。2011年、その頃書いていたブログでアンリエット・ピュイグ=ロジェの言葉を紹介しています。

「全体に、ことさら難しいものを求め、やさしいものを馬鹿にする傾向があるのではないでしょうか。技術的に難しい曲が、かならずしも音楽的にすぐれたものとはかぎらないのですが……。たとえば、ピアノ曲のレパートリーの中でもとくに難しい作品を弾きこなす学生が、メンデルスゾーンの《無言歌》やフォーレの作品など、技術は中程度の難しさで、自身の人間性を最も発揮しなければならない曲になると、どう弾いていいか困ってしまう。全体にアクロバティックなパフォーマンスが重視される傾向にあるのは、悲しむべきことで、胸が痛みます」

なるほど、無言歌はそういう難しさがあるのだと当時改めて思いました。豊かな表現力を求められるような曲は若いころよりも年を重ねた方がより深みがでそうです。
無言歌集の曲はポリフォニックな曲が多く、声部を弾き分ける難しさというのもあります。メンデルスゾーンはバッハのマタイ受難曲を世の中に知らしめた人です。やはりバッハに強く影響を受けている作曲家の一人ではないでしょうか。

途中から無言歌の話ばかりになりました。
また別のメンデルスゾーンの面白そうな本を見つけたら読んでみたいです。

ショパンの演奏美学

レッスンで話題になった(前回の記事で書いた)『弟子から見たショパンーそのピアノ教育法と演奏美学』(ジャン=ジャックエーゲルディンゲル著/音楽之友社)を少し読んでいます。とにかく、分厚い本ですし(注釈も細かく多い)、多分今回も自分の興味がある所を選んで読むだろうと思います。

とりあえず、「序」の中にとても興味深い部分があります。時間がたって記憶があいまいですが前回読んだ時もそう思ってたはず。ショパンのこだわりが感じられる箇所で共感を覚えています。一部ご紹介します。

「ピアノを弾きたいのなら、歌わなければなりません」

P20

「(ショパンの)声楽へのこれほどのまでの愛着と、人を圧倒するような大音量を拒み、自然で素朴な演奏を好むことには、何らかの関係があると見て然るべきだろう」

P21

「(ショパンは)あまりに狭い職人芸的な見方に反対して、技術の習得はもっと芸術的なものだと主張している。空疎な練習を機械的にくり返してだんだんマンネリになるかわりに、聴覚を極度に集中させるのが彼のやり方なのだ!
このような集中によって、すばらしい音色を得るには不可欠な二つの要素が確実に得られる。耳が良くなり、筋肉を自由に動かし弛緩させることができるようになるのである。ショパンによれば技術とは、名人芸を身につけることよりもまず音の響き具合であり、タッチの用い方なのだということをもっと認識する必要があるのではないだろうか。「だからタッチにふさわしい腕の位置さえ覚えてしまえば、このうえなく美しい音色は自ずと得られ、長い音符も短い音符も思いのままに何でも弾けるようになる」

P22

「当時のピアノ教師たちは、無理な練習を重ねて強制的に指を「均等」にしようとしていたのだが、ショパンはその逆を行って、指の個性、つまりもともと「不均等」なものこそ多様な響きを生み出すものとして、むしろ助長していったのである。(中略)こうして彼は弟子に、退屈なばかりか生理学的にも無理を伴う練習をさせず、弟子の奏でる色彩あふれる響きの多様性を一挙に開花させていったのである。

P23

松田先生にも教えていただきましたが、ショパンの目指す音楽とそのための奏法はロシアピアニズムと重なる部分があると改めて感じます。この本を何年か前読んだときは、ロシアピアニズムについてあまり知らなかったので、今回は改めて新鮮な驚きがあります。

共通すると感じる点はピアノで歌うこと、そのためには機械的な練習ではなく耳を研ぎ澄まし音色を聴くこと、美しい音色のためにはそれにふさわしい体の位置を知り、使い方を身につけること、そういったことです。

また、上の引用の中に「生理学的にも無理を伴う練習」というのがありますが、手や指が強い負担を感じるような練習というのは、それによって多少思うようになったとしても、いずれ手の故障につながる心配がありますよね(『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』にも書いてあるように)。例えば指の独立のために特に上がりにくい薬指を高く上げる練習というのもまだあるようですが、手の構造上かなり無理がありますよね。その前提がハイフィンガー奏法だから、奏法が変わればその必要もなくなりますね?
ショパンは体のことを理解した上で、当時のやり方とは違った合理的な考え方で弟子を指導していたということですから、弟子の証言満載のこの本はやはり参考になりそうです(以前ある程度は読んだのですがみんなショパンをほめちぎっているという印象。彼は教育熱心でヨーロッパ各地からショパンの教えを乞いに弟子が集まったとか。その数は正確にはわからないが記録による研究では150人(おそらく長・短期入れて)に及んでるのではないかと。その間に作曲してたとかすごすぎる)。

私がロシアン奏法を習おうと思ったのも、音色や表現をもっと豊かにしたいからです。ロシアン奏法はクラシックの奏法ですが、その奏法を通して自分の音楽表現(ジャンルでくくらない)を良くしていければいいな、自分が前より少しは良くなったかもと思えることができれば、それが続いていけばいいなと思っています。また、これらのことがピアノを弾いておられる方々の参考になれば幸いです。

最新版ではなく私の持っている本です。引用もここからです。

ロシアン奏法とショパンの教えの共通点

今日のロシアン奏法レッスンで、松田先生が『弟子から見たショパン』(ジャン=ジャックエーゲルディンゲル著/音楽之友社)の話をされました。この本はだいぶ前に買って、まだ全部読めず置いてあるのですが、ショパンが指示している弾き方にロシアン奏法と共通する部分があるということです。手の傾け方や、タッチの方法など。該当箇所を教えていただいて、なるほど。ただ、先生のお持ちの本は増補最新版で中身がちょっと変わってそうです。
ショパンが、手の形を理解して無理な弾き方をしないという合理的なことを言っていたことが書いてあったとぼんやり記憶していますが、その他の細かい部分は覚えていないし、また読もうかなと思っています。

ショパンが体のつくりを理解してピアノを弾いていたのと対照的に、同時期の作曲家、シューマンは手に負担のかかる間違った練習をしてしまって手を痛めピアノが弾けなくなってしまった。昔はヨーロッパでも手を鍛えるために変な器具を使ったりしていたみたいですね。

今はまだ、ロシアン奏法の基礎をやっていて、まだ感覚的につかめるには時間がかかりそうですが(当然です!)、普通の曲を弾くとこれまでのように弾いてしまうから、ちょっと控えた方が良さそうです。これまでもそうですが、これからもちょっとずつ地道にやっていくのみです(汗)。

手首はどこ?

『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』(トーマス・マーク他著/春秋社)には、正しいボディ・マップを知り、ボディ・マッピングする方法が書かれています。

ボディ・マップとは脳の中でイメージされている身体のことで、ボディ・マッピングとは、自分の身体に注意を向けるトレーニングによって筋感覚を鋭敏にし、それ以前には身体の外の世界にあった情報を自分の中に取り込むことです。

少しわかりにくいですが、わりと分かりやすい例(多分)について書きます。
皆さんは手首ってどこだと思いますか? 私は腕時計をつけたり、脈を測ったりするあたり、小指側のぼこっと出た骨の腕側と思っていました。ところがこの本によりますと、正しいボディ・マップでは、手首の骨というのはぼこっと出た骨の手の側、手の甲の根元あたりなんですね。そこに8個の骨が4個ずつ2段に並んでいてそこから指の骨につながっている。私なかなり意外に感じましたが、その8個の骨によって手を柔軟に動かすことができるのですね。

正しいボディ・マップをイメージしたら、今度はボディ・マッピングです。手首を回してみてください。確かに、腕時計をつけるあたりは回りませんが(ぼこっとした骨は肘までつながった1本の太い骨)、手の甲の根元あたりはわりと自由に動きます。この柔軟さを意識してピアノを弾くと、より余計な力を抜くことができると思います。もともとできていた人には関係ないかもしれませんが、手の甲をひと固まりのようにイメージ(無意識でも)しているのと、根元が自由であることを意識するのとでは変わってくると思います。手首の力を抜いてと言われても、ボディ・マップが間違っていれば違う所に意識がいってしまいますね。

この本は過去にも読んでいますが、改めてそうやったんやと思い返すところがいくつかあり、やはり面白いです。

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