月別アーカイブ: 2015年10月

ピアノを弾くというのは

しばらく弾いてなかった曲を、ふと弾きたいなと思った時、少し期待感があります。しばらく弾いてなかったら忘れてる所もあって、スムースに弾けないということもありますが、そんなことよりも、その間の自分の成長(歳をとるにつれ内面が成長してるはず!?)がきっと表現に反映できると思えるからです。実際、以前とは違う弾き方になっていることが多いです。それが実感できた時は、やはりうれしい。前はなんかもひとつ美しく弾けなかったけど、もしかしたらもっと美しく弾けるかもしれない。
最近ではブラームスの間奏曲を久々に弾きました。以前との違いを確かめるように弾きながら、作曲家の音楽の世界に改めて自分を反映させているような感じです。ピアノを弾くというのは、音楽を通して自分を見つめなおす行為のようにも思えます。

フリッツ・イエーデが語る「子どもと音楽」

今日は近所の児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」の日でした。
今日のパネルシアターの音楽は「手をたたきましょう」でしたが、手をたたく動作の時、一歳くらいの子が手を上に上げてぱちぱちと上手にならしました。他のお母さん方やスタッフ達から感動の笑いが起こりました。
遊びの中で音楽に触れ、楽しむことは子ども達の中にある何かを自発的に引き出す可能性があるのだなと改めて思います。
『フリッツ・イェーデの音楽教育』―「生」と音楽の結びつくところ(小山英恵著 京都大学学術出版社)からの引用です。

「イェーデによれば、就学前の子どもは、自ら歌い、また両親や兄弟と共に歌い、音の動きを聴き取るために沈黙する。このような就学前の子どもの音楽活動は、たとえ単純であっても創造活動に近いとする。というのも、子どもは、喜びの気持ちを歌にするからである。子どもの歌には、両親や兄弟と共に歌う喜びや安心感がそのままあらわれる。「子ども固有の世界にある幸せな生」は、歌い、演奏するきっかけであり、自身の歌を歌わせる力であるとされる。つまり、子どもの歌は、幸せな「生」の表現としての創造活動であるとイェーデは捉えているのである」

「子どもは、喜びの気持ちを歌にする」「子どもの歌は、幸せな「生」の表現としての創造活動である」とは、なんて素敵なことだろうと思います。
このイベントに来てくれている子たちが、楽しい音楽体験を経て、やがて自分で歌いだす日が来ることを想像するのはうれしいことです。

 

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