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「死と生」のコンサート

4月8日は、京都文化博物館別館ホールで行われた、三橋桜子さん、パブロ・エスカンデさんご夫妻主催のコンサートシリーズ、アンサンブル・コントラスタンテへ行ってきました。今回のテーマは「死と生」でした。
「死」というとなかなか重いテーマに感じますが、全体としてその対比としてある「生」が浮き立つような印象がありました。「生と死」ではなく「死と生」という語順にされたのも、「生」に光を当てようという意図があったのではと勝手に想像しています。

プログラムは以下のとおり

・ランベール 愛する人の影

・クープラン 2つのミュゼット (歌なし)

・モンテクレール ダイドーの死

・ヘンデル 調子の良い鍛冶屋(三橋桜子編曲) (歌なし)

・フローベルガー ブランシュロシュ氏の死に寄せる追悼曲 (歌なし)

・バッハ オルガンのためのトリオソナタ 第5番より ラルゴ (歌なし)

・パーセル 妖精の女王より「聞いて!風がこだましながら」 (歌なし)

・シューベルト リュートに寄せて

        ポロネーズニ短調 (歌なし)

        死と少女

・サンサーンス 死の舞踏 (歌なし)

・エスカンデ 5つの死の歌(イバルボウロウの詩による)
        高熱
        死
        死のヴォカリーズ
        船
        道

・フォーレ 組曲「ドリー」より子守唄 (歌なし)

・エスカンデ さくら(茨木のり子の詩による)

(バッハのラルゴは時間の関係で演奏されませんでした)

谷村由美子(ソプラノ)
三橋桜子(チェンバロ・オルガン・ピアノ)
パブロ・エスカンデ(オルガン・オッタビーノ・ピアノ)

お二人のコンサートのプログラムはいつもオリジナリティの高い、創意工夫の感じられるものばかりですが、その理由の一つは楽器の編成に合わせた編曲が多いというのがあるのではと思います。伴奏も連弾であったり、チェンバロとオルガンだったり、曲によって入れ替わって弾かれます。パブロさんが作曲家で演奏もこなされるので、かなり自由にできるのではないでしょうか?
例えば、サンサーンスの「死の舞踏」という曲は、元々オーケストラの曲ですが、ピアノとオルガン用に編曲され演奏されました。他ではなかなか聴けないと思います。かっこいい編曲、演奏でした。
また別の理由として、選曲が面白いというのもあると思います。今回もバロックから現代(パブロさん)まで幅広く、知らない曲が多かったです。
その中でまた聴いてみたいと思える曲が何曲かありました。例えばシューベルトの「リュートに寄せて」など。

そして、特に印象深かったのは「5つの死の歌」と「さくら」です。

「5つの死の歌」はウルグアイの詩人、イバルボウロウの詩でそれにインスパイアされてパブロさんが若いころに作ったということです。この曲を聴いていて、ピアソラを思い出しました。パブロさんはアルゼンチン出身のようなので、どこか似た感性があるのかなと思うことがあります。現代的な響きと哀愁を帯びた旋律に心動かされ、何度も心に波がおこり涙が出そうに。声が楽器のようになるヴォカリーズもいいなと改めて思いました。

そして「さくら」。これは詩人、茨木のり子の詩で、ソプラノの谷村さんがパブロさんに作曲を依頼、今回初めて公の場で演奏されるということでした。

この詩はなかなか強烈でした。

さくら

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
先祖の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しいとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

今回のテーマ、「死と生」について考えさせられる。死生観が表されていると感じる詩。
美しい音楽(ピアノ伴奏、歌声)とあいまって、迫ってきました。

谷村由美子さんの声は、ふくよかで柔らかい、けれど迫力もあり聴きごたえあるものでした。

終わって帰る前、お二人に挨拶しましたが、「すごくよかったです!」などとしか言い表せないことがもどかしかった。人が多くてゆっくりは話せなかったというのもあるのですが。
感じたこと、心に起こったことはそう簡単には言い表せない。せめて、帰って少しでもその時の感じを思い出せるようブログに書こうと思っていました。

書いてみるとやはり、難しい。

ターンテーキング

ターンテーキングというのは交互に話者となり言葉のやりとりをすることですが、なんと生後2か月でもうその兆候が現れるそうです。このことについて『赤ちゃんの心はどのように育つのか』(今福理博著/ミネルヴァ書房)で知りました。
生まれた直後からどのように心が発達していくのかに興味津々の私は、孫が生まれて5日目にうちに来てから2週間、歌いかけや語りかけをしていました。
もそもそ動いていても、私が歌い始めると、動きを止めて何かに集中しているように見えます。赤ちゃんの動きは意識的なものでないものが多いのですが、それが止まるというのは無意識であっても何か感じているためではないかと思えます。視線はまだこちらへは向かず、どこから聞こえているのだろうと感じ入っている様子。

娘と孫が2週間で帰った後は、1か月に1度か2度ほど会うような感じで、生後2か月半くらいになった先日、久々に娘の所へ行き何時間か一緒に過ごしました。

ターンテーキングのことを意識しつつ、抱っこしてまずはしばらく歌を歌いました。すると、時折一瞬笑顔を見せてくれます。私の顔をしっかり見るようになっていました。少し前から笑顔を見せるようになったことは写真で見ていました。この月齢ではまだ面白くて笑うのではなく、人の顔を見てそれに反応して笑います(社会的微笑)。かわいい(笑)。

何となく、歌いかけは一方的な感じがするので、抑揚をつけた短い音(ふーん、ふう、などなど)で語りかけたり名前をよんだりしてみると、なんと、口を一生懸命あけ、舌を動かしてこちらに応じるように声を出し始めました。何度も何度も。私も楽しくて声をかけ続けました。それまでも声は出していましたが(シェアしている動画で確認)、こんなに応えてくれるとは、感動です。

前述の本によると、2か月くらいで始まるターンテーキングは、まだ相手の意図を理解できず順番にはできないということです。それでも1歳までには相手の意図を理解できるようになりターンテーキングの質も変わるということです。

歌いかけも、まだこれくらいの月齢なら、童謡などにこだわらず、より音数少ないゆっくりのフレーズの方がいいかもと思いました。
また少し先で、赤ちゃんへの歌いかけ語りかけのイベントをさせていただく話もありますので、今回のことも参考にしようと思っています。