月別アーカイブ: 2015年3月

レッスンは柔軟に

今日はうちにピアノを習いに来ている方がお孫さんを連れてきました。野球少年の彼にとって今日はちょっとした音楽体験となったようです。
レッスン中、ピアノのハンマーが弦を打っている様子を見てごらんと促すとしばらく見ていたり、本棚から歌のファイルを取り出してながめたり。
練習曲が終わって、曲の方に移ろうとすると生徒さんは自分が弾く代わりに、私にお孫さんが学校でやっている曲を弾いてもらえないかと頼まれました。お孫さんが知っている曲を生のピアノで聴かせたいという思いを持って今日は連れてこられたのでしょう。頼まれた2曲を適当ですが弾きました。
とりあえず喜んでいただけたようで、よかったです。またおいでね、と言うとにこにこして帰っていきました。

世界のわらべうたはヨナ抜き音階

今日はオカリナのKさんと合わせ練習でした。前回から1ヶ月の間に5曲の編曲を済ませ、アンサンブルはクラシックの1曲以外に8曲、編曲した作品を演奏することになります。
今回の選曲の中には、唱歌・童謡以外、アイルランド民謡(ロンドンデリーの歌・庭の千草)とイングランド民謡(グリーンスリーブス)が入っていますが、どれも懐かしさや切なさを感じる曲です。
『赤ちゃんは何を聞いているの?』(呉東進著)では、世界各地の子守歌のうち日本の歌を含む19曲を調べたところ、ピアノの真ん中のドから6度上のラの音(440ヘルツ)の音が一番多く使われていることがわかり、このラの音が赤ちゃんの泣き声や、胎内によく聞こえている音と同じであることを紹介しています(3月初めの子育て講演会でもこのお話をしました)。

また『音楽と認知』(波多野誼余夫著)にも、5音音階(日本ではヨナ抜き音階と言われる)はアイルランドやハンガリー、中国、韓国の民謡、ドイツのわらべうたにも共通して見られると書かれています。
民族固有で発展していった音楽は色々あっても、これらのことなどから人はもともと共通した音楽性を持っているのでは?と思うことがあります。不思議で興味深いことです。
ロンドンデリーやグリーンスリーブスのような日本でも親しまれている曲以外の知らない民謡ももっと聞いてみて、素敵な曲を見つけて編曲できたら面白いかも。

 

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音の種類とピアノの音

『楽典 音楽家を志す人のための』(菊池有恒著)の中に、音の種類について書かれている部分があります。
「音は振動(vibration)の状態によって純音・楽音・噪音に分けられる。
純音(pure tone)
強さと高さは明瞭であるが、倍音を含んでいないため音色の差はなく、機械を通して見た振動の波形は単純である。普通の楽器からはほとんど出せないが、純音に近いものとしては、時報の音、音叉の音などがある。
楽音(musical tone)
声や大半の楽器が発する音で、強さ、高さのほかに、発音体の構造によるさまざまな倍音が含まれているため音色も明瞭である。振動の波形は倍音が含まれるため複雑であるが、規則正しく繰り返される。
噪音(unpitched sonud)
強さと音色は明瞭であるが、音の高さ(pitch)は不明確である。したがって振動の波形は複雑で不規則である。物のこわれる音、ぶつかる音、打楽器類の打撃音などがこの部類に入る。ピアノやピッチの明瞭な打楽器類は、打った瞬間は打撃による噪音を発し、その直後に規則的な振動による楽音が持続している。このように噪音と楽音の同居した楽器は多い。
なお、やかましい音は騒音(noise)という。」
ピアノを打楽器というのは違和感がありますが、打弦楽器とも言われるのは、鍵盤を打つ(弾く)という行為があるからですね。
私は毎日ピアノを弾いていて、弦が鳴っていることを常に感じているので(うっとり(笑))、どちらかというと弦楽器という意識を持っています。打つ(弾く)という行為は弦を響かすためだから。
上記引用文の中に、「ピアノやピッチの明瞭な打楽器類は、打った瞬間は打撃による噪音を発し」とありますが、これはこれは鍵盤をタッチした瞬間に生じる上部雑音と、鍵盤が底に当たった時に生じる下部雑音のことだと思います。これらをコントロールすることについては『ピアノの演奏と知識』(雁部一浩著)や、内藤晃さんの『ピアノでオーケストラを』(ユーロピアノ)にも書かれています。
私はなかなかそんなにうまく使い分けられてないと思いますが、特に繊細な音を出したい時には雑音のことを意識してより耳を澄ましてみています。

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いつか弾きたい曲

ナクソスで久々になんとなくアルベニスのアルバムを聴いていたら、『プレガリア』が流れてきて、はっとしました。12の性格的小品の中の「祈り」という意味のこの曲は、3年ほど前、上原由記音さんのレクチャーコンサートで初めて知ったのですが、きれいな曲だなと思ってその後楽譜を手に入れ弾いてみると、途中から泣けてしまって先に進めないくらい琴線に触れる曲でした。上原さんの話によると、この曲はアルベニスが二人の娘さんを亡くすという深い悲しみを経験した後に作曲されたらしく、そういう曲の背景を知っていることで余計に切なく感じるのかもしれません。
それで、この曲はレパートリーにしてどこかで聴いてもらって感動を共有したいという思いがありながら、弾くたびに激しく心が揺さぶられるので後回しになっています。
音楽と人との関係について色々な本を読んでも、音楽を聴いて心が揺れたり涙が出るのはなぜか?というのはずっと謎のままです。

耳にやさしい自然の音(水のせせらぎ、木の葉のすれ合う音、鳥のさえずりなど)の場合、気持ちが安らぐ気はしても涙までは出てこないので、やはり音楽と自然音では心が受ける影響は違うのかなと思います。自然音でも状況によっては切なく感じたりすることもあることは経験していますが、音楽は状況に関わらずです(どんな音楽でもという意味ではないですが)。
本番などで自分自身が音楽に入り込み過ぎて、流されそうになったことはあります。それではいけないということをチャールズ・ローゼンやその他のピアニストが書いているのをいくつか見ていますし、本番で最良のパォーマンスをするには、演奏中自分を客観視するような冷静さが必要なのだと思っています。
プレガリアはそういう点でまだ自信がないのですが(涙なしに弾く!)、いつか人前で弾いてみたいという思いは持っています。


2012年7月 アルベニスのレクチャーコンサートが行われた錦鱗館前

音律について少し

清水敬一さんの『合唱指導テクニック』(NHK出版)という本に次のように書かれている部分があります。
「無伴奏合唱は三和音で純正律を響かせられるすばらしい媒体ですが、古い作品でも旋律的にはピタゴラス音律が向いている場合もあります。音律の問題に全てを満たす正解はなく、研究者の言葉「矛盾と妥協の美学」は見事な言い回しです」
そしてフランス人のチェンバロ奏者が言った「最もすばらしいのは人間の耳の補正能力!」という言葉を紹介し、著者は自分の言葉に少し変えて「人間の脳の補正能力」と言っています。
まとめると、音律の問題に全てを満たす正解はないけれど、すばらしい人間の耳(脳)の補正能力によって、微妙な響きの違いも気にせず(気づかず)音楽を楽しめるということになるでしょうか。
音律については色々な話がありますが、「全てを満たす正解はない(何の問題もない完璧な音律はない)」という言葉にとても納得し、また人間の脳の補正能力もすばらしいと思います。

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グリーンスリーブスの続き 

グリーンスリーブスについてもう少し調べてみると、そもそも民謡なので作曲者も不詳で音源も色々でした。普通に短調で歌われてるものもあるし、ドリア旋法も使ってる箇所が違ったり。
まあ少々アバウトでも民族や長い年月を越えて歌い継がれているという事実がすごいのですね。
やはり普通の短調では物足りないので、ドリア使いますが全部そうするかどうするか?

グリーンスリーブスの隠し味

今、アンサンブル用にグリーンスリーブスの編曲をしていますが、持っている楽譜を元に調を変え、途中まですすめて、やっぱり変?と思ってストップしました。この曲は確かドリア旋法を使ってたはずなのに(そういうメロディーを記憶していながら)、楽譜では普通の短調になっている。
それで音源で確認してみると、やはり記憶の方が正しいというか、こうじゃないとグリーンスリーブスの良さが出ないよなと納得。短調で始まったのに、「あれ?」というひと時の浮遊感が心地良い。
日本でも外国でも、ずっと歌い継がれている曲はやはりメロディに普遍性があると思うのですね。編曲で和音やリズムにバリエーションをつけますが、基本となるメロディの良さは大切にしたいですね。

リズムのちから

芥川也寸志の『音楽の基礎』は、普通の音楽理論書と少し違って作曲家の視点で書かれていておもしろいと思います。この本の中で、リズムについて次のように書かれている部分があります。

心臓の鼓動に象徴されるように、リズムは生けるもののしるしであり、音楽におけるリズムもまた音楽全体を支配する生きものである。

リズムは生命に対応するものであり、リズムは音楽を生み、リズムを喪失した音楽は死ぬ。リズムは音楽の基礎であるばかりでなく、音楽の生命であり、音楽を越えた存在である。

私も児童館で小さな子どもたちと音楽を通じて接しているうちに、リズムの影響について考えるようになりましたが、芥川也寸志もリズムについてはかなり重要視していたようです。
曲を弾いていて、旋律や和音は静的な感動を与えてくれるのに対し、リズムは動的な、もっと原始的な感動を与えてくれるものだと感じます。

 

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『春を感じるコンサート』

内藤晃さんが久々に関西に来られるということで声をかけていただきました。おとといがレッスン、そして昨日はコンサートでした。
レッスンはバッハのパルティータ1番のプレリュードとサラバンドをみていただきましたが、また多くのことに気づかされました。より洗練された音楽を奏でるための大切なことをいくつも。
今回のために用意してくださった資料の中に、私も持っているパウル・バドゥーラ=スコダの『バッハ演奏法と解釈』の中からパルティータ1番のサラバンドについて書かれたものがあったのですが、今まで気づいてなくて「本、読んでくださいね」と言われました(笑)。700ページ近くある本で、600ページ以降にのっていました。買ったときは途中まで読んだんですが、なんせ半分以上装飾音についてでクラクラして、そのあたりからさらさらっと目を通してそのまま本棚に飾ってありました(笑)。

今日の毎日文化センター大阪のピアノはべヒシュタインでしたが、内藤晃さんは本当に楽器のこと、音をコントロールすることを熟知されていると感じました。そして記号化された楽譜の後ろにある音楽を、洗練された音で表情豊かに、生き生きと巧みに奏でられるのでした。
プログラムは『春を感じるコンサート』というタイトルでバロックから現代までと幅広く、例えば吉松隆やセヴラックやメトネルなどの知らない曲が半分以上でしたが、親しみやすいものが多く、きっと配慮されているんだろうなと思いました。
この2日間で、またずいぶんと色々なことを学びました。いい影響を受け少しずつ自分の演奏も変わっていくことを期待します。

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子育て講演会で音楽

今日は、毎月「ピアノに合わせてあそぼう」というイベントで行っている近所の児童館と保育所共催の子育て講演会でイベントをやらせていただきました。
タイトルは『赤ちゃんは何を聴いているの? どんな音楽が好き?』です。

内容は
・赤ちゃんの聴覚や音から受ける影響などのお話
・子守歌(シューベルトの子守歌、モーツァルトの子守歌、ゆりかごのうたを今回演奏用に編曲したもの)の演奏(歌詞を配って知ってる方には歌っていただきました)
・軽快なクレメンティのソナチネの演奏で雰囲気を変え
・みんなでリズムで楽しむ歌(森のくまさん、おもちゃのチャチャチャ、山の音楽家など)を伴奏にたくさんリズムバリエーションをつけて、小さな手作りのマラカスを配ってもらってみんなで歌ったり、マラカスを振ったり。

23組か24組くらいの親子が来られましたが(2歳くらいまでの)、マラカスは今回のために60個も用意してくださりましたので(!)、足りました。みんなで振ったらすごい音かなと思ったら、中身がビーズやどんぐりなので優しい音でちょうどよかったです。鈴やカスタネットのような普通の楽器だと数が多くなるとかなり耳にきつい感じになりますが。

終わってからお子さんの反応を教えて下さったお母さんがいらっしゃいました。まだおしゃべりはあまりないけど音楽に合わせて言葉が出てくるというお話は興味深かったです。一人、回覧板で見たからと近所の方がかけつけてくださり、子供たちが音楽が始まるとリズムに合わせて動いていたよと教えてくれました(今日はみんなに背を向けてピアノを弾いていたので)。

児童館や保育所のスタッフさんたちの感想などからも、やはり子供はリズムによく反応してくれるんじゃないかなと改めて思いました。
とりあえず無事終わってほっとしてます。