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一休さん

昨日は京田辺市にある酬恩庵一休寺へ行ってきました。
このお寺は近鉄新田辺駅から徒歩で西へ約25分のところあります。
参道の紅葉が美しいと評判だったのを期待して行きましたが、案の定、入り口の門をくぐった先に見える参道のもみじを撮りたい人たちが参道の手前に控えていて、そこだけ妙に人が集まっていました(全体としてはそれほど混んでいませんでした)。
なので、そこで写真を撮るのはあきらめて、境内を散策しました。思っていた以上に大きなお寺で、もみじもたくさん見られました。

一休さんといえば子どもの頃、アニメで親しんでいましたが、一休宗純という禅僧です。
方丈に一休禅師木像が安置してありますが、それとは別にアニメを思い出させるような少年の頃の一休さんの像が庭にありました。
池のほとりに小さな橋があり、「このはしわたるべからず」の立て札がありました。
また、庫裏には虎の屏風があり、子どもの頃から知っているネタがちらほら(笑)。

それで昨日から、一休さんのアニメソングがずっと頭に流れていて困っています(笑)。
他にもありますが、子どもの頃に歌っていた童謡やアニメソングや流行りの歌などは普段忘れていても何かの拍子にふと思い出します。どんな映像だったか覚えていないものでも歌は覚えています。音楽の記憶ってすごいなと実感します。

山の辺の道・長岳寺

最近のウォーキング(夫と)は、滋賀や奈良へも出かけています。

昨日は奈良の山の辺の道を歩いてきました。山の辺の道はガイドブックによれば、大和を囲む東の山麓を伝う道で『古事記』や『日本書紀』にも記されている古い道だそうです。

天理から桜井の間を歩くと16kmで(さらに山の辺の道北コース12kmもある)、そんなたくさん歩く自信がないので、一部を歩きました。紅葉がきれいだという長岳寺周辺にすることにしました。JR万葉まほろば線の柳本駅で降り、長岳寺に行き、山の辺の道を通って隣の長柄駅まで行くというコースです。

長岳寺に向かう途中住宅街の間から突然大きな古墳が見えました。黒塚古墳です。この辺りは古墳があちこちにあります(天理市には1600基!の古墳があるそうです)。黒塚古墳は小高い丘のようになっていて上まで上がることができました。

長岳寺は824年、弘法大師により創建されたそうです。真っ赤な紅葉が見ごろでした。

長岳寺の横のトレイルセンターとその近くで里芋と生のピーナッツを買いました。山の辺の道では色々農作物も売っていることは事前に知っていて、ちょっと期待していました。

それから、山の辺の道を進んで行きました。途中でまた無人販売所があり、柿を買いました。3つで100円! 道沿いには柿畑、みかん畑などがたくさんありました。

山の辺の道で期待していた風景にも出会いました。

3年前の年末にも、奈良で見たい景色を求めて旅行しました。イメージは万葉集です。
山の辺の道には今回行けなかった所にまだ万葉集を感じられる場所がありそうなので、改めて行くつもりです。

3年前の奈良旅行の記録をブログにアップしていたつもりでしたが、ここにはあげてなかったようなので、この後に貼っておきます(わりと盛りだくさんです)。
久々に読んでみると、あまり覚えていないこともあり、色々と調べていたことを思い出しました。
寒かったことが一番記憶に残っています(笑)。

奈良へ

先日、久々に奈良へ行ってきました。
実は少し前から奈良に対してこれまでとは違う関心を持ち始めていて、それで改めて行ってみることにしました。

奈良にはまだ行ったことがない場所がたくさんあります。地図を改めて見ると知らない所がたくさん。これまでたまに行くのは奈良公園周辺が多かったですが、今回は行ったことないエリアへ足を延ばすことにしました。

そう思ったきっかけの一つは「万葉集」
昔の人が歌を詠んだ、その場所に行ってみて自分は何を感じるか体験してみたい。

以前、図書館で万葉集の本(別冊太陽 万葉集入門)を借りて読んだとき、現代人も昔の人も「心」のありようは変わらないのではと感じました。なので自分もその場に立てば、昔の人の気持ちに共感できるかもしれない。そのことがとても興味深く思えました。

(バックナンバーは売っていなかったので、古本を購入しました)

行先は奈良に着いてから決めました。まずは明日香村へ。奈良の中心地から南へ車で約1時間ほど(だったと思います)。

甘樫丘(あまかしのおか)から北側に、万葉集に詠われた大和三山(香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま))が眺められることがわかり登ってみることにしました。

(右端が香具山、その左の小さい山が耳成山)

(右端が耳成山、左端が畝傍山。3つ同じ写真に納まらなかった)

建物や道路など当然昔とは違うけれど、山々などの地形やスケール感などは変わらないでしょう。いい眺め。

春過ぎて 夏来(きた)るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山
(春が過ぎて夏がやってきたらしい。真っ白な衣が干してある。天の香具山よ)
持統天皇
「別冊太陽 万葉集入門」より

これは百人一首にも選ばれている有名な歌ですが、百人一首では
「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」
と少し違っています。

大和三山が出てくる歌は他にもあります。大化の改新の中大兄皇子は大和三山を擬人化した歌を詠んでいます。盆地の中にこぶのように盛り上がったこの三つの山は、印象的で想像力を刺激する魅力があるように感じました。

甘樫丘から南の眺めもなかなかいい雰囲気でした。

丘の上に登ったり降りたりする間、地元の子供たち(小学生くらい?)にたくさん出会いました。息を切らせて走っている子たちもいました。「こんにちは」と挨拶してくれる子たちも! 子供は元気やなあと夫と言いながら微笑ましくその姿を眺めていました。

甘樫丘を降りた後、近くの道の駅へ。柿の葉寿司などを買って食べた後、隣の明日香村埋蔵文化財展示室に寄りました。親切なガイドさんの説明もあり明日香村に様々な歴史の痕跡があることを知り、短い滞在ではとても回れないことがわかりました。

その後、そこから南東へ。前から見たかった石舞台古墳へ向かいました。

でかい! 高さ3~5mくらいでしょうか?

地下もあります。

巨岩!

明日香村観光マップによると、石舞台古墳は蘇我馬子の墓と伝えられる日本最大級の方墳で、使用されている30数個の岩の総重量は約2,300トン!(ピンときません)
明日香村埋蔵文化財展示室に、巨岩を木に載せて多くの人が引っ張っている様子の絵があり、そうやって運んでいたんだと思いましたが、どうやって積んだのか? 昔の人、重機もないのにすごすぎます。

明日香村にはその他にも巨岩がいくつかあるのですが、そのうちの一つ酒船石というのを見に行きました。その近くに亀形石造物というのもありますが、入場時間が終わってて入れませんでした。

何かミステリアスな雰囲気の階段を登っていく。
竹藪を奥に進んでいくと巨岩が横たわっていました。

人工的に彫られた跡が残っている。酒船石という名前は、酒造りに用いられたと伝えられているところからきているということですが、用途は未だ不明ということです。

謎めいた竹藪の外は、このようなのどかな景色。ここを右に行くと飛鳥寺(日本最古の本格的仏教寺院だそうです)ですが、あまりに体が冷えたのでこの日の屋外活動はこれで終了。宿泊先の奈良公園近くのホテルへ向かいました。

次の日、やはりせっかく奈良公園の近くに泊まったのだから、鹿は見ていきたい。その日も0度くらいで寒かったけど、奈良公園へ。

みんなひたすら草(?)食べてる。

かわいい。

奈良公園には囲いがなく、鹿が自由に動き回っていてる。こんな場所はなかなかないと改めて思う(あとは宮島くらい?)。もっと見ていたかったけど寒すぎて、奈良公園横のスタバに暖を取りに。

荒削り。

お茶を飲んだ後、大宇陀へ向かうことに。万葉集に詠まれた風景が見られるのではと前から気になっていた場所です。当日行くことに決めたのですが、改めてガイドブックを見て、万葉時代からの薬草の里であることを知りました。奈良公園から、前日行った明日香村と同じくらいの距離を南東へ。明日香村より東になります。

大宇陀の道の駅でお昼を済ませ、まずは見晴らしの良さそうな、かぎろひの丘万葉公園へ行くことに。そこには、柿本人麻呂の歌碑が立っているらしい。地図とナビを見ながら目的地へ向かいますがなかなか行きつけない。
馬に人が乗った銅像がある公園があり、これかと思ったけど、そこは阿騎野(あきの。大宇陀の古代の呼び名)・人麻呂公園でした(馬に乗っていたのは柿本人麻呂)。寒すぎてそこはそそくさと切り上げる。
かぎろひの丘を探し、そのまま人麻呂公園の横の道を進んでいくと山が近づいてくる。山には雪がうっすら積もっている。道理で寒いわけだ。竜門岳という山らしい。

もう一度よく地図を見て引き返し、人麻呂公園に行く道とは違うもう一方の細い道へ入っていく。わかりにくかったけどようやく、かぎろひの丘の駐車場を見つける。駐車場の横の丸太の階段を上がっていく。

そして、丘の上に登ると、ありました。例の歌碑が。

「ひむかしの野にかぎろひの立つみえてかへりみすれば月かたぶきぬ」

現代語訳を検索してみました。

東方の野に日の出前の光が射し始めるのが見えて、後ろを振り返って(西の方角を)見てみると、月が傾いていた。(マナペディア

解説のサイトは色々あって、現代語訳は微妙に違いますが大体こんな意味ですね。

「かぎろひ」というのは、ガイドブック(楽楽 奈良・大和路)によると

諸説があるが、厳冬のよく晴れた早朝、日の出1時間ほど前の東の空に現れる光で、朝焼けとは違うと考えられている。

こんな限定的な情景を表す言葉があったんですね。柿本人麻呂はこの場所でこの歌を詠んだそうです。しみじみ。

大宇陀は薬草の里ということでしたが、鹿の角も昔から薬として使われていたことが記されていました。鹿茸(ろくじょう)という漢方薬で今もあります。

体が芯から冷え、もう限界だと思いながら、かぎろひの丘を降りました。

近くには森野旧薬園(江戸時代に創設された現存最古の薬草園)がありましたが、駐車場がないようなのであきらめ、また宇陀市歴史文化館「薬の館」は閉館していたためあきらめました。もう少し暖かければ散策もできたかもしれないけれど、今回はこれで引き返すことにしました。

帰り道、桜井のある場所を走っているとこんもりと木が生い茂っている場所があり、もしかして古墳?と思って見ると、鳥居があり、しばらく走ると説明の看板があり、やはり古墳でした。

調べると「箸墓古墳」でした。宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に指定されているそうですが、卑弥呼の墓という説もあるそうです。ちょっとわくわくします。

写真は古墳の茂みの一部です。前方後円墳だそうです。


今回の観光はここまで。京都へ。

あまり多くの場所ヘは行けませんでしたが、知らなかった奈良の魅力に少し触れられて良かった。謎が多くてますます好奇心がそそられました。万葉集に詠まれた場所を含めまだまだ行ってみたい所があります。

古都でも、奈良と京都はかなり違うということを改めて感じました。また暖かい時期に出直したいです。

(2022.1.1)

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大津絵

大津絵をご存知でしょうか?
大津絵美術館(大本山圓満院)には次のように書かれています(抜粋)。

大津絵とは、今からおよそ340年昔(江戸初期)、東海道五十三次の大津の宿場(大津の追分、大谷)で軒を並べ、街道を行き交う旅人等に縁起物として神仏画を描き売ったのがその始まりです。

名も無き画工たちが書き始めたのが始まりで、その多くの絵柄は風刺、教訓の意味を持っています。

実は先日、週末のウォーキングで大津まで行って成り行きで寄った大津市歴史博物館で大津絵を見ました。その近くの圓満院に大津絵美術館があるのは帰ってから知りました。

この博物館には琵琶湖周辺の歴史や近江大津宮、滋賀にゆかりのある紫式部や源氏物語にまつわる展示などがありました。最近、大津の辺りを歩いてその地域の歴史のことを学んだりしているので、どの展示も興味深く面白かったですが、特に大津絵は印象に残りました。

展示物のところに大津絵は民藝運動の柳宗悦もその価値を評価していたという説明があり、なるほどと思いました。柳宗悦は無名の職人たちによる日用品などの芸術性を「用の美」として評価していた人ですが、大津絵にも共通点があると思えます。

特に面白いと感じたのは「鬼の念仏」(画題の一つ。他にも「藤娘」など)です。描かれているのは僧侶の格好をした鬼ですが、偽善を風刺しているようです。外見と内面のギャップを僧侶と鬼で表しているのです。なんだか憎めない感じの鬼たちですが。

機会があれば、大津絵美術館にも行って改めて見てみたいです。

京ことば源氏物語

昨日、冬青庵能舞台へ源氏物語の語りと雅楽の演奏を聴きに行ってきました。
語りは山下智子さん。彼女は高校の同窓生です。
長い年月が流れたのち、偶然電車で山下さんに出会いました。その時に源氏物語の語りをしていることを知り、それから定期的に案内を送ってもらっていました。そのうち行こうと思いつつなかなか行けていませんでした。

今回行くにあたり、予習をしました。源氏物語の中の「紅葉賀(もみじのが)」という部分です。源氏物語は高校の古典でやりましたが内容を全く覚えておらず、何年か前にまとめ動画のようなものでざっくりとした流れを聞いたくらいであまり把握できておらず、また「紅葉賀」だけでは話の途中であり、人間関係とかそれ以前の背景がわからないから、改めて話の始めからの解説動画を聞きました。主に台所に立っている時のながら聞きですが、古典の先生らしき人(?)のその動画は30分くらいの長さのものが続きで30本以上もありました。
途中「紅葉賀」が出てきました。全部聞くのは時間かかりましたが、それらの動画は第一部で、まだ第二部、第三部とあるのですね。なんと長い話。

第一部の動画を聞き終わってから、青空文庫で与謝野晶子の訳による「紅葉賀」を読みました。それで、解説動画では語られていなかった細かい部分を知ることができました。

昨日聴いたのは、国文学者、中井和子さんによって訳された100年ほど前の京ことばによる源氏物語です。読んでいた与謝野晶子の訳とは違うし、他の訳とも違う。

実際聴いてみて、この、京都を舞台にした物語が京ことばで語られることの面白みを改めて感じました。声色も人物に合わせて変えて、表情豊かに語られる様子に聴き入り、見入りました。

山下さんはホームページで女房語りについて次のように述べています(京ことば源氏物語とは)。

 平安期には、宮中に仕える身分の高い女官を女房と呼びました。紫式部も上東門院(一条天皇中宮彰子)に仕える女房でした。
 京ことばは書き言葉ではなく話し言葉です。ですから原文を標準語化したときの地の文の朗読とはすこしニュアンスが違い、宮中に仕える女房が垣間見た出来事を問わず語りに語るという風情があるのです。

問わず語りとは、尋ねられていないのに自分から語ることです。
話し言葉を使うことにより、本を読む朗読ではなく、語っているという様子になる。
山下さんのこだわりが少しでも感じられた気がします。

今回、訳文まで読んだのは「紅葉賀」だけですが、読むことにより(わからないことは調べて)物語そのものが含んでいる多様な文化的価値に触れることができました。全部読めば、この物語が千年以上読み継がれ、世界で評価されている理由がもっとわかるかもしれません
ただ、なにせ長い話ですし、他の色々のことをしていると時間がなさそうです。また聴きに行く機会があれば、それに合わせてその部分を勉強することになるかなという感じです。

雅楽の演奏も楽しみにしていました。笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)の3人による演奏です。「紅葉賀」の中に出てくる「青海波(せいがいは)」という舞楽の曲や、語りのBGMなどを演奏されました。
解説もあり、それぞれの楽器の特徴や音色についてより理解できました。普段弾いたり聴いたりしている西洋音楽とは違う音楽であること、そちらが実は私たち日本人の音楽であるのだと思いつつ、その音色を感じ、その違いについて改めて考えました。

何でもネットで視聴できる時代ですが、やはり実際の体験は面白いですね。その場の空気を含め体全体で感じること、目の前で人が何かをしていることを直接見ることで感じられることは大きいし、そのことによって感受性も磨かれるのではと思っています。

知らない世界をかいま見る

昨日、富田潤さんの織物ワークショップへ行ってきました。
元々友人夫婦が行く予定で予約していたのですが、だんなさんが行けなくなったので私が代わりに参加することになりました。

イベントの前日まで、場所もちゃんと知らず、改めて調べてみると思ったよりだいぶ遠い所でした。住所が京都市右京区嵯峨越畑で「嵯峨」とつくから嵐山くらいだと思っていたのですが、全然違ってうちから電車・バスだと2時間近くかかるとわかり驚きました(右京区も左京区もけっこう広いのです)。

富田潤さんのことも特に調べたりしてなくて、その世界(テキスタイル)では有名で豊富な経験と実績をお持ちの方なのだと行ってから初めて知りました。参加者の方々もそういう分野に携わっておられたり、織物のことにも詳しく、皆さんの話を聞いているうちに、富田潤さんがどういう方なのか少しずつわかってきました。
富田潤さん公式サイト

場違いなのを感じつつ、これも体験と思って初めての織物に挑戦しました。
使ったのは卓上織機。はじめはちんぷんかんぷんでしたが、富田さんやスタッフの方々のご指導により少しずつわかってきました。体験とはそういうものですね。手を動かして初めてちょっとわかる。

ワークショップのスケジュールは以下の通りでした。
午前 作業
昼  ランチ
午後 作業
   工房見学

ランチはワークショップ会場から少し離れた現在お住いの家でいただきました。古民家を元の雰囲気を保ったまま改修した建物にテキスタイルや美術品、古家具や道具などが置かれ、まるで博物館かギャラリーのような雰囲気でした。
富田さんの畑でとれた野菜などを使って富田さんが仕込んだ料理が多く使われていました。おいしくいただきました。

工房は、えっ、こんなところに!と驚くような茂みの中にあって、中には多分一生見ることもないような様々な織機があり、説明も専門的で所々理解できませんでしたが、とにかく貴重な体験をさせていただきました。

越畑という所は初めて知りましたが、愛宕山の山麓で自然豊かな景色の美しいところです。きれいな水が豊富でおいしいお米が作れるらしいです(ランチのおにぎりもおいしかった)。
今回はゆっくり散策する時間はありませんでしたが、また気候のいい時に訪れたいと思える所でした。(越畑について

肝心の作品ですが、コースターを作るというのが目的のワークショップでしたが、皆さん長いのを作られていたり凝った模様にされていたり様々でした。私はのんびりやっていたのであまりはかどらずコースターより少し長細いくらいの敷物になりました。

たまたま誘われて参加したワークショップでしたが、全然知らなかった世界をかいま見れたり、越畑という美しい里山があることを知ったりと、実りある一日でした。

阿波踊り!

なぜか阿波踊りの動画がYouTubeのおすすめに出てきたので観てみました。阿波踊りは昔テレビか何かでちょっと見かけたくらいの程度しか知らなかったのですが、観てみるとなんかすごい。ワクワクしました。

13分くらいの動画で、最初三味線、笛、太鼓と行進してきて、通路の両端に分かれて演奏を続け、5分過ぎたあたりから踊り子たちが進んできます。

動画の概要から引用します。

00:00 オープニング:レレレの連(Opening: Rerere-No-Ren)

00:33 鳴り物・三味線 (Musical instruments: Shamisen)

02:01 鳴り物・笛 (Musical instruments: Transverse flute)

03:07 鳴り物・太鼓 (Musical instruments: Drum)

05:03 女踊り (Women’s dance)

10:00 ちびっこ (Children’s dance)

10:23 男踊り (Men’s dance)

12:50 鳴り物・鉦 (Musical instruments: Small gong)

すごい数の踊り子たち。千人以上はいそう。特に女踊りはしなやかだけれど、迫力あります。

これを観て改めて思ったのは、日本にもこんなに素晴らしい踊りの文化があるのだということです。みんなで揃えて踊る様子を見て、これが今のアイドルグループが大人数で踊るのにつながっていたりしてと想像しました。

阿波踊りの歴史は400年以上あるそうです。

江戸時代には、踊りの熱狂が一揆につながることを懸念した徳島藩から何度も踊りの禁止令が出された。特に、武士が庶民の阿波おどりに加わることなど論外で、1841年(天保12年)には徳島藩の中老・蜂須賀一角が踊りに加わり、乱心であると座敷牢に幽閉された記録も残っている。しかし、阿波っ子たちの心に流れる阿波おどりを完全に絶やすことはできなかった。

阿波おどり会館

昔から権力者が恐れるほどの熱気があったのですね。庶民の間に政治に対する不満がたまっていて、それがよりエネルギーを生んだのかもしれませんね。大勢で踊るとテンションが上がってきて、より熱くなるでしょう。

子どもの頃から音楽も踊りも、ほぼ西洋的なものばかりに接してきましたが(日本ではそれが普通ですよね?)、最近になって日本の伝統芸能も気になってきました。歌舞伎や能のようなものもいいのですが、庶民の間で継承されている芸能にも興味そそられます。特別な人たちが行うパフォーマンスではなく、子どもたちも含む無名の庶民が参加するパフォーマンス。音楽も踊りも元々そういうものではないでしょうか。

富山の「おわら風の盆」も今回阿波踊りの動画を観た後に知りました。

こちらは阿波踊りに比べるとしっとりと静かな音楽と踊りです。日本にはまだまだ私が知らない伝統的な音楽や踊りがあるんだなあと、今頃思っています。

西洋音楽(やそれをベースにした音楽)は今ではすっかり世界の多くの人々が共有している音楽と言えると思いますが、地域の音楽や踊りはそこに暮らす人々によって支えられている希少な文化であると思います。一部の人たちがずっと受け継いできているから、古くからそれがあったことを知ることができる。継ぐ人がいないから消えていった文化は世界中にたくさんあるのではないでしょうか。

半月ほど前、寺町通三条上ったところの其中堂(仏教書専門店)の店頭(仏教書以外のジャンルの本が少し置かれている)で日本の音楽のルーツや種類について細かく書かれた専門的な本を見つけたのですが、迷った末、特に必要ないかと思い買いませんでした。その後、阿波踊りの動画を観て少し気持ちが変わり、先日、其中堂の前を通りかかった時、やはり買っておこうと思って見てみるともうありませんでした。古本は偶然の出会いですから、もう二度と巡り合うことはないでしょう。ちょっと後悔しました。また似たような本を探してみます。前から気になっていたものの、まだほとんど知らない民族音楽学者の小泉 文夫さんの本もまた読んでみたいです。

元々民族などに関係なく人が共通して持っている音楽性には興味がありますが、そこからどのように各地域独特の音楽や踊りがうまれたのか、興味深いです。

詩を味わいながら歌う会

今日はうちのeasy room ピアノ室で「詩を味わいながら歌う会」をやりました。部屋が狭いので定員6人にしていましたが、友だちとその他2人の計3人来てくれました。

先日、「椰子の実」についてブログ書きましたが、古い歌の詩は自然の表現が豊かで、歌い継いでいってほしいという思いをずっと持っています。今回この企画をやろうと思った直接のきっかけは、児童館の若い職員さんが「夏の思い出」を知らないと知ったことです。自分にとってはポピュラーな曲と思っていただけに、これはまずいなと思いました。

今回、夏にちなんだ曲を意識して選曲してみました。

曲目は

・夏の思い出

・ゆりかごのうた

・茶摘

・夏は来ぬ

・あかとんぼ

・たなばたさま

・うみ

・夕焼小焼

・浜辺の歌

です。

みんな福祉関係の仕事をしているけれど、歌う機会はないということでした。最初は声出ない、歌えないと言っていましたが、ちゃんと歌っていました(笑)。曲は全部知っている。

「夏の思い出」に出てくる「尾瀬、水芭蕉」、「茶摘み」に出てくる「あかねだすき、スゲの笠」、「夏は来ぬ」に出てくる「卯の花、楝(センダンの木)、水鶏(ヒクイナという鳥)」はイメージしやすいように画像を用意しておきました。

この中で特に「夏は来ぬ」(=夏が来た)が言葉が古く難しいのですが、みんなこれまであまり深く考えたことなかったと。私もあまり知らなかったので調べてみて、新しい言葉をいくつも覚えました。夏が来たことを表す自然の言葉を知って歌うと、さらに味わいがある。

夏は来ぬ 作詞:佐佐木信綱 作曲:小山作之助

1 卯の花の匂う垣根に、時鳥(ホトトギス)
  早も来鳴きて、忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

2 さみだれの注ぐ山田に、早乙女(さおとめ)が
  裳裾(もすそ)ぬらして、玉苗植うる 夏は来ぬ

3 橘(たちばな)の薫る軒場(のきば)の窓近く
  蛍とびかい、おこたり諫(いさ)むる 夏は来ぬ

4 楝(おうち)ちる川辺の宿の門(かど)遠く、
  水鶏(くいな)声して、夕月(ゆうづき)すずしき 夏は来ぬ

5 五月やみ、蛍飛びかい、水鶏(くいな)なき、
  卯の花咲きて、早苗植えわたす 夏は来ぬ

  卯の花:ウツギ 卯月(4月)に咲くから
  忍音:その年に初めて聞かれるホトトギスの鳴き声
  さみだれ(五月雨:旧暦の5月頃に降る雨)
  山田:山間にある田
  早乙女:田植えをする若い女性
  裳裾:着物の裾
  玉苗:早苗 稲の苗
  蛍とびかい、おこたり諫むる:中国の故事「蛍雪の功」から、なまけずに勉強に励み
                なさいといさめるように蛍が飛んでいる様子
  楝(おうち):センダンの木
  水鶏(くいな):ヒクイナ?
  五月やみ:5月の雨が降る頃の夜の暗さ

でも、卯の花とか五月雨とか、夏というより春から初夏という感じでしょうか。

「椰子の実」もやりたかったのですが、もし知らなかったら少し歌いにくい歌かなと思って今回は入れませんでした。

これらの歌は知ってても歌うこともないし、普段は忘れてるし、思い浮かべることもないと思いますが、改めて歌ってみて、みなさん、いい歌ねとしみじみと感じ入っていました。みんなと一緒なら、イベントとして歌えてしまう。そこがいいと思っています。歌い継いでほしいという私の思いも共感してもらえたようです。

合間に、日本の音楽・西洋音楽の話、生ピアノの特性などの話をしたり、最後にリクエストを受け演奏したり、お茶もしたりして楽しくなごやかな会になりました。次もまたやりましょうという話になりました。

なんとか、少しでもみなさんが歌う機会を作っていきたいです。

たまたま見つけた動画ですが、現代風なアレンジで歌われることによって、今の若い世代にも受け入れられるといいなと思います。

光源氏が語る「物語論」

以前もブログに書いた『日本の芸術論』(安田章生著)をちびちびと読み進めています。実は、この本で一番力の入っている「詩歌論」を読んだ後、しばらく読んでなかったんです。といのは、あまりに芸術を追求して高めることばかりが書かれていて(松尾芭蕉についてたくさん書かれています)、少しひいてしまったんです。

すべてでないかもしれないけど、その対象が無限と思われる「自然」の美。それがすばらしいことには違いないと思いますが、そこから美をすくい取って、「詩」という芸術に仕上げることにに全生命をかけるくらいの厳しさというか、その精神性に、ちょっとそこまでは…と感じてしまって。そういう印象を持ってしまったあたりからは、読み方もちょっといい加減になったかもしれません。すばらしいこともたくさん書いてありますが。

で、しばらくしてから、次の「物語論」というのを読んでみたら、少し興味深いことが書いてあって、ちょっと書いてみようかと思いました。
「物語論」も「音楽論」よりはましなものの、「詩歌論」に比べれば、書かれたものが少ないようです。その中で著者にとっての物語論の中で、最高のものとして『源氏物語』の「螢」の巻のなかに見える物語論をあげています。源氏物語って、昔々、高校生の時古典でずっと読んでいたけど、ほとんど覚えてないというか、そもそもあまり頭に入ってない(笑)。

紫式部が、『源氏物語』の中で自分の物語論を光源氏に語らせているということです。
著者が要約したものは、こうです。

一、物語というものには、実際なかったことがかかれており、そういう点でそのままには信ずべきでないものが含まれている。

二、しかし、それは、さびしい心を慰めてくれるものであり、虚構のなかに人間性の真実をきらめかしているものである。

三、それゆえ、それは、史実を越えて、人間性を描き出すものであり、そういう意味で、史書以上に人間の真実に迫り触れているものである。

四、そういう物語というものは、ある特定の事実をそのままでないにせよ、この世に生きている人間の有様を見聞きするにつけ、書かずにはおられなくなって書いたものである。それはやはり現実に深く根ざして書かれたもので、全く嘘だとはいい切れないものである。

人をひきつける物語とは、その中に受け取る側が共感できる真実があるからだと、実感することはよくあります。
「詩歌論」がどちらかというと、自然に向き合っているのに対し、「物語論」は人に向き合っているという違いが感じられます。この違いは興味深い。
この本は、そもそも自分にとっての興味のテーマで、この本を選んだきっかけ、「私に影響を与えている日本・西洋の芸術についての考え方」にも影響を及ぼしている感じがしています。

「心」と「ことば」

またまた『日本の芸術論』(安田章生著/東京創元社)ですが、前回のブログでこの本では「詩歌論」に重きを置いていると書きました。実際、残っている文献が多いからで、そのことが日本の芸術論の中で、「詩歌」の分野が重要視されてきた表れだと思われます。
詩歌論の章には様々なことについて書かれていて興味深い事柄がたくさんあるのですが、その中からひとつ「心」と「ことば」について書いてある部分を少しピックアップしたいと思います。

「「心」と「ことば」との関係について、その出発点となっている考え方は、『古今集』の序に見られる、「心」を根本とする考え方である。」
中略
「すべて詩(広くいえば文学、芸術)というのは、まず作者の心に詩的(芸術的)感動が存在するのが原則であるから、……」
中略
「内容としての「心」と、表現としての「ことば」とを分けて考えるということは、便宜的なことであるといわねばならないのであるが、日本の詩歌論においては、両者にわけて考えられることが多く、その場合、内容としての心を尊重することが強い伝統となっているのである。」

『古今集』とは調べてみると、平安時代前期の書物。もうその頃に芸術論がすでに存在しているのですね。
「音楽論」にはそのようなことについて書かれたものが見つからなかったから、この本では「名人」について書かれた部分が紹介されていて、前の二つのブログでそのことについて書きました。

「まず作者の心に詩的(芸術的)感動が存在するのが原則」という部分を読んだ時、「それそれ」と思ったんですね。それは私がいつも思っていることで、普遍的なことなのだなと再認識した部分です。他にも「それそれ」と思える部分がたくさんあります。
詩も音楽も表現手段であり、核となるのは「感動する心」であるのだと思います。

塩や野菜もでてきます

前回書いた『日本の芸術論』の中の「音楽論」について少し補足をしておきたいと思います。この本は多くの古い書物(ちゃんと確認できてませんが多分平安時代から江戸時代くらい)から引用文を用い、著者が古い言葉を読みやすく訳し、さらに、考察を加えるというような形をとっています。前回のブログで私が引用した文は、著者の考察文にあたり、さらに元になる文があります(ややこしいですが)。
音楽論の前置きとして、日本の古い音楽書というものは少なく、主として解説的なものか研究的なもので、芸術論的には見るべき点が乏しい、音楽の本質論にわたるような論は見いだすことができなかった、ということです。
その上で、平曲(『平家物語』を琵琶にあわせて語る音曲)における上手の等級を論じた文を引用されています(『西海余滴集』より)。その中の一部が昨日私が引用した文の元となっています。
該当する部分を含んだ著者が訳した部分はこうです。

「名(名人)というものは、節まわしも他の人と違ったところはなく、声もとくべつの声というものでもない。とりわけておもしろいとも聞こえないが、聞いていると、さすがに飽くことなく、いつ終わったとも覚えない。他の人の芸と比較すると、及ぶものはなくて、聴衆は再び聞きたいと願い、またという望みが起るのをいうのである。 たとえていうと、名人は飯のようなものである。味というほどの味もなく、とくにすぐれているというのではないけれども、食物のかしらである。

名人の次の位の上手というのは、塩のようなものである。いい塩を煮加えると、諸食の味がよくなる。ゆえに、過ぎても悪く、また足りなくても悪くて、そのよき程度を加減することがむつかしいのである。上手は、また、いってみれば、三月下旬や四月初めに、瓜や茄子を得たようなものである。最初は珍しいけれども、後にはそれほどでもなくなる。」

ご飯に加え、塩、野菜もでてきました(笑)。食べ物から芸術表現をイメージするのは難しい!(笑)。ユーモアは感じますが。
この本の中で「詩歌論」の方が、書物も充実し、詩を書くことに対する古い時代からの思い入れの強さが感じられます。内容も「音楽論」とは比べ物にならない。「詩歌論」を読めばおおむね日本人が大切にしてきた価値観、芸術観というものが理解できる気がします。他の分野はそれをベースにしていると思えるくらい。
現代人が親しんでいる西洋音楽をベースとした音楽に相当するものは、そもそも日本にはなかったし、昔の人が熱く語ってこなかったことからも、音楽というものにそれほど熱心でもなかったのだろうなと、思えます。
西洋芸術における音楽の重要性と比較すると、日本の場合は、「詩歌」に重きを置いてきたのでしょう。