またまた『日本の芸術論』(安田章生著/東京創元社)ですが、前回のブログでこの本では「詩歌論」に重きを置いていると書きました。実際、残っている文献が多いからで、そのことが日本の芸術論の中で、「詩歌」の分野が重要視されてきた表れだと思われます。
詩歌論の章には様々なことについて書かれていて興味深い事柄がたくさんあるのですが、その中からひとつ「心」と「ことば」について書いてある部分を少しピックアップしたいと思います。
「「心」と「ことば」との関係について、その出発点となっている考え方は、『古今集』の序に見られる、「心」を根本とする考え方である。」
中略
「すべて詩(広くいえば文学、芸術)というのは、まず作者の心に詩的(芸術的)感動が存在するのが原則であるから、……」
中略
「内容としての「心」と、表現としての「ことば」とを分けて考えるということは、便宜的なことであるといわねばならないのであるが、日本の詩歌論においては、両者にわけて考えられることが多く、その場合、内容としての心を尊重することが強い伝統となっているのである。」
『古今集』とは調べてみると、平安時代前期の書物。もうその頃に芸術論がすでに存在しているのですね。
「音楽論」にはそのようなことについて書かれたものが見つからなかったから、この本では「名人」について書かれた部分が紹介されていて、前の二つのブログでそのことについて書きました。
「まず作者の心に詩的(芸術的)感動が存在するのが原則」という部分を読んだ時、「それそれ」と思ったんですね。それは私がいつも思っていることで、普遍的なことなのだなと再認識した部分です。他にも「それそれ」と思える部分がたくさんあります。
詩も音楽も表現手段であり、核となるのは「感動する心」であるのだと思います。