月別アーカイブ: 2018年2月

出張レッスン

先日、友だちが、知り合いの80代の女性にピアノレッスンをプレゼントしたいのだけどと相談してきました。その女性は私も何度か会ったことありますが、ピアノを持ってらっしゃるとは知りませんでした。
もちろん、ご本人にその気があるならOKよ、と返事しました。
その後、友だちはとりあえずレッスンチケットをプレゼント。そして返事を待っていたら、すぐにレッスンを受けたいと連絡があったそうです。

そして、おとといその女性のお宅に行ってきました。
元々、友だちが提案してくれたことなので、いざ始めるとなると、どうしましょ?となりました。ピアノ経験について伺うと、子どもの頃に少し習っていて、そして何年か前にもレッスンに行ってらっしゃったということです。そして、もう遠いから通えないと。
とりあえず、どれくらい弾かれるかお聴きしたいので、弾いてくださいというと、すぐに譜面も見ずにバイエルの曲を2曲弾かれました。間違えつつも手になじんでるようなので、子どもの頃弾いたのをずっと覚えてられるのかなと思いました。それからソナチネの譜面を出して弾きはじめられました。これも以前弾いてらっしゃったようですが、少し無理があるようでした。
それで、しばらく弾きたいと言われるソナチネを私が弾いてみたり、片手ずつ弾いてもらったり、部分練習をしてもらったり、その他色々とアドバイスをしながらすすめていきました。
肩、腕、手と全体的に力が入っているようで、もっと楽にして弾けるといいけど、長年それで弾いてられるのだと思うし、力を抜くように促しましたが、すぐにはなかなか難しいかもしれません。無理な弾き方をして手を傷めなければいいのですが。
約束の1時間はすぐに過ぎました。1回でできることは限られています。なんとなく、それでどうします?という話になり、レッスンはとりあえず続くことになりました。私はとにかくご本人次第と念を押しました。無理にすることは何もないのだし。

レッスンの意味は年齢やその人の目的によって変わってくるのは当然ですが、今回改めて、一つのコミュニケーションだなと思いました。ある行為を通して人と人がつながる、ある時間共通の対象に向き合いその場の体験を共有する、そういう意味合いもあるなと思いました。レッスンの本来の一番の目的は、上達すること、させることだと思いますが、別の側面について思い至りました。
当然のことながら、私は今回のレッスンからいくつかの気づきを得ました。友だちにも感謝です。レッスンを受けられた女性はどう思われたか、特別な感想はなかったのでわかりませんが。

世の中には立派なピアノの先生がたくさんいらっしゃるけど、目的、住んでる場所、タイミング、フィーリングなど様々な条件がある中で、私にお願いしてくださる方もいらっしゃる。
貴重なご縁を大切にしたいと思います。

TuneCoreのイベントへ行ってきました

昨日は、MTRL KYOTO(マテリアル京都)で行われた【ARTIST LOUNGE presented by TuneCore Japan × MTRL KYOTO × 京都精華大学ポピュラーカルチャー学部永田ゼミ 】というのに参加してきました。

TuneCoreでは、曲を登録すると世界185ヶ国以上!(今後さらに増える?)の音楽配信サイトから自分の曲をストリーミングとダウンロードの形で配信してもらえます。

昨日は、TuneCore Japanの社長が、

:世界と日本のストリーミングサイトの現状

:アーティスト成功事例

:配信時のハウツーとTips etc

をテーマにお話をされ、その後質疑応答があるというスタイルでした。

成功事例などあまりに次元の違う話で関係ないかなという感じではありましたが、それでもネット時代だからできること、誰にでも挑戦するチャンスはあるということは再認識できました。それと、とりあえず、まずは知ってもらうために、まだやってないことでできることも教えていただけました。日本と世界の市場規模があまりに違うので、やはり世界へ向けて発信していくべきだなと改めて思いました。

まあ、私のできることはしれていますが、音楽をやっている限りは自分がどこまでできるか?チャレンジしていきたいですね。自分の表現という面と、あとは、ちょっとでも喜んでもらえるようなこと。

その他よかったのは、色々なミュージシャンや音楽関係の方たちとも新たに知り合うことができ、皆さんそれぞれの世界でがんばってらっしゃる話も聞けたことです。京都精華大学の永田先生は、学校とは別にミュージシャンのサポートサービスなどもされているということで、興味深いお話も少し聞けました。

情報や刺激をたくさんもらって、今ちょっと頭の中を整理中です(笑)。

 

行動すること、経験すること

『フリープレイ―人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』(スティーヴン・ナハマノヴィッチ著・若尾裕訳/フィルムアート社)の中の「練習すること」という節の中に、次のような記述があります。

 楽器やスポーツ、あるいはそれ以外の芸術を学ぶなら、誰でも練習、実験、トレーニングが必要です。私たちは行動によってのみ、学びます。何かをやることを想像したり企画したり計画することと、実際におこなうことの間には、非常に大きな違いがあります。空想の恋愛と、複雑さを備えた生身の人間と出会うことは違います。(中略)ひとは、すばらしい創造的な気質や輝くようなインスピレーションや高貴な感覚を持っているかもしれませんが、創作が実際におこなわなければ、創造性はないのと同じなのです。

私の場合、身体を使って、そして考えながらピアノを弾き、そこからさまざまなことを感じ取ったり、創作したりということをしている中で、心と体は切り離せないことはいつも感じています。感覚(鍵盤に触れるという感触と耳から入ってくる音をとらえること)と、思考とが行き来している感じ?

ただ見るという行為でも、絵なら実物を、パフォーマンスならライブを見た方が感覚に訴えてくる部分が大きいと感じます。自然や建築も、そこに身を置いてみて初めてわかることがある。

どれほど便利になっても、知識や情報と、実際の経験のギャップは埋まることがないのだろうと思います。