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即興にトライ

先週のダルクローズリトミックの月例会で、リズム、きれいな和音、メロディアスなメロディを使わない、音の表現のピアノ即興に合わせて他の人が思い思いに動く(ダンスのよう?)という試みがありまして、交代でピアノを弾いたり、体を動かしたりしたのですが、これは私にとって初めての音楽的にしないことを意識した即興演奏でした。

順番がまわってくるまで、できるかな?という思いがありましたが、やってみると面白い。
音楽的にしない、音を素材としたアート表現をしている気分でした。それでも多分、全然音楽をやってない人とは違う表現になるんじゃないかな? 自由な即興といっても直前に次の音をイメージしながら、なるべく耳障りにはならないようにと考えたので。
以前、即興のイディオムについて書いたことがありますが、イディオムによらない即興はその時何が出てくるかわからない、偶然の面白さがある。でも、多分意識してなくてもイディオムの代わりに、どこかにクラシック音楽がベースになっているかもしれないと思いました。他の人がどんな風に感じたかはわかりませんが、自分としては、こんなこともできるんだという楽しい経験となりました。コラボレーションというスタイルがまた楽しい!

春の音楽会

今日はダルクローズ・リトミック京都研究会の会場である、嵐山の小倉山サロンで音楽会がありました。参加者は田中先生のダルクローズ・リトミック指導者仲間や、月例会に参加している人たちで16人ほどだったと思います。それぞれ、声楽曲、ピアノ曲(ソロ・連弾)などを演奏し、合唱をし、軽い食事やお茶などをいただくきながらおしゃべりするという楽しい音楽会でした。

曲目はそれぞれがやりたいものを選んできたのに、バロックから現代(日本の作曲家)まで、またジャズもあり、かなりバリエーションに富んでいて、新たに素敵な曲を知ることもでき、楽しめました。

私はモーツァルトのソナタの緩徐楽章と自分の曲をやりました。皆さんクラシック弾かれるのかなと思ったので、1曲はモーツァルトにしました。おひとり、私のオリジナル曲を聴いて「とてもよかったです、最後の方で涙がでました」などとおっしゃり、色々な言葉ですごくほめてくださったピアノの先生がいらっしゃり、なんという優しい方だろう!と思いました。本当にうれしかったです。たとえ100人に1人、1000人に1人でもそう言ってくださる人がいれば、音楽をやっていてよかったなと思えるのですから。曲のできばえとか、演奏の程度とか、そういうのをすっとばしても何か心に感じてもらえればうれしい!

田中先生にお会いしたのは毎月の月例会を含め、今日でまだ5回目なのですが、豊富な経験に加え、さらに音楽に対する幅広く意欲的な取り組みと、行動力に毎回刺激を受けている気がします。私ももっとがんばろうと思わせていただいています。月例会の内容も勉強になっていますが、それ以上の何か魅力を感じています。

もともとここに来たきっかけは、リトミックの指導の話(ダルクローズの本格的なのではなく)があったからですが、結局お断りした後も、リトミック以外の勉強もあるし続けていて、こうして音楽会に参加していることを、何かのご縁だなと改めてしみじみ思いました。

ミクソリディアを楽しみました

先週の金曜日は、ダルクローズ・リトミック京都研究会の月例会でした。毎回、鍵盤和声・リトミック・ソルフェージュ・即興演奏と4時間ほどほとんど休みなしで行われますが、今回特におもしろかったのは、中世の教会旋法(今回はミクソリディア)を使った曲を聴きながら、何度も出てくるフレーズを覚えて一緒に歌ってみたり、また即席で作ったミクソリディアのメロディをコーラス部分として、その間をソロ回しみたいに順番に即興で歌っていく(コーラス→ソロ→コーラス→ソロ・・・、しかも各自タンバリンや太鼓をならしながら)というものです。

教会旋法は、もとは西洋音楽が長調(長旋法)と短調(短旋法)の二つになる前の、いくつかの旋法です。ミクソリディアはソから1オクターブ上のソまで白鍵のみを弾けばその響きを確かめられます。教会旋法も長調的な響き、短調的な響きがあって、ミクソリディアは長調的な響きです。その前はドリアでしたが、ドリアは短調的な響き。

皆で楽器をならしながら、コーラスとソロ回しで歌っていると、民族音楽感がすごいです。その場で作った曲でもどこかの民族音楽の雰囲気たっぷりです。めちゃ楽しかった。
ピアノ即興でもミクソリディアでトライしましたが、これもなかなか面白かったです。
実は自分の曲の中にも教会旋法的なところは出てきますが、今回何より、皆で輪になって楽器ならして歌って、その魅力を再認識したのでした。

ミクソリディアをグループで体験したあと、『音楽教育における教会旋法を用いた即興の意義』(岩手大学教育学部/中地雅之さん著)という論文をネットで見つけました。
教会旋法の特徴として、

①多様な音楽様式への適応
②旋律的構成の自由と多様性
③和声的な側面において極めて自由
④調性(機能和声)と無調性の両者の性質を持っている
⑤異国や非現実を想起させ、多様なイメージやファンタジーを喚起する

以上、5点があげられています。
なぜ教会旋法が色々な可能性を秘めているか、わかるような気がします。
「即興は、ある音楽様式における取り決めや習慣にしたがって行われる表現活動であり、単なるでたらめな音の羅列とは一線を画する」(引用)
教会旋法はかなり自由であるけど、調性感もあるから、即興の要素として使えるというわけですね。

また以下のように書かれています。
「教会旋法は機能和声が支配的であった約300年間の芸術音楽を除いた西洋音楽やジャズ、非ヨーロッパ圏の民俗音楽に用いられてきた音組織である。我が国の音楽科教育は、皮肉にも教会旋法が用いられなかったこのわずかな期間の音楽―いわゆるバロックからロマン派までのクラシック音楽―を教材の中心に置いてきた。」
バロックからロマン派までの音楽が一般にはクラシック音楽として親しまれていると思いますが、教会旋法はこの間一旦中断した後(ショパンのマズルカなどには使われているけれど)、サティ、ドビュッシー、ラベルなどの音楽家たちによりまた復活するわけですね。

教会旋法はそれだけ聞くと、あまりなじみのない感じがするかもしれませんが、案外色々な曲に部分的に取り入れられていて誰もが知らず知らず聞ると思います。ふと、色調が変わるような不思議な雰囲気をかもしだしますね。
今回、改めて教会旋法の可能性を感じ、考えました。まだまだ勉強は続きます。

身体による表現

今日は京都音楽院で行われたクリエィティブリトミック音楽指導研究のうちの、「身体による表現」(ボディクリエーションコース)に参加してきました。

ちらしによると、「音楽や表現を体験的に理解し、模倣や即興、創作の遊びを通した創造的な音楽活動の提案を実践していきます」などと書かれていますが、どんな内容なのかいまいちわからないまま、でも今私が気になっていることに近い感じもして、トライしてみることにしました。

講師の井上浩子さんは、音楽教育家のオルフやダルクローズの考えを紹介しつつ、体を使ってできる表現について、様々な方法で指導してくださいました。先生はヨーロッパやアメリカで学んでこられていますが、向こうでは音楽家はみんなダンスを学ぶということです。体を使ってリズム感覚を習得するという考えのようです。単なるリズム感覚ではなく、豊かなリズム感覚と感じました。

今日はたくさん体を動かしましたが(音楽ありとなしの両方)、その際どの部位が働いているのかということに意識を向けるということをたくさんやりました。その中で「筋感覚」のお話もありました。

筋感覚については以前読んだ『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』で知り、その話をしました。この本では、筋感覚は五感の次にくる第六感と位置づけていています。ピアノを弾く時どこの関節、骨、筋肉が関係しているのか、そういったことを意識することによって、弾き方が変わってくる。今日のお話と重なる部分があります。

体の仕組みを知りむだな力を使わず動かすという物理的な側面と、音楽を感じて体で表現するという芸術的な側面の両方について改めて考え、また体を動かすことと心理面との関係を認識するなど、とても有意義なワークショップでした。
最近取り組んでいることは、私の音楽そのものと、みんなと共有するための音楽活動どちらにも生かしていけるものじゃないかなと感じています。

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「即興」について考える

今年最初のブログです。今年もよろしくお願いします。
先週の金曜日、ダルクローズ・リトミック京都研究会の月例会に参加しました。田中弥生先生はダルクローズ国際ライセンスをお持ちで、内容はリトミック、ソルフェージュ、即興、鍵盤和声、指導法と盛りだくさんでした。全体を通して即興の要素が多く(リズム、歌、ピアノ)、またグループで行うのでリズムのかけあいをしたり、メロディーを紡いだり、音楽を通してのコミュニケーションを何度も意識し、興味深かったです。

以前ブログで一部ご紹介した『フリープレイ―人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』(スティーブン・ナハマノヴィッチ著/フィルムアート社)は、まだ読んでる途中ですが、この本を読んでから「即興」(インプロヴィゼーション)とは広く創造を意味するものとしてとらえるようになりました。この本の中に「作曲とは、インプロヴィゼーションをゆっくりおこなうことである」というシェーンベルクの言葉が紹介されています。この本では音楽に限らず、生きていく上での「即興」(創造)の重要性を説いていると感じます。
ナハマノヴィッチはヴァイオリニスト、作曲家、詩人、教師、コンピューターアーティストということですが、コンピューターと人間の違いについてこんな記述があります。

「コンピューター演算は、AからBへ、BからCへ進む直線的プロセスであるのに対し、直観はむしろ、集中的な演算です。すべてのステップと変数は、一度に、いまの瞬間という中心の決定点に収斂します。」

AI(人工知能)の進歩が目覚ましい中で、やはり人間にしかできないことについて考えさせられます。人間の創造力によってなされることがそのうちの一つではと思います。

昨日たまたまのぞいた十字屋のワゴンで『おとなと子どものための即興音楽ゲーム』(リリ・フリーデマン著/音楽之友社)という本を見つけました。少し読んで著者にとても興味を持ちました(そして40%offで買いました!)。
訳者のまえがきに著者について次のようなことが書かれていました。

「私は音楽療法の勉強はしていません。療法的効果をねらってゲームを考案している訳ではないのです。ただ、私と一緒に一定の期間、こうしたゲームをやってきたおとなや子どもたちから、精神的ストレスが主な原因となる症状がやわらいできた、という話はよく聞かされました。私のいくつかのゲームによって、あるいは、参加者がお互いを認めながら同等のレベルでのパートナーシップの下で進めるというゲームの原則によって、ねらわずとも自己の内面の力が強められ、自身が変わっていくということは、私にも参加者の体験を見ていて確かなことです。」

確かに、先日のリズムやメロディ―や動きの即興は楽しいものでした。精神の解放という感じでしょうか! 音楽を感じてそれを自分の感覚で表現していく。その時に「即興」することで引きだされる可能性のようなものを感じました。普段から常に音楽で表現しているつもりでしたが、また「別の何かがある」という感じ。知らなかった自分?みたいな。
フリーデマンのゲームがどんなものかまだ見ていませんが、やり方はともかく、その結果もたらされたことが興味深いです。
もともとヴァイオリニストであるリリ・フリーデマンが即興演奏や指導を始めたきっかけについて書いてあります。

「いつだったか、ある音楽会議で音楽家たちが集まった時に、こんなことを言う人がいたのです。『こんなに何人もの音楽家が集まっているというのに、一緒に何も弾けやしない。ただ、楽譜が手元にないからって、こんなことでいいのかい?』この言葉は私に大きな衝撃を与えました。」

私はとりあえず自分が即興演奏をしたいというのではなく、創造という意味での即興の持つ可能性を探り、それをなるべく多くの人と共有したいと考えています。

 

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