ミクソリディアを楽しみました

先週の金曜日は、ダルクローズ・リトミック京都研究会の月例会でした。毎回、鍵盤和声・リトミック・ソルフェージュ・即興演奏と4時間ほどほとんど休みなしで行われますが、今回特におもしろかったのは、中世の教会旋法(今回はミクソリディア)を使った曲を聴きながら、何度も出てくるフレーズを覚えて一緒に歌ってみたり、また即席で作ったミクソリディアのメロディをコーラス部分として、その間をソロ回しみたいに順番に即興で歌っていく(コーラス→ソロ→コーラス→ソロ・・・、しかも各自タンバリンや太鼓をならしながら)というものです。

教会旋法は、もとは西洋音楽が長調(長旋法)と短調(短旋法)の二つになる前の、いくつかの旋法です。ミクソリディアはソから1オクターブ上のソまで白鍵のみを弾けばその響きを確かめられます。教会旋法も長調的な響き、短調的な響きがあって、ミクソリディアは長調的な響きです。その前はドリアでしたが、ドリアは短調的な響き。

皆で楽器をならしながら、コーラスとソロ回しで歌っていると、民族音楽感がすごいです。その場で作った曲でもどこかの民族音楽の雰囲気たっぷりです。めちゃ楽しかった。
ピアノ即興でもミクソリディアでトライしましたが、これもなかなか面白かったです。
実は自分の曲の中にも教会旋法的なところは出てきますが、今回何より、皆で輪になって楽器ならして歌って、その魅力を再認識したのでした。

ミクソリディアをグループで体験したあと、『音楽教育における教会旋法を用いた即興の意義』(岩手大学教育学部/中地雅之さん著)という論文をネットで見つけました。
教会旋法の特徴として、

①多様な音楽様式への適応
②旋律的構成の自由と多様性
③和声的な側面において極めて自由
④調性(機能和声)と無調性の両者の性質を持っている
⑤異国や非現実を想起させ、多様なイメージやファンタジーを喚起する

以上、5点があげられています。
なぜ教会旋法が色々な可能性を秘めているか、わかるような気がします。
「即興は、ある音楽様式における取り決めや習慣にしたがって行われる表現活動であり、単なるでたらめな音の羅列とは一線を画する」(引用)
教会旋法はかなり自由であるけど、調性感もあるから、即興の要素として使えるというわけですね。

また以下のように書かれています。
「教会旋法は機能和声が支配的であった約300年間の芸術音楽を除いた西洋音楽やジャズ、非ヨーロッパ圏の民俗音楽に用いられてきた音組織である。我が国の音楽科教育は、皮肉にも教会旋法が用いられなかったこのわずかな期間の音楽―いわゆるバロックからロマン派までのクラシック音楽―を教材の中心に置いてきた。」
バロックからロマン派までの音楽が一般にはクラシック音楽として親しまれていると思いますが、教会旋法はこの間一旦中断した後(ショパンのマズルカなどには使われているけれど)、サティ、ドビュッシー、ラベルなどの音楽家たちによりまた復活するわけですね。

教会旋法はそれだけ聞くと、あまりなじみのない感じがするかもしれませんが、案外色々な曲に部分的に取り入れられていて誰もが知らず知らず聞ると思います。ふと、色調が変わるような不思議な雰囲気をかもしだしますね。
今回、改めて教会旋法の可能性を感じ、考えました。まだまだ勉強は続きます。