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ショパンの演奏美学

レッスンで話題になった(前回の記事で書いた)『弟子から見たショパンーそのピアノ教育法と演奏美学』(ジャン=ジャックエーゲルディンゲル著/音楽之友社)を少し読んでいます。とにかく、分厚い本ですし(注釈も細かく多い)、多分今回も自分の興味がある所を選んで読むだろうと思います。

とりあえず、「序」の中にとても興味深い部分があります。時間がたって記憶があいまいですが前回読んだ時もそう思ってたはず。ショパンのこだわりが感じられる箇所で共感を覚えています。一部ご紹介します。

「ピアノを弾きたいのなら、歌わなければなりません」

P20

「(ショパンの)声楽へのこれほどのまでの愛着と、人を圧倒するような大音量を拒み、自然で素朴な演奏を好むことには、何らかの関係があると見て然るべきだろう」

P21

「(ショパンは)あまりに狭い職人芸的な見方に反対して、技術の習得はもっと芸術的なものだと主張している。空疎な練習を機械的にくり返してだんだんマンネリになるかわりに、聴覚を極度に集中させるのが彼のやり方なのだ!
このような集中によって、すばらしい音色を得るには不可欠な二つの要素が確実に得られる。耳が良くなり、筋肉を自由に動かし弛緩させることができるようになるのである。ショパンによれば技術とは、名人芸を身につけることよりもまず音の響き具合であり、タッチの用い方なのだということをもっと認識する必要があるのではないだろうか。「だからタッチにふさわしい腕の位置さえ覚えてしまえば、このうえなく美しい音色は自ずと得られ、長い音符も短い音符も思いのままに何でも弾けるようになる」

P22

「当時のピアノ教師たちは、無理な練習を重ねて強制的に指を「均等」にしようとしていたのだが、ショパンはその逆を行って、指の個性、つまりもともと「不均等」なものこそ多様な響きを生み出すものとして、むしろ助長していったのである。(中略)こうして彼は弟子に、退屈なばかりか生理学的にも無理を伴う練習をさせず、弟子の奏でる色彩あふれる響きの多様性を一挙に開花させていったのである。

P23

松田先生にも教えていただきましたが、ショパンの目指す音楽とそのための奏法はロシアピアニズムと重なる部分があると改めて感じます。この本を何年か前読んだときは、ロシアピアニズムについてあまり知らなかったので、今回は改めて新鮮な驚きがあります。

共通すると感じる点はピアノで歌うこと、そのためには機械的な練習ではなく耳を研ぎ澄まし音色を聴くこと、美しい音色のためにはそれにふさわしい体の位置を知り、使い方を身につけること、そういったことです。

また、上の引用の中に「生理学的にも無理を伴う練習」というのがありますが、手や指が強い負担を感じるような練習というのは、それによって多少思うようになったとしても、いずれ手の故障につながる心配がありますよね(『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』にも書いてあるように)。例えば指の独立のために特に上がりにくい薬指を高く上げる練習というのもまだあるようですが、手の構造上かなり無理がありますよね。その前提がハイフィンガー奏法だから、奏法が変わればその必要もなくなりますね?
ショパンは体のことを理解した上で、当時のやり方とは違った合理的な考え方で弟子を指導していたということですから、弟子の証言満載のこの本はやはり参考になりそうです(以前ある程度は読んだのですがみんなショパンをほめちぎっているという印象。彼は教育熱心でヨーロッパ各地からショパンの教えを乞いに弟子が集まったとか。その数は正確にはわからないが記録による研究では150人(おそらく長・短期入れて)に及んでるのではないかと。その間に作曲してたとかすごすぎる)。

私がロシアン奏法を習おうと思ったのも、音色や表現をもっと豊かにしたいからです。ロシアン奏法はクラシックの奏法ですが、その奏法を通して自分の音楽表現(ジャンルでくくらない)を良くしていければいいな、自分が前より少しは良くなったかもと思えることができれば、それが続いていけばいいなと思っています。また、これらのことがピアノを弾いておられる方々の参考になれば幸いです。

最新版ではなく私の持っている本です。引用もここからです。

ロシアン奏法とショパンの教えの共通点

今日のロシアン奏法レッスンで、松田先生が『弟子から見たショパン』(ジャン=ジャックエーゲルディンゲル著/音楽之友社)の話をされました。この本はだいぶ前に買って、まだ全部読めず置いてあるのですが、ショパンが指示している弾き方にロシアン奏法と共通する部分があるということです。手の傾け方や、タッチの方法など。該当箇所を教えていただいて、なるほど。ただ、先生のお持ちの本は増補最新版で中身がちょっと変わってそうです。
ショパンが、手の形を理解して無理な弾き方をしないという合理的なことを言っていたことが書いてあったとぼんやり記憶していますが、その他の細かい部分は覚えていないし、また読もうかなと思っています。

ショパンが体のつくりを理解してピアノを弾いていたのと対照的に、同時期の作曲家、シューマンは手に負担のかかる間違った練習をしてしまって手を痛めピアノが弾けなくなってしまった。昔はヨーロッパでも手を鍛えるために変な器具を使ったりしていたみたいですね。

今はまだ、ロシアン奏法の基礎をやっていて、まだ感覚的につかめるには時間がかかりそうですが(当然です!)、普通の曲を弾くとこれまでのように弾いてしまうから、ちょっと控えた方が良さそうです。これまでもそうですが、これからもちょっとずつ地道にやっていくのみです(汗)。

身体を通して理解する

先日はまた松田紗依先生のロシアン奏法のレッスンでした。
本当に一音、一音からのスタートです。手の角度、手首の高さ・動かし方、タッチの仕方などなど色々なことに注意を払って弾くのは大変です。どれかを忘れる(笑)。弾き方を少しでも変えるというのはなかなか大変なことです。先生は根気強く、でも優しく、そうじゃなくて、こう、と何度も見本をみせたり、私の手をとって教えてくださる。先生大変だなあと思う(笑)。そして、ニュアンスを伝えるために、色々な言葉を使って私の想像力に訴えかけられる(例えば食べ物とか)。それがけっこう伝わって効果的。

いくら本を読んでいても、動画を見ていても、実際に自分の身体を思うように(このイメージもまだつかみきれていないけど)動かす難しさはやってみないとわからないものです。頭と体が少しずつつながっていく過程を経ながら、やがて自然と馴染んでくる、それを感じられた時はうれしいもの。

『ロシアピアニズム』に出てきたような内容もレッスンで教わることがあり、逆に本の内容で理解できなかった部分も、こういうことなのかなと直に教わって理解できた気がしました。体の構造から考えて理にかなっているとより納得できます。

ロシアン奏法を取り入れて、これまで弾いていた曲を弾くとどのように変わっていくか、それが何より楽しみです。

音色に目覚めたできごと

もう何年も前になりますが、ポーランドのピアニスト、アンジェイ・ヤシンスキ教授の公開レッスンを見に行ったことがあります。その時の経験が私がピアノの音色に目覚めるきっかけになったと思っています(確か)。公開レッスンですから、先生は自分のリサイタルのようには演奏されないわけですが、合間合間にさらっと見本に弾かれます。その時に聴いたヤシンスキ教授のモーツァルトにはっとさせられたのです。気楽に弾いている感じなのになんという音色。ピアノからあのような音が出るのかと(ちなみにヤシンスキ教授はショパンとモーツァルトがお得意なようです。ボーランド出身ですからね、ショパンコンクールの審査員もされている)。

それからしばらくは、モーツァルトを少しでも美しく弾くことに挑戦していました。下部雑音が混ざらない方がいいのかとか、色々研究もしました。下部雑音を意識しすぎると、打鍵が浅めになり不安定になる。それで、ピアニスト内藤晃さんが書かれた「ピアノでオーケストラを」という冊子を読んでいると、「下部雑音の有無を用いて音色をコントロールする」ことについてなど書かれていて、そうか、曲にもよるだろうけど使い分けが必要なのかと思ったり。なかなかイメージしている演奏には近づけない(汗)。

まあ、そんな経緯があって、音色というものにより注意がいくようになったのです。
ここ何年かは自作曲を作って弾くことが多かったのですが、テンポがゆったり気味でシンプルなものが多い。そうすると自然と出している音一つ一つがわりと良く聞こえて、音質チェックができる。それで、ピアノの残響がきれいなあとか感じているのですが、これはまさに倍音を楽しんでいるんだなと思っていました。

なので、最近読んだ『ロシアピアニズム』(大野眞嗣氏著/yamaha music media)に倍音を響かせる弾き方について書かれていたのを見て、自分はわりとそのつもりなんだけどなあと思っていました。

そして、前回の記事で書いた話につながるのですが、調律師さんが弾き方によって基音と倍音のバランスが変わり音色が変わるということをピアノの構造から説明されるのを聞いて、改めてさらに倍音を響かせる弾き方があると認識しました(何も考えずに弾いても弦は共鳴するから倍音は出ているんだけど)。

そして、松田紗依先生のレッスンで目の前でタッチの違いによる音色の違いを聞いて、感動したわけです(笑)。

今回この記事を書くにあたって、内藤晃さんの「ピアノでオーケストラを」、『ピアノの演奏と知識』(雁部一浩著/音楽之友社)→(この本は確か音色に目覚めるよりずいぶん前に読んだのですが、当時、ピアノの構造上、ピアニストが意図的に操作できるのは音の「長さ」と「大きさ」だけ(雑音効果をのぞき)と書かれているのに対して、そんなもんだろうか?と思っていました。今回、それは違うだろうと思えるようになりました)、そしてヤシンスキ教授の公開レッスン時のメモをチェックしました。

そのメモの中に、「打鍵後、リボンを引っ張るようにその強さを変える」というのがありました。これがもしかしたら、鍵盤の上で指をすべらせる倍音を響かせるタッチのことだろうかと、今頃思いいたりました。当時はメモはしていたけどそこまで考えていなかったと思う。けれど、メモしておいて良かった(笑)。

ヤシンスキ教授の演奏、生で聴く機会はもうないでしょうけど、YouTubeにあったのを見つけました。

それとはまた別に、たまたまYouTubeで倍音について説明されているジャズピアニストの動画を見つけて、なんとなく聞いていたんですが、一通り説明が終わったあと、質問者が、ピアノを弾かれるとき倍音を意識されていますか?と尋ねると、そのピアニストは少し考えてから、いえ、ほとんど意識しません、その他のことに意識がいっているのでと答えられていました。ジャズピアニストの場合、やはりアドリブとか考えることがいっぱいあって大変なのかもしれません。また音数の多い、速い曲などの場合もそういう響きを感じるチャンス自体少ないかもしれない。

ピアノという楽器は音と音の間に段差があり(半音、例えばドとドのシャープの間は音がない)、弦楽器や歌に比べ、「歌う」点において不利な楽器で、不利な点を補う方法の一つとして倍音を生かすというのがあると思います。

先日のレッスンで、松田先生がチッコリーニのテクニックについて弾きながら説明されました。チッコリーニ……すぐに思い出せなかったけど、音源も持っているし、以前本も読んだことがあるのを思い出しました。その本についてブログに書いていたことがあります(美しい音をめざして)。その中からの引用です。

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アルド・チッコリーニが5歳で初めてピアノを習った時の先生が言った言葉です。

「アルド、綺麗な音を出して頂戴! 私に美しい音を下さい! とても表現力に富んだ麗しい音の調べが欲しいの」

『アルド・チッコリーニ わが人生』(パスカル・ル・コール著/全音楽譜出版社)

ちょっとショックなくらい、感心しました。レッスンを始めた時から、自分の出している音を意識させるとは、とてもすばらしいことだと思いました。

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『ロシアピアニズム』に、日本ではデュナーミク(強弱)によって変化をつけ、音色そのものにこだわる指導をしている先生は少ないというようなことを書いてありました。私も自分の経験を振り返り、確かにそういう傾向があるかなと思っています。

この3年ほど前の記事でも、「これからも、美しい音をめざして修行を続けます!」と書いてました(笑)。はい、まだまだ続きます(笑)。

ロシアン奏法を学びます

先日、ある先生からご紹介いただきロシアン奏法の松田紗依先生のレッスンを受けることとなりました。そして昨日、レッスンのためにアトリエ松田へ行ってきました。アトリエ松田はピティナのコンサート会場にもなっていて過去に何度か弾かせていただいたことがあります(ここ何年かは出たいなと思いつつ見送っていました)。先生も私のことを覚えてくださっていて、またお会いできてうれしかったです。このアトリエはもともと松田先生のおじい様の彫刻アトリエで、とてもいい雰囲気の部屋です。何年かぶりの、アトリエ松田のスタインウェイを弾いてその響きにうっとり。高い天井と木(木造)としっくい壁が音をまろやかにするのでしょう。

さて、ロシアン奏法ですが、ブログにも書いていますように、最近『ロシアピアニズム』(大野眞嗣氏著/yamaha music media)を読んだり、YouTubeなどでも解説を聞いたりして私なりに少しずつ勉強を始めていました。ロシアピアニズムという表現は、ロシア奏法とは違った意味合いで使われているように書かれているのを見ますが(定義が色々ある?)、イギリスでロシアン奏法を学び(英国王立音楽院教授スラミタ・アロノフスキー氏に師事され)、長年ロシアン奏法を研究・指導(教則本も多数作られています)されている松田先生がそのように表現されているので、これからそう呼びます。

日々、ピアノを弾いていて、自分がこれでいいのだろうか、どうだろうかとどこかで迷っていた部分が昨日いくらかクリアになった気がします。もちろん、それは始まりで、まだまだクリアになっていく部分があるのだろうなという予感もしました。先生がこの場合はこのように弾く、ここはこのように、という一つ一つにとても説得力があり、なるほどなるほどとうなずくばかり。どのようなタッチで、どのように響かせ音楽表現につなげるか、目からうろこが落ちる落ちる(笑)。

そんなレッスンの中で、タッチによって木の「しなり」が変わるというお話があり、ちょっと興奮しました(笑)。というのは、少し前に、ヨーロッパで活躍されている調律師さんが、YouTubeでピアノの構造から音色について考えることについて語られているのを見ていて、その中で鍵盤のタッチの仕方の違いで、ハンマーを動かすシャンクという部品が「しなる」という話を聞いたばかりだったからです。そのことにより、ハンマーが弦を打つ位置がほんの少し変わり、そのことによって基音と倍音のバランスが変わるということです。『ロシアピアニズム』にも倍音を増やし音色を豊かにすることについて書かれていましたが、昨日まさに、松田先生がタッチの違いによる倍音の響き方の違いを弾いて聞かせてくださいました。もう大納得です(笑)。

実は、何年か前、大阪梅田のKAWAIで行われた、松田先生とピアニスト関本昌平さんのセミナーに参加したことがあり、その時参加者全員がちょっとずつロシアン奏法のタッチについて体験するというコーナーがあり、ほんの短い時間先生から指導を受けましたが、その時はまだそれほどピンときていなかったんです。でも、昨日はビビビときました(笑)。

他に音楽の話など色々しましたが、先生が「縁」ですね、と言ってくださいました。私が音色にこだわって探求している中で、ロシアの奏法に改めて向き合い、結果教えを乞う形で松田先生の所へたどり着いたというのは、「縁」なのかもしれません。温かく迎えてくださって感謝感激です(笑)。

という感じで、しばらくはロシアン奏法の基礎を学びます!

アトリエにはいくつかのすてきな彫刻があります。
かわいいロシア奏法の本も見せていただきました。

手首はどこ?

『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』(トーマス・マーク他著/春秋社)には、正しいボディ・マップを知り、ボディ・マッピングする方法が書かれています。

ボディ・マップとは脳の中でイメージされている身体のことで、ボディ・マッピングとは、自分の身体に注意を向けるトレーニングによって筋感覚を鋭敏にし、それ以前には身体の外の世界にあった情報を自分の中に取り込むことです。

少しわかりにくいですが、わりと分かりやすい例(多分)について書きます。
皆さんは手首ってどこだと思いますか? 私は腕時計をつけたり、脈を測ったりするあたり、小指側のぼこっと出た骨の腕側と思っていました。ところがこの本によりますと、正しいボディ・マップでは、手首の骨というのはぼこっと出た骨の手の側、手の甲の根元あたりなんですね。そこに8個の骨が4個ずつ2段に並んでいてそこから指の骨につながっている。私なかなり意外に感じましたが、その8個の骨によって手を柔軟に動かすことができるのですね。

正しいボディ・マップをイメージしたら、今度はボディ・マッピングです。手首を回してみてください。確かに、腕時計をつけるあたりは回りませんが(ぼこっとした骨は肘までつながった1本の太い骨)、手の甲の根元あたりはわりと自由に動きます。この柔軟さを意識してピアノを弾くと、より余計な力を抜くことができると思います。もともとできていた人には関係ないかもしれませんが、手の甲をひと固まりのようにイメージ(無意識でも)しているのと、根元が自由であることを意識するのとでは変わってくると思います。手首の力を抜いてと言われても、ボディ・マップが間違っていれば違う所に意識がいってしまいますね。

この本は過去にも読んでいますが、改めてそうやったんやと思い返すところがいくつかあり、やはり面白いです。

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学びは続くよ

最近では、YouTubeなどで多くのピアノの先生、ピアニストなどがピアノの練習方法、奏法、音楽表現についてなどを実際に弾きながら説明する動画をアップされていますね。そのことによって色々な考え方、方法があることもわかります。昔なら、自分の習っている先生のやり方が一番正しいと皆思っていたかもしれないけれど、簡単に色々な情報にアクセスできる今は、何が正解なのかわかりにくくなっているとも言えると思います。

こういった動画を色々見ていると、初心者の人なら何をお手本にすればいいのか迷ってしまうだろうし、経験者でも自分のやってきた方法はこれでいいのか、考えさせられるかもしれません。

ただ、それは当然かもしれません。もともと音楽に「正解」などないのだからね。ずっと考えたり迷ったりしながら、やっていくものだと思います。まずは自分がどうなりたいのか、どんな音楽をどのように表現したいのかをイメージし、そのためには誰を見本にしたり、誰の考えを参考にしたりしていけばいいのか、共感できる人の力を借りながら自分で考え、学んでいくもんじゃないかなと思います。

今また『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』(トーマス・マーク他著/春秋社)をパラパラ読んでいますが(久々に読んでまた面白いなと思っています)、最初に読んだときにとても印象に残っている部分があります。もしかしたら、以前もブログで書いたかもしれません(今ネットに上げてる記事以前にも長年たくさん書いていてもはや何を書いたか書いてないか覚えていない)。

アルトゥール・ルービンシュタインが80歳を超えたころに言ったそうです。―「この歳になって、私はようやくピアノを学び始めた」と。
彼は60年以上のあいだ世界的に有名なピアニストであり続けたのですから、このような発言は冗談としか思えないものかもしれません。しかし、彼は本当に誠実な人でしたので、彼のこの発言は、新鮮さ、生命への愛、そして新しい経験を常に受け入れるといった、彼の性格と人生への姿勢を証明しているものであると、私は信じています。

P174

まるで次元の違う人の話ですが、その人にとっての目指すものはそれぞれで、学ぼうと思う限りずっと学ぶことになるんだろうなと思えます。

私も日々迷いながら、考え、試み、また考えと繰り返しています。でもそうやって向き合えるものがあることは幸せだなと思っています。80歳になってもルービンシュタインみたいなセリフを言えれば最高じゃないですか。それだけ前向きにやれているということだからね。


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ロシアピアニズムについて

前回ブログで少しご紹介した本『ロシアピアニズム』(大野眞嗣氏著/yamaha music media)の、とりあえず自分が知りたいと思う部分を大体読みました。知りたかった主な部分はロシアピアニズムにおける体の使い方についてですが、後から確認しやすいように、チェックしておきたい個所は書き出しました(あれどこに書いてあったっけ?と探すの大変ですからね)。

ロシアピアニズムの奏法との比較で書かれているのが、従来型(ドイツや西ヨーロッパの奏法)です。その一部をざっくり簡単にまとめてある部分があったので引用します。

 従来の奏法ロシアピアニズム
どこで支えるか指の関節手の内側や前腕の筋肉や腱
どのような運動が多いか指を上にあげる指を下に下げる
脱力肘で腕の重さを抜く手首で腕の重さを抜く
姿勢椅子を低くし背筋を伸ばす椅子を高くし前傾姿勢

ロシアピアニズムでは倍音を聴き響かせること、歌うように弾くこと、また間違った使い方で手を傷めないことなどを大事にしていて、そのためには上記のような体の使い方を基本にするということです(細かく言えば4大流派がある)。その他にも肩甲骨や鎖骨を意識することなどについても書かれています。これは『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』を読んでから、気にするようになったことです。手以外にも直接見えない体の部分に意識を向けることで、余計な力を抜く練習になります。

この本はクラシック作品の演奏をロシアピアニズムによって追究することを前提に、作曲家やロシアピアニズムのピアニストのことなども書かれています。今の私の目的はクラシック作品の追究ではなく、色々な奏法や体の使い方を改めて研究して、いいと思える部分は試してみて、より自分の出したい音を自由にコントロールできるようになることです。

ピアノは、弦楽器など耳で音を確かめて弾かなければならない楽器と違って、誰がドレミと弾いてもドレミと音が出るんですが、同じ楽器でも弾く人によって全然違う音が出ますよね。著者の大野眞嗣さんは本の中で何度も音色について書かれていますが、私も音色にこだわりたいです。それこそがアコースティックピアノの醍醐味だと思っています。録音すると音質が変わってしまうのは残念ですが……。

 

2021年 あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします。

昨年終わり頃より、改めてピアノのよりよい弾き方について研究しています。これまで以上により手をコントロールして自分の思うままに表現できるようになりたいと思っています。すぐにたどり着いたのがロシアピアニズムです。今このタイトルの本を読んでいます(『ロシアピアニズム』(大野眞嗣著/yamaha music media))。大野さんの名前は以前からネットで何度か目にして知っていましたが、ロシアピアニズムについてあまり詳しくは知りませんでした。

音色を大切にすること、歌うこと、ロシアピアニズムで大切に考えられていることは私も大切に考えていることで、興味をそそられています。より良い音のためにどのように体を使えばいいかは、以前ブログに書いた『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』アンスガー・ヤンケのメソードなどとも共通する点があるように思います。

今年のスタートは、これらのことをもう一度おさらいし、さらに追及していこうかと思っています。役立ちそうな内容はブログでもまた書ければと思います。

ソノリティのある音とは?

「ソノリティ」という言葉をご存知でしょうか?

『目指せ!耳の達人~クラシック音楽7つの”聴点”~』(宇野功芳/山之内正著/音楽之友社)の中の、「Ⅴ 録音はどこまで音楽を伝えるか」という章の中にその言葉がでてきます。一部引用します。

泣けるpp

(前略)

宇野 ぼくもppの効果は実感していますが、本当のppというのはホール全体を満たしていくものだと思っています。それは演奏者がffを出すのと同じくらいの気迫を持って出す必要がある。ただ弱くしただけではあの効果は出ないんです。ppがきちんと表現できる演奏家というのは、優れた演奏家だとぼくは思います。

山之内 ただ音を弱くすると音色的に破綻しますから、そうならないよう響きを保ちながら、でも息を飲むようなppを出すということですね。

宇野 最近のピアニストではアリス=紗良・オットのppが凄かったなあ。《エリーゼのために》を全部弱音で弾いたのですが、これは美しかった。聴こえるか聴こえないかくらいの音量なのですが、ソノリティがあるのでぐっと来るんです。ところが、CDだとただ弱いだけに聴こえてしまう。内田光子がアンコールで弾くモーツァルトの《ソナチネ》第2楽章も全部弱音で、あれにもだいぶ泣かされました。

山之内 でも、その場で聴かないと、素晴らしさが伝わらない。

宇野 マイクに入らない演奏というのもあると思う、ぼくは。

山之内 弱音もそのひとつですね。

宇野 でも、だからこそ良いんですよ。

ソノリティは、この本によると「声と楽器の響きや聴こえのこと」で、優れたソノリティとは、明瞭で聴き取りやすい音のことだそうです。

朝比奈隆さんがリハーサルで「pでもソノリティがない音はダメだ」と言っていたという話も紹介されています。

実は、以前この本は一度読んでいて、ソノリティという言葉は忘れていましたが、小さくて美しい音の話が印象に残っていました。

クラシックでは小さい音から大きい音まで、とても幅が広い表現がありますが、自分のオリジナルではあまり大きな音で弾くことは多分ないので、特に小さな音を丁寧に表現していけたらと思っています。