京都」カテゴリーアーカイブ

京都府立京都学・歴彩館

北山の京都府立京都学・歴彩館をのぞいてきました。京都にまつわる様々な資料が見られます。 隣が京都府立植物園ですが、今日はあまりに暑かったので入りませんでした。
(9/3ツイートより)

カフェ ドルフ

久々に岩倉のカフェ、ドルフへ。 昔学生の頃にもよく行っていました。当時は景気も良くドルフの前の大通りにはたくさんのカフェがありました。 今残っているのはドルフだけ。隣のニフティというカフェも看板は残っているけどもう営業していない。 ドルフとニフティの間に大きな欅が。樹齢300年だそう
(8/20ツイートより)

貴船

久々に貴船へ。
山の方だし川沿いだし少しは涼しいかと思いましたが神社までの坂道往復4kmほど歩くとさすがに暑かった。
車は渋滞でバスも送迎車も止まってる中歩行者は間をぬって右左移動しながら進むというカオスな道。
神社の中の市で座ってコーヒー飲んでる時は涼しい風が心地よかった。
(8/11ツイートより)

祇園祭 2023 宵山

混み合うことはわかってたけど宵山も行ってしまった。今日は8時過ぎくらいに東から烏丸綾小路へ行くとやはり昨日よりもすごかった。なんとか綾小路を室町通まで行き鶏鉾、綾傘鉾、四条通を西に向かい月鉾、郭巨山、四条傘鉾と見て回りました。四条傘鉾ではかわいい子供たちの踊りが見られました!
(7/16ツイートより)

山鉾建て

建築設計している夫が付き合いあるいくつかの工務店の大工さんたちは山鉾を組み立てる作業を手伝っておられます。仕事でなくとも技術継承のため職人としての使命感をもって取り組んでおられるんではないかと思えます。写真は2年前に見に行った鶏鉾の組み立て時の様子です。(7/16ツイートより)

祭ってそれほど興味なかったし、祇園祭も何年も見に行っていないときもありました。 けれどもここ何年か、見方が変わって違った興味が出てきました。 どんな時代になっても変わらずあり続けるもの、拠り所となるもの。進歩し続けるものと対照的に重しになっているもの。その精神性のようなものにです。(7/16ツイートより)

京都御苑と梨木神社

京都御苑へ散歩に行くと、拾翠亭の公開日だったので中に入りました。 日本の建築は庭ありきやねとよく話しています。(5/6 ツイートより)

それから梨木神社へ。 以前境内にマンションが建ったのですが横の寺町通からちらっと見たくらいだったのでどうなったか確かめに行きました。なんと最初の鳥居の後ろに建っていました。木で隠れてますが。参道に建てたとは驚きました。境内にはカフェも。庭でコーヒーいただきました。(5/6 ツイートより)

京都府立植物園がピンチ?

先日、京都府立植物園の再開発の話を知りました。中でも気になったのが、広場に野外ステージを作るということです。

植物園は、植物を観察したり、散歩したり、広場で遊んだり、ベンチに座って本をよんだり、池を眺めてぼーっとしたり、それぞれが思い思いに自然と触れ合うことのできる場所です。

広場に野外ステージ、ですぐ思い出したのが梅小路公園です。以前行ったときに、ちょうど野外ステージで演奏をしていました。スピーカーから流れる音が響き渡っていましたが、こちらは別に音楽を聴きにいったわけではないし、そういう気分でもないし、聴きたい音楽でもない(アコースティックの楽器ならまだ耳にも優しいと思いますが)。今ここに大音量の音楽はいならいと思いましたが、音はさえぎることができません。そこを去るしか音から逃れることはできません。音は音が届く空間を支配してしまうんですね。

広場を離れ、梅小路京都西駅の方へ行くと今度は別の場所でスピーカーから大音量の音楽が……。

スピーカーを使って「にぎやかに」することが楽しい気分を盛り上げる、という考えが普通になっているのかもしれませんが、どこでもそんな風にしてしまうってどうなんだろうと私は思っています。

音楽フェスのように、音楽を聴くために人が集まってくる場所ならいざ知らず、普通の公園での大音量音楽というのは、必ずしも歓迎されないのではないかと思います。梅小路公園で音楽フェスありますが、普段は普通の公園ですよね。

京都府立植物園の中には、自然の山のようなエリアがあり、街中にいるのを忘れるくらい、落ち着いた雰囲気があります。そこに、スピーカーからの大音量をとどろかせるのは、やや暴力的でもあるとも思えます。

街中のスーパーや商業施設では、当たり前のように音楽が流れています(隣接した店が流す音楽が混ざっていたり、途中でブチっと切れてアナウンスが入ったり、延々販促用の同じ曲が繰り返されたり)。あまり気にしている人はいないかもしれませんが、そうだとすればあまりにむやみに音楽が乱用されていて、慣れてしまっているのだと思います。

『シュタイナー教育の音と音楽』ー静けさのおおいの中でー(吉良創/Gakken)の中に次のように書かれています。

生まれたばかりの赤ちゃんにとって、まず必要なのは「静けさ」というおおいです。これは赤ちゃんだけのことではなく、私たち人間すべてにとって、「静けさ」のある状態は必要であり、つくり出さなければならないと思います。

私はドイツで四年ほど暮らしたことがあるのですが、そのときに感じた大きなことのひとつは、すべての環境が、それまでの私のいた東京の環境よりもずっと静かだということでした。

(中略)

そうした生活が続いていくと、自分の耳が変わってきたことに気づきました。今まで気づかなかった音に気づくことができるようになったのです。

P16-17

人間は外部の情報を得るとき、耳よりも目を使います。五感のうち9割近くが視覚による情報というデータもあります。なので音に対しては案外無頓着になりがちかもしれません。音楽関係や仕事柄耳を使う人、その他普通の人よりは音に注意を向ける人もいると思います。私も日々ピアノを弾きながら音色(音質)に耳を傾けます。ですから、音に対してやや敏感な面もあるかもしれません。

そういった個人差はあるでしょうが、やはり自然を楽しむ植物園は静かである方が望ましいと思います。静かであって初めて気づくことがあるはずです。意識していなくても、鳥の鳴き声や風や葉っぱの音が耳に入ってくるでしょう。自然の音は耳の感性を豊かにしてくれると思っています。

広場の野外ステージだけでなく、アリーナを含むスポーツゾーンも植物園に隣接する敷地に作る計画があり、大会や音楽イベントなどがあるとここも「にぎやか」になるかもしれません。にぎやかなのがだめというわけじゃないのです。植物園の雰囲気が壊されるのが残念なのです。まだ、美術館や図書館ならばいいのにと思います。

以下のサイトで署名を集められています。私も賛同しました。

京都府立植物園が危ない!「生きた植物の博物館」の存続にあなたのお力をお貸しください! The Kyoto Botanical Gardens are in danger!

長い年月をかけて作り上げられてきた京都府立植物園が、今後どうなるのか気になります。