月別アーカイブ: 2019年2月

歌うピアニスト

キース・ジャレット のジャズにとどまらない音楽性に興味を持って、聴き始めるとこれまでとは違ったように聴こえてきました。先日たまたまSpotifyで彼の「ケルン・コンサート」の中の「パートⅠ」が流れてきました。このアルバムは昔からうちにあって(夫が高校生の時に愛聴していたらしいもの)、ずっと以前に何度かなんとなく聞いたことはあるのですが、それほど興味を持ってませんでした。ところが、今回はちゃんと聴いて、驚きました。なんと、素晴らしい即興演奏!約26分間にわたるこの作品はその場で作ったとは思えないクオリティです。最初から最後までが一つのストーリーのように繋がっていて、何か物語のよう。この時の演奏は楽器が予定と違っていたり、困難な状況の中で行われたようで、それにも関わらず歴史に残るほど素晴らしいと書かれているのを、感動した後で興味を持って調べてみて知りました。以前はそれほど惹かれなかったものに、強く魅力を感じられるようになったというのは私自身が変わったからかな?

キース・ジャレットは歌いながら弾く人で、そのことも以前はあまり好きではなかったのですが、でもこれは、彼の中に歌があるということだなと思うようになりました。オスカー・ピーターソンはまるでボーカルのようにスキャットしてますね。別に実際歌ってなくても、歌の感じられる作品や演奏が結局私は好きなんだと思います。歌とは旋律で、縦方向の和声に対して、横にずっと繋がって流れていくもの。一つとは限らず、二声だったり三声だったり。バッハもショパンも歌が大切と言っていたことをいつも思い出します。

ケルン・コンサートとはまただいぶ雰囲気の違う、キース・ジャレットの静かなアルバムも好きです。昔の曲などのアレンジでは、わりと原曲の雰囲気を大事にしている感じで、そういったところにも共感してます。クラシックも弾くし、彼の幅広い表現に大いに刺激を受けています。

今度コンサートがあれば行ってみたいなと思いましたが、予定はなさそうで、何年か前の大阪のコンサートでは、お客さんが咳をしたりしたことに気分を害して途中でやめてしまったらしい(詳しい事情はわかりませんが)。それは残念すぎる!今度もしコンサートがあるなら、どうしよう?やはり途中まででも聴いてみたいから行く、多分(笑)。

TuneCoreのArtist Lounge

先週、マテリアル京都で行われたTuneCoreのArtist Loungeへ行ってきました。2時間ほどTuneCoreの社長の話をメインに聞きましたが、特になるほどなと思ったことは、自分の配信している曲の説明をちゃんとするということ。そういえば、それはほとんどしていません。というのも音楽を言葉で説明するのは難しいから。でも、社長の言われたように、曲を聞いてくれればわかるよという姿勢はあかんなと思いました。まずは興味を持って聞いてみようかなと思ってもらわないと始まらない。そのために言葉で表現することが大切になってくる。ということで、次のリリースの時は、ちゃんと書いてみようかなと思います。

リード・シート

ジャズミュージシャンは普通、リードシートを見て演奏しますね。リードシートにはメロディとコードだけ書いてあって、これがジャズの楽譜。弾く音符が全部書かれているクラシックの楽譜とは違います。私も一応、童謡やその他のポピュラーソングなど、児童館などではメロディとコードだけで弾いてますが、これをリードシートと呼ぶのだろうか?それはわかりませんが、まあ適当といえば適当です。編曲して楽譜にしているのもあります。
レッスンで何度か、ジャズをリードシートで弾くことにトライしましたが、ジャズっぽく、ちょっとでもかっこよく弾くには無理ですね。なんか、ノーマルな無難な選択になってしまう。なので、編曲しています。その方がはるかにバリエーションが増える。その過程で色々とネタを身につけていって、何曲もやってそれでリードシート見て感じよく弾けるようになればいいかなと思ってます。アドリブはどっちでもいいです。もう結局ジャズっぽくないかもしれません(笑)。

デューク・ジョーダンのジャズバラード「TWO LOVES」はアドリブのない曲です。たまたまうちにあった古いジャズの曲集に、これの完全コピー譜があって、弾いてうっとりしています。

詩人についての詩

「Poem and Piano」その3をYouTubeにアップしました。
また、「ディキンソン詩集」(岩波文庫/亀井俊介編)より選びました。
タイトルは
「This was a Poet – It is That」です。
詩人とはどういう人かについて書かれた詩です。詩人とは優れた感性の持ち主であり、そして……。詩人についての描写が、とても詩的で素晴らしいと思いました。詩人が書いてるから当たり前かもしれませんが、さすがです。この詩人の性質はまた、芸術家にも当てはまりそうです。

やはり、日本語訳がなければ、文章のスタイルが独特でわかりにくいと思いました。日本語訳を参考にしながら、原文を読んで自分なりに感じて味わうというのがいいですね。

これも前回の、ディキンソン「Tell all the Truth but tell it slant 」と同じく、著作権は切れていますから、原文はいいと思いますが、訳の著作権の扱いがわからずそのまま載せていいのかわからないので、英文だけご紹介します。

This was a Poet – It is That

This was a Poet – It is That
Distills amazing sense
From ordinary Meanings –
And Attar so immense

From the familiar species
That perished by the Door –
We wonder it was not Ourselves
Arrested it – before –

Of Pictures, the Discloser –
The Poet – it is He –
Entitles Us – by Contrast –
To ceaseless Poverty –

Of Portion – so unconscious –
The Robbing – could not harm –
Himself – to Him – a Fortune –
Exterior – to Time –

写真は自分の撮ったものの中から選びますが、詩のイメージを考えるとなかなか決めるのが難しい。わざわざ撮りに行く時間もないですし。曲はすでにアップしている「impromptu1-2 (即興的な曲1-2)」です。自分で見ながら、やはり言葉の力は大きいなと思います。特に素晴らしい詩ですから!詩のおかげで写真や音楽がよりよく感じられる気がします、私は(笑)。よかったらご覧ください。

 

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記号化について

大晦日に、『憂鬱と官能を教えた学校』【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史(菊池成孔+大谷能生/河出書房新書)ーについて少し書きましたが、まだ下巻を読んでいる途中です(なかなかすすまないけど下巻の方がより面白い感じが)。

けっこうページを割いて、コードとモードの話があるのですが、その中に出てくる話で「これは」というのがあります。そう言った箇所が色々あるんですが、その中でも気になった部分です。

記号化について

記号化作業を中心にして現象を斬っていくとさ、すべての現象を記号化できるっていう風な妄想が絶対わいてくるのね。記号化が役に立つのはさ、富士山でいうと七合目ぐらいまで。で、そっから先は遠慮して踏み込まない。っていう風にした方が、どっちかって言うとわれわれの生活上の感覚に合致しているわけなんだけど、えー、七合目まで登ってひき返す山男はいない(笑)。そこに山があるから絶対登るわけですよ。で、富士山なら山頂があるけれど、記号化には山頂がありません。(中略)

記号化を100%達成しよとすると、必ずこういうところに入り込むんですよ。つまり、全部を一覧表にして序列化できるという発想、何かの数的な構造によって事象をすべて捉えようという発想が人間には時折生まれますが、すごくきわめて理論的な当たり前なことを言いますと、数的な秩序で全ての物事を記号化できる唯一の学問は、数学だけです。

本を読んで面白いと思ったり、共感したりするのは、普段から考えていることと接点を感じた時で、この「記号化について」には結構反応しました(笑)。

著者の伝えたかったこととずれているかもしれませんが、ここを読んで思ったのが、(音楽を)記号化できない部分、この部分がけっこう肝というか、本当に難しくて、謎で、秘密な部分じゃないかな? 勉強したってわからない、言語化できない、つかみどころのない。例えば長年愛されている音楽がなぜそうなのか、ある音楽を聴くといつでも心が動くのはなぜか、いくらアナライズしても言葉では理由を説明できないんじゃないでしょうかね。

じゃあ、そこには何が隠されているんでしょう? パッションだったり、愛だったり、感動だったり?? 何でしょう?(笑)