記号化について

大晦日に、『憂鬱と官能を教えた学校』【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史(菊池成孔+大谷能生/河出書房新書)ーについて少し書きましたが、まだ下巻を読んでいる途中です(なかなかすすまないけど下巻の方がより面白い感じが)。

けっこうページを割いて、コードとモードの話があるのですが、その中に出てくる話で「これは」というのがあります。そう言った箇所が色々あるんですが、その中でも気になった部分です。

記号化について

記号化作業を中心にして現象を斬っていくとさ、すべての現象を記号化できるっていう風な妄想が絶対わいてくるのね。記号化が役に立つのはさ、富士山でいうと七合目ぐらいまで。で、そっから先は遠慮して踏み込まない。っていう風にした方が、どっちかって言うとわれわれの生活上の感覚に合致しているわけなんだけど、えー、七合目まで登ってひき返す山男はいない(笑)。そこに山があるから絶対登るわけですよ。で、富士山なら山頂があるけれど、記号化には山頂がありません。(中略)

記号化を100%達成しよとすると、必ずこういうところに入り込むんですよ。つまり、全部を一覧表にして序列化できるという発想、何かの数的な構造によって事象をすべて捉えようという発想が人間には時折生まれますが、すごくきわめて理論的な当たり前なことをことを言いますと、数的な秩序で全ての物事を記号化できる唯一の学問は、数学だけです。

本を読んで面白いと思ったり、共感したりするのは、普段から考えていることと接点を感じた時で、この「記号化について」には結構反応しました(笑)。

著者の伝えたかったこととずれているかもしれませんが、ここを読んで思ったのが、(音楽を)記号化できない部分、この部分がけっこう肝というか、本当に難しくて、謎で、秘密な部分じゃないかな? 勉強したってわからない、言語化できない、つかみどころのない。例えば長年愛されている音楽がなぜそうなのか、ある音楽を聴くといつでも心が動くのはなぜか、いくらアナライズしても言葉では理由を説明できないんじゃないでしょうかね。

じゃあ、そこには何が隠されているんでしょう? パッションだったり、愛だったり、感動だったり?? 何でしょう?(笑)

 

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