月別アーカイブ: 2017年7月

ソノリティのある音とは?

「ソノリティ」という言葉をご存知でしょうか?

『目指せ!耳の達人~クラシック音楽7つの”聴点”~』(宇野功芳/山之内正著/音楽之友社)の中の、「Ⅴ 録音はどこまで音楽を伝えるか」という章の中にその言葉がでてきます。一部引用します。

泣けるpp

(前略)

宇野 ぼくもppの効果は実感していますが、本当のppというのはホール全体を満たしていくものだと思っています。それは演奏者がffを出すのと同じくらいの気迫を持って出す必要がある。ただ弱くしただけではあの効果は出ないんです。ppがきちんと表現できる演奏家というのは、優れた演奏家だとぼくは思います。

山之内 ただ音を弱くすると音色的に破綻しますから、そうならないよう響きを保ちながら、でも息を飲むようなppを出すということですね。

宇野 最近のピアニストではアリス=紗良・オットのppが凄かったなあ。《エリーゼのために》を全部弱音で弾いたのですが、これは美しかった。聴こえるか聴こえないかくらいの音量なのですが、ソノリティがあるのでぐっと来るんです。ところが、CDだとただ弱いだけに聴こえてしまう。内田光子がアンコールで弾くモーツァルトの《ソナチネ》第2楽章も全部弱音で、あれにもだいぶ泣かされました。

山之内 でも、その場で聴かないと、素晴らしさが伝わらない。

宇野 マイクに入らない演奏というのもあると思う、ぼくは。

山之内 弱音もそのひとつですね。

宇野 でも、だからこそ良いんですよ。

ソノリティは、この本によると「声と楽器の響きや聴こえのこと」で、優れたソノリティとは、明瞭で聴き取りやすい音のことだそうです。

朝比奈隆さんがリハーサルで「pでもソノリティがない音はダメだ」と言っていたという話も紹介されています。

実は、以前この本は一度読んでいて、ソノリティという言葉は忘れていましたが、小さくて美しい音の話が印象に残っていました。

クラシックでは小さい音から大きい音まで、とても幅が広い表現がありますが、自分のオリジナルではあまり大きな音で弾くことは多分ないので、特に小さな音を丁寧に表現していけたらと思っています。

テクニックを学ぶ目的とは?

最近、ほぼざざっと読み終えた本、『ピアノ・テクニックの科学ープロフェッサー・ヤンケのピアノメソード』(アンスガー・ヤンケ+晴美・ヤンケ著/アルテスバブリッシング)はなかなかすごい本でした。ピアニストで教育者であったアンスガー・ヤンケさんは、ピアノテクニックの学習において一般的に行われている練習方法(ハノンやツェルニーなど)もバサバサと切り捨て(さんざんやりましたよ(^_^;))、何がよりよい方法なのか、深く追求しています。「楽器、及び身体(腕、手)の構造が演奏動作の条件を定める」(引用)ということを前提として。

「はじめに」のところで、テクニックを学ぶ真の目的を述べたアンスガー・ヤンケさんの言葉が紹介されています。

テクニックがすべてではない。この言葉はもちろん正しい。表現したいと思うものを何も持たない人は、最良のテクニックをもっても伝えることはできない。しかしながら同時にこうも言える。演奏者が感じ、イメージした響きのニュアンスが、目的に適った動きとなって楽器演奏に実現される瞬間では、テクニックがすべてである。「動きに」に変換させないのであれば感性も思考も響きとなっては表れず、演奏はごく個人的な領域に留まって、聴衆に本物の感動を呼びおこすことはない。

ああ本当に、表現したいことをうまく伝えるためのテクニックはまだまだ磨いていきたい!と思っています。自分の曲だからなおさら表現したい気持ちは持っているけれど、私のイメージではもっといい感じ(笑)。

ちょうど今の私にとって役に立ちそうなことを発見したので、早速練習に取り入れています。けっこうわくわくしながら。