日本の古い歌」カテゴリーアーカイブ

ちいさい秋みつけた

11月26日、伏見いきいき市民活動センターで「日本の歌」を歌うイベントに参加しました。夏ごろから一緒に活動させていただいているアンサンブルサウンドドレスというグループが主催です。このイベントについては以前ブログでも告知していました(「歌のイベント」)が、私の持ち込んだ企画がベースになっています。元々ピアノ伴奏で皆さんに歌っていただくというつもりでしたが、歌手とヴァイオリン奏者に参加していただき、それに合わせた編曲をしました。

会場の、伏見いきいき市民活動センター別館集会室は広々した部屋で、グランドピアノがあり、音の響きもよかったです。実は、以前一度アンサンブルの合わせ練習で使ったことがあるのですが、あまりよく覚えていませんでした。
来場者はお子さんも含め30名くらいだったでしょうか。主催者側は出演者合わせ10名ほど。ガラガラでなくてよかったです(笑)。

このイベントに込めた思いは、チラシにもいれていただいている「古き良き日本の歌を次の世代へ」というものです。最初にアンサンブルサウンドドレスの代表者にこの企画について話をした時、ぜひやりましょうと言っていただきました。

日本の古い歌(主に明治時代以降)についてはブログでも何度か書いていますが、日本の自然と心の描写を重ね、詩的に表現されているものが多く、そこを意識すればとても味わい深い。曲の方は、明治以降に日本に入ってきた西洋音楽の影響も大きく、それが現代の私たちでもなじみやすい理由かなと思っています。

今回のイベントでは、曲の背景や、歌詞の意味などを説明してから歌ってもらいましたが、そのために下調べをしている中で、初めて知ったことなどがいくつかありました。その中で特に「ちいさい秋みつけた」の歌詞の背景に心動かされました。

「ちいさい秋みつけた」の歌詞はサトウハチローによって書かれましたが、サトウハチローは幼い時に大やけどを負って、数年間療養のため自由に外に出ることはできなかったそうです。「ちいさい秋」というのは、家の中でも感じることのできたささやかな秋の様子を歌ったものであることがわかりました。

歌詞の中に次のような部分があります。

目かくし鬼さん 手のなる方へ すましたお耳に かすかにしみた

この部分は、外で遊べなかった幼いサトウハチローが、誰かが遊んでいる様子を耳にしたときの描写のようですが、「すましたお耳に かすかにしみた」という部分に寂しさを感じます。子どもたちが外で楽しそうに遊んでいる様子が気になってしかたない気持ちと、遊びたくても遊べない悲しい気持ちがこの言葉に込められている気がします。

そして、1番には「もずの声」、2番には「(わずかなすきから)秋の風」、3番には「(はぜの葉赤くて)入日色」という言葉があります。1番は「耳」で、2番は「肌」で、3番は「目」で感じた秋を表現しています。

また、何を表しているのかはっきりわかりませんが、詩的だなと思う表現があります。

おへやは北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク

幼いころの気持ちを回想しながら書かれたのだと思いますが、歌詞の端々から感受性の豊かさが感じられます。中田喜直さん作曲の悲しげな音楽と相まって哀愁をおびた曲ですね。

今回来られた方々は、日本の古い歌についてやそれぞれの曲の背景の話にどれくらい興味を持ってくださったかわかりません。これらの曲が次の世代へどれくらい引き継がれるのだろうかと思いますが、私はとりあえず、こういった曲の伴奏をする機会があるので、自分ができることをやっていこうと思います。

歌のイベント

11月に開催するイベントのご案内です。

現在、アンサンブル サウンドドレスという演奏者のグループと一緒に歌のイベントの企画をしています。企画内容は、私が提案したものをベースにしてもらっています。

内容は7月にうちのeasy roomでやった「詩を味わいながら歌う会」に近いものです。この時は参加者にピアノ伴奏で歌ってもらいましたが、今回は歌手に来ていただき、またグループのメンバーがヴァイオリンを弾き、それに合わせて歌っていただくというものです(歌手が歌うので聴くだけもありです)。

歌とヴァイオリンとピアノの構成で、今編曲をしています。合わせ練習はまだ先になりますが、初めての試みで楽しみです。世代を問わず、参加していただけるとうれしいです。

グループの代表にチラシも作っていただきました。よいイベントになるよう準備をすすめます。

詩を味わいながら歌う会

今日はうちのeasy room ピアノ室で「詩を味わいながら歌う会」をやりました。部屋が狭いので定員6人にしていましたが、友だちとその他2人の計3人来てくれました。

先日、「椰子の実」についてブログ書きましたが、古い歌の詩は自然の表現が豊かで、歌い継いでいってほしいという思いをずっと持っています。今回この企画をやろうと思った直接のきっかけは、児童館の若い職員さんが「夏の思い出」を知らないと知ったことです。自分にとってはポピュラーな曲と思っていただけに、これはまずいなと思いました。

今回、夏にちなんだ曲を意識して選曲してみました。

曲目は

・夏の思い出

・ゆりかごのうた

・茶摘

・夏は来ぬ

・あかとんぼ

・たなばたさま

・うみ

・夕焼小焼

・浜辺の歌

です。

みんな福祉関係の仕事をしているけれど、歌う機会はないということでした。最初は声出ない、歌えないと言っていましたが、ちゃんと歌っていました(笑)。曲は全部知っている。

「夏の思い出」に出てくる「尾瀬、水芭蕉」、「茶摘み」に出てくる「あかねだすき、スゲの笠」、「夏は来ぬ」に出てくる「卯の花、楝(センダンの木)、水鶏(ヒクイナという鳥)」はイメージしやすいように画像を用意しておきました。

この中で特に「夏は来ぬ」(=夏が来た)が言葉が古く難しいのですが、みんなこれまであまり深く考えたことなかったと。私もあまり知らなかったので調べてみて、新しい言葉をいくつも覚えました。夏が来たことを表す自然の言葉を知って歌うと、さらに味わいがある。

夏は来ぬ 作詞:佐佐木信綱 作曲:小山作之助

1 卯の花の匂う垣根に、時鳥(ホトトギス)
  早も来鳴きて、忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

2 さみだれの注ぐ山田に、早乙女(さおとめ)が
  裳裾(もすそ)ぬらして、玉苗植うる 夏は来ぬ

3 橘(たちばな)の薫る軒場(のきば)の窓近く
  蛍とびかい、おこたり諫(いさ)むる 夏は来ぬ

4 楝(おうち)ちる川辺の宿の門(かど)遠く、
  水鶏(くいな)声して、夕月(ゆうづき)すずしき 夏は来ぬ

5 五月やみ、蛍飛びかい、水鶏(くいな)なき、
  卯の花咲きて、早苗植えわたす 夏は来ぬ

  卯の花:ウツギ 卯月(4月)に咲くから
  忍音:その年に初めて聞かれるホトトギスの鳴き声
  さみだれ(五月雨:旧暦の5月頃に降る雨)
  山田:山間にある田
  早乙女:田植えをする若い女性
  裳裾:着物の裾
  玉苗:早苗 稲の苗
  蛍とびかい、おこたり諫むる:中国の故事「蛍雪の功」から、なまけずに勉強に励み
                なさいといさめるように蛍が飛んでいる様子
  楝(おうち):センダンの木
  水鶏(くいな):ヒクイナ?
  五月やみ:5月の雨が降る頃の夜の暗さ

でも、卯の花とか五月雨とか、夏というより春から初夏という感じでしょうか。

「椰子の実」もやりたかったのですが、もし知らなかったら少し歌いにくい歌かなと思って今回は入れませんでした。

これらの歌は知ってても歌うこともないし、普段は忘れてるし、思い浮かべることもないと思いますが、改めて歌ってみて、みなさん、いい歌ねとしみじみと感じ入っていました。みんなと一緒なら、イベントとして歌えてしまう。そこがいいと思っています。歌い継いでほしいという私の思いも共感してもらえたようです。

合間に、日本の音楽・西洋音楽の話、生ピアノの特性などの話をしたり、最後にリクエストを受け演奏したり、お茶もしたりして楽しくなごやかな会になりました。次もまたやりましょうという話になりました。

なんとか、少しでもみなさんが歌う機会を作っていきたいです。

たまたま見つけた動画ですが、現代風なアレンジで歌われることによって、今の若い世代にも受け入れられるといいなと思います。

椰子の実

「椰子(ヤシ)の実」という曲をご存知でしょうか?
日本の古い歌です。詩は島崎藤村で、のちに大中寅二が曲をつけたということです。
実は私もメロディをぼんやりとしか知らなくて、改めて聴いたりその背景を知って少し興味を持ちました。

言葉や表現が古くて少しわかりにくいですが、現代の歌手が歌えばより親しみやすく、改めていい歌だなと思いました。

この詩が書かれたのは明治時代。
民俗学者の柳田國男が学生だった頃、旅先の愛知県、伊良湖畔の砂浜で、流れ着いた椰子の実を見つけた。友人の島崎藤村がその話を聞き、そこから着想を得、「椰子の実」という詩を書いたということです。

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

旧(もと)の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷の涙

思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん

こちらのサイトより引用しました。意味も書かれています。

昭和になって、世の中のムードが悪くなっていた頃、明るい歌をということで国民歌謡が作られ始め、そのうちの一曲「椰子の実」を大中寅二が作曲したということです。
ところが、この歌はその後太平洋戦争で南方の島に赴いていた兵隊たちによく歌われていたというのです(参考記事)。
そう思ってこの詩を改めて読むと、泣けてきます。切ない。帰りたいけど帰れないというどうしようもない思いを託せる歌だったのかもしれません。

日本の古い歌には、自然や心の機微を表現した文化的、文学的価値があるものも少なくないですね。昔々から、日本人は自然に自分の気持ちを重ね、自然を通して内面を表現することに長けていると感じます。現代人が失いかねない感性が詩の中に生きているような気がします。詩に込められた思いが歌によって未来の世代に受け継がれるといいなと思っています。


こちらの本も参照しています。