行動すること、経験すること

『フリープレイ―人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』(スティーヴン・ナハマノヴィッチ著・若尾裕訳/フィルムアート社)の中の「練習すること」という節の中に、次のような記述があります。

 楽器やスポーツ、あるいはそれ以外の芸術を学ぶなら、誰でも練習、実験、トレーニングが必要です。私たちは行動によってのみ、学びます。何かをやることを想像したり企画したり計画することと、実際におこなうことの間には、非常に大きな違いがあります。空想の恋愛と、複雑さを備えた生身の人間と出会うことは違います。(中略)ひとは、すばらしい創造的な気質や輝くようなインスピレーションや高貴な感覚を持っているかもしれませんが、創作が実際におこなわなければ、創造性はないのと同じなのです。

私の場合、身体を使って、そして考えながらピアノを弾き、そこからさまざまなことを感じ取ったり、創作したりということをしている中で、心と体は切り離せないことはいつも感じています。感覚(鍵盤に触れるという感触と耳から入ってくる音をとらえること)と、思考とが行き来している感じ?

ただ見るという行為でも、絵なら実物を、パフォーマンスならライブを見た方が感覚に訴えてくる部分が大きいと感じます。自然や建築も、そこに身を置いてみて初めてわかることがある。

どれほど便利になっても、知識や情報と、実際の経験のギャップは埋まることがないのだろうと思います。