音楽」カテゴリーアーカイブ

ピアノに合わせて遊びました

ドイツから来日&帰国中の友人夫婦(私の娘と同世代)と久々に会いました。今回初めて友人たちの1歳半の子とも会うことができました。
まずは彼らの希望の京都御苑(御所)で待ち合わせ。
いやあ、かわいい、〇〇ちゃーんと言いながら近寄っていくと、初めて見る私たち夫婦に対し、誰この人たち?という視線。当然の反応です(笑)。

その後御所の中を見学したり、梅や桃が咲いている御苑を散策したのですが、途中で犬を連れた人を見ると、〇〇ちゃんは、何か歌っている。なんと、犬のおまわりさんを歌っている。知ってるところを部分的にですが。家でも色々聞かせているらしく、何曲かレパートリーがあるということ。ドイツ人のお父さんと一緒に歌うと日本語の勉強にもなるという。彼はだいぶ日本語話せますが。私たちも一緒に歌ったりしながら、散策を続けていると、〇〇ちゃんは最初よりは少し笑顔を見せてくれるようになりました。

その後、一緒にうちへ帰り、〇〇ちゃんにピアノの演奏を聞かせてほしいという友人の要望で、まずは伴奏つきで歌ったり、手遊びなどをすることにしました。少し歌ったり振付したり(大人が)しましたが、〇〇ちゃんは静観(笑)。いつも聞いている音源や親子で歌っている時の感じとは違うことに戸惑っていたのか、周りの圧が強くて違和感があったのか?(笑)

私たちの予想に反し、すぐにピアノを指差し興味をもち始めた模様。お母さんの膝から降りこちらに来たので、試しに私が抱っこして膝にのせると弾いてみようとする。私が弾くと真似しようとする。けれども、〇〇ちゃんには鍵盤は重すぎてあまり音は出ない。すると、お父さんお母さんを順番に呼び、その指をつかんで鍵盤に落とす。するとよく音が出る。そうやってしばらく鍵盤で遊ぶ。自分で音がだせないから大人の指を使ったのか、お父さんお母さんにも弾いてほしいから呼んだのか、わかりませんが、ほとんど話さなくても何がしたいのか、身振りや視線で伝わってくる。

その後、〇〇ちゃんはお母さんのところに戻り、また私がピアノ伴奏で〇〇ちゃんの知っている曲を弾いて、皆で振付などしていると、おもちゃのチャチャチャでとうとう手拍子を真似しはじめました。やった(笑)。

それから、これはどう?と森のくまさんを弾き始めたら、〇〇ちゃんは一言「ナイン」。ナインはドイツ語で「No」。却下されてしまいました(笑)。そして、お父さんリクエストのとなりのトトロのイントロを弾き始めたら、〇〇ちゃんはまた「ナイン」。却下(涙)。歌が大好きな〇〇ちゃんも知らない曲には興味がないようです。

そんな様子から、普通の曲はどうかと思いましたが、最後にハイドンの曲を弾きました。すると、今度は最後まで「ナイン」と言われず、後で聞くと〇〇ちゃんは体でリズムをとっていたというのです。

〇〇ちゃんはその後はすっかり私たちやうちの家にも慣れてくれたようで、楽しそうに過ごしていました。

子どもは一人一人違うから、1歳半で何ができるとか、何が好きかとか一般化はできませんが、半日ほど一緒に過ごしてとても興味深かったです。散策時の様子、手遊びも含め、何かを「させよう」とすることに対し、ノーと言う。自分で決めてやりたいという意思が感じられました。それがいつ頃から始まるのか、それもそれぞれでしょうけど、言葉がまだはっきり話せないうちから子どもは意思を持ち始めるということを改めて認識しました。

毎月の児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」でも、以前「ふれあいあそび」をやっていましたが、お母さんがお子さんに一方的に何かをする(寝転がしたり、さすったり、手足を動かしたり)ということを嫌がる子がたまにいるのでやめました。0歳児でまだ寝転んでいるうちはそうでもなくても、自分で動き回れる月齢になると自分のしたいようにしたい子も増えてくる。

赤ちゃん~子どもの様子を見守りながら、どういった音楽環境が望ましいのかについていつも考えますが、今回の経験も参考にしたいと思っています。

京都御苑ではもうしだれ桜も咲いていました。

赤ちゃんと音の世界&ミニピアノコンサート

3月16日、保育所で乳幼児向けの音楽イベントをさせていただきました。定員7組のところ、12組の参加となり、また保育所の0歳児さんたちも来てくれました。

「赤ちゃんと音の世界&ミニピアノコンサート」というタイトルは、昨年の始め、聚楽保育所の保育士さんが考えてくださって一緒に企画していましたが、まん延防止措置が延長となり中止になりました。その後、その方は別の所へ移られたため聚楽保育所での開催はなくなりました。

そして、昨年末にこのイベントの企画について知っておられた養生保育所の方から連絡をいただき、ぜひこの内容のイベントをやってほしいということで養生保育所で開催することになりました。

内容は赤ちゃんと音や音楽についての話とピアノ演奏です。

お話の方では、赤ちゃんの聴覚や音からどういう情報を得ているか、マザリーズ、赤ちゃん向けの歌はどういったものか、音楽から何を感じるか、聴覚だけでなく視覚も含めたコミュニケーションが大切であること、歌いかけの効果など、ブログにも書いているような内容を短くまとめた資料をお渡しして、説明をしました。

演奏の方は、ハイドン2曲、モーツアルト2曲、グリーグ1曲を弾きました。
ピアノはアップライトでしたが、演奏前に生楽器の音とデジタル音の違いについて話しました。普段、多くの人が耳にしている音はテレビ、パソコン、スマホなどからの音だと思いますが、できれば倍音の豊かな生楽器や自然の音などを聞いて違いを感じられるのもいいのではというようなことです。

最後は、職員さんから予想外のアンコールがあり、1曲弾きました。

イベントについてのアンケートを後で見せていただくと、皆さん、好意的な感想を書いてくださっていましたが、中でもお子さんがずっとご機嫌だったとか、体を揺らしていたといった感想はうれしかったです。

そして、保育所の0歳児さんたちがおとなしく聴いていて驚いたと付き添いの保育士さんたちに聞かされました。普段はそうでもない子たちだそうです。背中を向けて弾いていたのでそういった様子がわからず、その話を聞き喜びました。

目の前で人が演奏していて、楽器がなっているということを初めて見た子も多かったかもしれません。

お話や演奏を通して、何か感じていただけたらいいなといつも思っています。

目を見て

前回マザリーズについて書きましたが、これまで赤ちゃんは目よりも耳がいいので、音によるコミュニケーションはより有効であると考えていました。
イベントの資料作りのために、参考文献にしている『赤ちゃんの心はどのように育つのか』(今福理博著/ミネルヴァ書房)を読み返してみて、また新たに以前はそれほど気に留めていなかった部分が気になりました。とても重要だと感じたことです。

それは、赤ちゃんは自分に語りかけている相手の目や口元を見ているということです。新生児のうちは視線が定まらない感じではあるけれど、ちゃんと赤ちゃんの目を見ながら話すということは意味があるということです。大人が思っている以上に赤ちゃんは目が合っている人の語りかけ、歌いかけに注意を払い、音(聴覚)と口の動き(視覚)で言葉を覚えていくようです。それがいつから始まるのかはっきりしているわけではないですが、実験では生後間もなくであっても口の形を見て模倣することができると確認されているようです。

赤ちゃんの視力は弱いので、目で確認するということについてこれまであまり重視していませんでした。以前、乳児の視力は0.01~0.02程度であると書かれているのを見て書き留めていたためですが(どの本であったか今はわかりませんし、そもそも乳児の時期があいまい)、今確認できるものを見ると、1か月児(新生児から乳児と呼ばれ方が変わる時期)の視力はおよそ大人の4分の1程度(この場合の基準となる大人の視力がわかりませんが)、乳児で30cmで焦点が合うということです(『発達心理学』(本郷一夫編/遠見書房)「知覚・認知の発達」)。抱っこした時に赤ちゃんからちょうどよく見える距離ですね。
資料によってばらつきがありますが、今回取り上げている参考文献によれば、これまで思っていた以上に早く見えるようになると言えそうです。生まれたては0.01程度でもその後少しずつ見えてくるようになるのでしょうから、乳児期に入ってまだ0.01というわけではないだろうということですね。ちなみに視力0.01の焦点距離は10㎝以下ということです。

赤ちゃんが声から学んでいく際に視覚も大事な要素であると認識しました。

また、マザリーズや歌いかけは赤ちゃんが好むわけですが、スピーカーを通してではあまり意味がないようです。

赤ちゃんにとっては人以外(たとえば、機械などの人工物)から伝達される情報の学習は、効果的ではないと考えられます。

『赤ちゃんの心はどのように育つのか』p.83

目を見て、直接語りかけたり、歌いかけることが大事なのですね。当然と言えば当然と思えますが。

また、感動したのは、歌いかけの効果です。
言葉の発達への影響に留まらず、心を落ち着かせ、その後の成長における内面の安定にもつながるのではということです。

本で書かれていることは、研究がもとになっていて、同じことをして同じような結果が得られるとは限らないと思いますが、目を見て語りかける、歌いかけることはお互いにとって心が安らぐことで、それだけでもよいことではないでしょうか。

私自身、これらのことを子育ての時に知っておきたかったと思います。知れば知るほど赤ちゃんの発達は早くから始まっていることがわかり、驚くばかりです。

マザリーズ

今まで何度か子育て講演会(音楽の話や演奏など)の中で「マザリーズ」について話しています。マザリーズとは、赤ちゃんに向けた、やや高めのゆっくりした抑揚のある話し方(母親語、乳児向けの話し方)のことを言います。赤ちゃんはマザリーズが大好きということです。

1月の後半から2週間ほど生まれて間もない孫と過ごしましたが、家中赤ちゃん言葉が飛び交っていました(笑)。理解できるはずはないけれど、色々と話しかけてしまう。その時、みんなマザリーズのような話し方になっていました。赤ちゃんがそれを好むかどうか知らずとも、赤ちゃんと向き合えば自然とそのような話し方になる感じがします。

生後半年の間、赤ちゃんが音から得ている情報は「音声のリズム」「抑揚(ピッチの変動)」「韻律情報(強さの情報)」と考えられているということです。

マザリーズは赤ちゃんにとってとらえやすい音(情報)であるのでしょうね。そして、マザリーズは普通の話し方よりもより音楽的ですね。子守唄はマザリーズから発生したのではないでしょうか。

赤ちゃんを見ていると、まだ何もわからなくても色々なことを感じているのだろうと思えます。おなかがすいたり、不快だったりすると泣く。抱っこして話しかけたり、体をさすったり、歌を歌ったりしてあやすと泣き止んで穏やかな表情になる(おなかすいている時は通用しないけど)。

赤ちゃんの感情表出はまず「興奮」と「不快」から始まる。けれども、他の感情も誕生時には備わっていると考えられているということです。

不快なのはわかる気がします。今まで(おなかの中)と全然違う環境に放り出されたのだから。

赤ちゃんは何も理解できなくても、何かを感じているはずと思えば、気遣いながら接することができます。なぜ泣いているのだろう? おなかもいっぱい、おむつもかえたところなのに。どこか痛いのかな? かゆいのかな? 不安なのかな? わからないのだけれど。

私が赤ちゃんや子どものことについて、専門書を読んだり、よく調べるようになったのは、10年ほど前児童館に行きだしてからです。自分の子育ての時はそこまで調べられていなかった。
自分が得て役に立つと思える情報は、自分の娘にもですが、子育てする人たちとも共有できればいいなと思っています。

3月には初めての保育所でお話と音楽のイベントをさせていただきますが、そこでもマザリーズについて話す予定です。

以下、これまでもご紹介していますが、参考文献です。 

ちいさい秋みつけた

11月26日、伏見いきいき市民活動センターで「日本の歌」を歌うイベントに参加しました。夏ごろから一緒に活動させていただいているアンサンブルサウンドドレスというグループが主催です。このイベントについては以前ブログでも告知していました(「歌のイベント」)が、私の持ち込んだ企画がベースになっています。元々ピアノ伴奏で皆さんに歌っていただくというつもりでしたが、歌手とヴァイオリン奏者に参加していただき、それに合わせた編曲をしました。

会場の、伏見いきいき市民活動センター別館集会室は広々した部屋で、グランドピアノがあり、音の響きもよかったです。実は、以前一度アンサンブルの合わせ練習で使ったことがあるのですが、あまりよく覚えていませんでした。
来場者はお子さんも含め30名くらいだったでしょうか。主催者側は出演者合わせ10名ほど。ガラガラでなくてよかったです(笑)。

このイベントに込めた思いは、チラシにもいれていただいている「古き良き日本の歌を次の世代へ」というものです。最初にアンサンブルサウンドドレスの代表者にこの企画について話をした時、ぜひやりましょうと言っていただきました。

日本の古い歌(主に明治時代以降)についてはブログでも何度か書いていますが、日本の自然と心の描写を重ね、詩的に表現されているものが多く、そこを意識すればとても味わい深い。曲の方は、明治以降に日本に入ってきた西洋音楽の影響も大きく、それが現代の私たちでもなじみやすい理由かなと思っています。

今回のイベントでは、曲の背景や、歌詞の意味などを説明してから歌ってもらいましたが、そのために下調べをしている中で、初めて知ったことなどがいくつかありました。その中で特に「ちいさい秋みつけた」の歌詞の背景に心動かされました。

「ちいさい秋みつけた」の歌詞はサトウハチローによって書かれましたが、サトウハチローは幼い時に大やけどを負って、数年間療養のため自由に外に出ることはできなかったそうです。「ちいさい秋」というのは、家の中でも感じることのできたささやかな秋の様子を歌ったものであることがわかりました。

歌詞の中に次のような部分があります。

目かくし鬼さん 手のなる方へ すましたお耳に かすかにしみた

この部分は、外で遊べなかった幼いサトウハチローが、誰かが遊んでいる様子を耳にしたときの描写のようですが、「すましたお耳に かすかにしみた」という部分に寂しさを感じます。子どもたちが外で楽しそうに遊んでいる様子が気になってしかたない気持ちと、遊びたくても遊べない悲しい気持ちがこの言葉に込められている気がします。

そして、1番には「もずの声」、2番には「(わずかなすきから)秋の風」、3番には「(はぜの葉赤くて)入日色」という言葉があります。1番は「耳」で、2番は「肌」で、3番は「目」で感じた秋を表現しています。

また、何を表しているのかはっきりわかりませんが、詩的だなと思う表現があります。

おへやは北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク

幼いころの気持ちを回想しながら書かれたのだと思いますが、歌詞の端々から感受性の豊かさが感じられます。中田喜直さん作曲の悲しげな音楽と相まって哀愁をおびた曲ですね。

今回来られた方々は、日本の古い歌についてやそれぞれの曲の背景の話にどれくらい興味を持ってくださったかわかりません。これらの曲が次の世代へどれくらい引き継がれるのだろうかと思いますが、私はとりあえず、こういった曲の伴奏をする機会があるので、自分ができることをやっていこうと思います。

音楽と心の関係

10月30日、ドイツ音楽療法センター主催のオンライン公開講演会に参加しました。講演会のタイトルは「自分の音楽とつながる & 他者の音楽とつながる」です。

この講演会について知った時は確かチラシの説明を読んでだけで、それほど明確なイメージを抱いたわけではないのですが、なんとなく自分の興味と接点があるように感じて申し込みました。

前半のテーマは「自分の内なる音楽とつながる」、後半のテーマは「他者の音楽とつながる」。
特に前半は普段自分が考えていることと重なることも多く、思っていた以上に興味深かったです。
オンラインでただ聞いているだけでは忘れてしまうだろうから、先生の話を聞きながら画面に映されるレジュメをひたすらノートに書いていました(前半部分を。後半はほとんど動画だったので)。せっかくですから資料として残せるように。

というわけで、前半部分は手元に資料もあるので一部ご紹介します。

まず、生まれた後の環境、養育者の接し方が子どもの性格を変えるような影響があるということです。肯定的に受け入れられていると感じている子は精神的にも安定し、そうでない子よりも良い影響を受けるということです(この辺りのお話は今勉強している発達心理学と重なる部分があります)。

そして、音楽教育が内面に与える影響についての話です。
子どもが、楽譜の通り、先生の言われる通り弾くという教育の中で、内面の音楽を表現するチャンスやそれを認めてもらえる機会はあるか、 レッスンで否定されたことが自分を否定されてしまったように感じないか、というような内容です。

さらに、自分の内面にある音楽に意識を向けるための手段としての「即興演奏」の話です。
例として楽器演奏経験がない人(確か)と音楽家(音楽療法士)に対するセラピーが紹介されました。
どちらも音源を聴かせていただきましたが、楽器経験のない人の方は、「音」によって何かを表現しているようでした(ギターを使って)。色々な音を出してみることで何かに気づき自分の気持ちに向き合うことができることもあるようです。
一方、音楽家は自分の表現したい音楽がわからなくなっていたのですが、即興にトライして自分の中にある音楽を奏でることができ、肯定的な心境に変化していったということです。とてもまとまりのある自然なピアノ演奏でした。

お話の中で出てきた音楽療法士は、音楽で人のために役立つ仕事をしているはずですが、自分自身にとっての音楽がわからなくなっていてそれが苦しみの原因だった。今回の講演会は、「演奏家とセラピストに向けて」ということですが、音楽家にも特有の悩みがあり、時にはセラピーが必要なことがあるのかもしれないと改めて思いました。改めて、というのはこのようなことはだいぶ以前から私の意識の中にはあったからです(何年か前、『音楽気質―音楽家の心理と性格』という本を読んだ頃から特に意識し始めました)。

この記事を書いているのは、講演会からしばらくたってからですが、音楽と心の関係というのが私にとって大きな関心事であることを、講演会の内容を振り返りながら再認識しています(振り返れば音楽と心の関係に興味を持ち始めたのはずっと以前、人はなぜ音楽を聴くと涙がでるのかと思い始めた頃だったと思います→関連記事『どうして涙が出る』?)。

最近の私の関心事を端的に言葉で表わすと「音楽心理学」ということになりそうですが、『音楽心理学ことはじめー音楽とこころの科学』という本を読んでいる途中です。専門的なのと翻訳がややわかりにくい感じなのと合間に読んでいるというのもあって、なかなか進みませんが、興味深い内容です。
ちなみに、京都橘大学の心理学の科目には音楽心理学やそれに近いものはなかったので、今後も自分で関係ありそうな本を読んでいこうと思っています。

久々のピティナステップ

今日は久々にピティナのステップに参加してきました。実に7年ぶりです。それ以前も何年か、参加するのは京都修学院(アトリエ松田)だけになっていましたが、この会場も2~3年ほどはコロナのために開催されていなかったようです。
しばらく出ていなかったのは、オリジナル曲の作成と録音をやり始めたからだったと思いますが、松田先生の所へ来させていただているうちに(ロシアン奏法を学びます)、また出てみようかという気持ちになりました。

弾いたのはメンデルスゾーンの無言歌集から、「瞑想」(Op.30-1)「ヴェニスのゴンドラの歌」(Op.30-6)、「岸辺にて」(Op.53-1)の3曲。無言歌集は他にも好きな曲がありますが、出ると決めたのも2か月ほど前だったのでとりあえずの選曲となりました。

わりと無難な選曲をしたつもりですが、この3曲のうち「瞑想」がかなりポリフォニックで特にエンディングに近づくあたりは弾き分けしにくいところがあり、けっこうてこずっていました。「岸辺にて」は同じようなパターンが繰り返されるので、単調にならないような工夫が必要でした。
とりあえず、まあまあ落ち着いて弾けたのでよかったかな。

私の出たのは最終の部だったので、終わった後、以前何度か一緒に出演して知っている人やその他聴きに来られていた人たちなどと歓談しました。
アトリエ松田はとてもアットホームでなごやかな雰囲気があります。松田先生のおおらかなお人柄とも相まってか、打ち解けた雰囲気になりやすいのだと思います。
レッスンで弾かせていただいている場所ですが、やはりコンサートになるといつもと違った雰囲気になります。暗くなって照明が灯ると、昼間とはまた違った魅力が感じられる空間です。この雰囲気が好きと思える人たちとはどこか、共感できる感性があるのかもしれません。

来年はどうなるか。とりあえず、やろうとしてることが山ほどあるのでまた考え考えやっていくのでしょう。

(夫に写真を頼んだのですが、後ろの方から撮ったため人がたくさん写ってしまって、その部分を切りとったらこんな感じになりました。何をしている写真かわからない(笑))

メンデルスゾーンの本

メンデルスゾーンの無言歌集に好きな曲が何曲かあり、今は3曲練習もしています。メンデルスゾーンについて書かれた本を前から探していますがあまり種類がありません。音楽之友社が出している「作曲家・人と作品シリーズ」にも今のところありません(出るのを期待しています)。図書館で検索してもあまりなく、とりあえず『メンデルスゾーンの音符たち』(音楽之友社)という本を借りてみました。

この「音符たち」シリーズがあるのは前から知っていましたが、2年に渡って『音楽の友』誌で連載されていて書籍化されたものです。メンデルスゾーンでこのシリーズは終了したということです。

これまで色々な作曲家の本を読んでいますが、伝記的なものが多く、彼らがどのように音楽に向き合っていたのか、どんな人生を送ったのか、人として興味があります。
『メンデルスゾーンの音符たち』は作品ごとの解説のような本です。ですから、メンデルスゾーンがどのような人だったのか、あまりわからないようです。とりあえず無言歌集のところを読みましたが残念ながら7ページだけです。取り上げられている作品はごく一部。ページ数などの制約もあったように書かれています。

まず「はじめに」では著者の池辺晋一郎さんはメンデルスゾーンを絶賛しています。

メンデルスゾーンはまちがいなく、音楽史上屈指の天才だ。しかも、極めて正統的な天才である。和声法、対位法、フーガや管弦楽法……エクリチュール(書法)に関する技術の高さはバッハに比肩できると言って過言でない。

その割には、他のメジャーな作曲家に比べるとそれほどその作品を知られていないと思います。派手さがないから?? 正統すぎるから??

7ページと少ない中にも、興味深いことが書かれています。

この曲集は6曲ずつの8巻で合計48曲。最初の巻から最後の巻(死後刊)までは20年以上の期間があります。全部で48曲ということはバッハの平均律クラヴィーア曲集のようにすべての調性で作られているのかと言えば、そうではない。それどころか、♯、♭は4つまでの調でおさえられている。
少し驚いたのは、この48曲中メンデルスゾーン自らがタイトルをつけたのは5曲のみだったということ。それは、3曲の『ヴェニスの舟歌』(Op19-6, 30-6, 62-5)、『デュエット』(Op38-6)、『民謡』(Op53-5)ということです。おそらく無言歌集の中で一番有名な『春の歌』も別の人がつけたのですね。

この本で取り上げられた無言歌は3曲の『ヴェニスの舟歌』と、『春の歌』(Op62-6)、『紡ぎ歌』(Op67-4)です。たまたま今弾いている舟歌が入っているというのは運がいい!
解説を読んで曲の中に仕掛けられた伏線のようなものに気づかされました。

無言歌集の曲を特に弾きたくなったのはわりと最近ですが、以前読んだ本で無言歌について言及されていたことがずっと印象に残っています。
その本は、『ある「完全な音楽家」の肖像』(―マダム・ピュイグ=ロジェが日本に遺したもの)です。2011年、その頃書いていたブログでアンリエット・ピュイグ=ロジェの言葉を紹介しています。

「全体に、ことさら難しいものを求め、やさしいものを馬鹿にする傾向があるのではないでしょうか。技術的に難しい曲が、かならずしも音楽的にすぐれたものとはかぎらないのですが……。たとえば、ピアノ曲のレパートリーの中でもとくに難しい作品を弾きこなす学生が、メンデルスゾーンの《無言歌》やフォーレの作品など、技術は中程度の難しさで、自身の人間性を最も発揮しなければならない曲になると、どう弾いていいか困ってしまう。全体にアクロバティックなパフォーマンスが重視される傾向にあるのは、悲しむべきことで、胸が痛みます」

なるほど、無言歌はそういう難しさがあるのだと当時改めて思いました。豊かな表現力を求められるような曲は若いころよりも年を重ねた方がより深みがでそうです。
無言歌集の曲はポリフォニックな曲が多く、声部を弾き分ける難しさというのもあります。メンデルスゾーンはバッハのマタイ受難曲を世の中に知らしめた人です。やはりバッハに強く影響を受けている作曲家の一人ではないでしょうか。

途中から無言歌の話ばかりになりました。
また別のメンデルスゾーンの面白そうな本を見つけたら読んでみたいです。

ノラ・ジョーンズのライブ

17日、大阪城ホールで行われたノラ・ジョーンズのライブに行ってきたので、メモ程度に書いておこうと思います。

ノラ・ジョーンズは以前から夫がたまに聴いており、私もそれを耳にしたりたまに自分でも聴いてみたりという感じでした。夏前、ノラ・ジョーンズの来日が分かった時、夫が行かない?というので行くことにしました。

大阪城ホールへ行くのは何十年かぶり。あいまいな記憶ではホイットニー・ヒューストンのコンサートへ行ったのが最後ではないかな。

さて、コンサートではノラ・ジョーンズの存在感、オーラを強く感じました。彼女の音楽、雰囲気のある独特の歌声、歌い方が作り出す独自の世界を間近で見ることができました。

声を出さないようにという会場側の要望で、観客は演奏や舞台からの呼びかけに対し拍手で答えるような形でしたが、最後の方で「ノラ!」と声をかける人が出てくると、ノラ・ジョーンズは待ってましたとばかりに応えていました。その後、ちらほらと声が出て、ファンが熱い思いをこらえきれないのが伝わってくるようでした。

ノラ・ジョーンズの代表作、「ドント・ノー・ホワイ」(Don’t Know Why)」がアンコールで歌われた時が、やはり最も盛り上がったように思います、多分。
私もこれまでこの曲をよく耳にしていて、まだかな?という気持ちで待っていました。
何度も聞いたことがある曲を初めて生で聴くのですから、それは期待しますよ(笑)。
アレンジも素敵でしたし満たされた気持ちでライブの終わりを迎えました。同じような気持ちの人、多かったのではないでしょうか??

アンサンブル演奏

昨日は、京都市改進第一福祉センターふれあいサロンで行われた「親子であそぶ!ふれあいサロン OPEN DAY」というイベントで演奏してきました。誘ってくださったのはアンサンブルサウンドドレスさんです。今回のイベントは未就学児とその家族が対象で、私が児童館で弾いているので、ぜひお願いしたいと言われました。

1ヶ月ほど前に選曲をして、それから今回の編成(ヴァイオリン、歌またはフルート、チェロ、ピアノ)に合わせた編曲をしました。

施設の人の話では、もともと高齢者向けのサービスをメインにしていたけれど今後もっと子ども向けにもやっていきたい、その宣伝も兼ねたイベントであるということでした。
数えていませんが20組以上の家族(50~60人くらい?)はいらっしゃったように見えました。土曜というのもあってかお父さん、お母さん、子どもたちと家族そろってこられている方たちも。

合わせ練習は本番前のリハーサルのみで、その場でいくつか変更も加えました。曲はいつも児童館でやっているような曲ばかりですが、合奏は迫力ありました。やはり弦楽器など生で聴く機会は少ないと思いますし、皆さん興味を持って聴いていらっしゃたと思います。

アンサンブルサウンドドレスさんが子ども向けの小さなヴァイオリン(ウクレレより小さい?)を持ってこられていたのですが、大人気でした。私も弾いてみました(笑)。子ども用というのもあるけれど、なかなかまともな音は出ないんですね。

皆さんスタンプラリーなども含めイベントを楽しんでいらっしゃったようです。