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ピアノに合わせてあそぼう(2023.5.8)

今日はじゅらく児童館「ピアノに合わせてあそぼう」の日でした。0歳児の割合が多かったので、職員さんとその場で打ち合わせてテンポや内容を調整しました。ミニマラカスはおしゃぶりに(笑)。 演奏はクレメンティとシューマンでした。(5/8ツイートより)

京都御苑と梨木神社

京都御苑へ散歩に行くと、拾翠亭の公開日だったので中に入りました。 日本の建築は庭ありきやねとよく話しています。(5/6 ツイートより)

それから梨木神社へ。 以前境内にマンションが建ったのですが横の寺町通からちらっと見たくらいだったのでどうなったか確かめに行きました。なんと最初の鳥居の後ろに建っていました。木で隠れてますが。参道に建てたとは驚きました。境内にはカフェも。庭でコーヒーいただきました。(5/6 ツイートより)

もいもい

プレゼントで『もいもい』の絵本をもらったんですが、知り合いの小さなお子さんも好きだそうです。絵も好まれるんでしょうけど、言葉の響きも面白いのかも? 興味深いです。
(5/6 ツイートより)

(ブログ、なかなか書けませんので時々ツイッターより転載します)

「死と生」のコンサート

4月8日は、京都文化博物館別館ホールで行われた、三橋桜子さん、パブロ・エスカンデさんご夫妻主催のコンサートシリーズ、アンサンブル・コントラスタンテへ行ってきました。今回のテーマは「死と生」でした。
「死」というとなかなか重いテーマに感じますが、全体としてその対比としてある「生」が浮き立つような印象がありました。「生と死」ではなく「死と生」という語順にされたのも、「生」に光を当てようという意図があったのではと勝手に想像しています。

プログラムは以下のとおり

・ランベール 愛する人の影

・クープラン 2つのミュゼット (歌なし)

・モンテクレール ダイドーの死

・ヘンデル 調子の良い鍛冶屋(三橋桜子編曲) (歌なし)

・フローベルガー ブランシュロシュ氏の死に寄せる追悼曲 (歌なし)

・バッハ オルガンのためのトリオソナタ 第5番より ラルゴ (歌なし)

・パーセル 妖精の女王より「聞いて!風がこだましながら」 (歌なし)

・シューベルト リュートに寄せて

        ポロネーズニ短調 (歌なし)

        死と少女

・サンサーンス 死の舞踏 (歌なし)

・エスカンデ 5つの死の歌(イバルボウロウの詩による)
        高熱
        死
        死のヴォカリーズ
        船
        道

・フォーレ 組曲「ドリー」より子守唄 (歌なし)

・エスカンデ さくら(茨木のり子の詩による)

(バッハのラルゴは時間の関係で演奏されませんでした)

谷村由美子(ソプラノ)
三橋桜子(チェンバロ・オルガン・ピアノ)
パブロ・エスカンデ(オルガン・オッタビーノ・ピアノ)

お二人のコンサートのプログラムはいつもオリジナリティの高い、創意工夫の感じられるものばかりですが、その理由の一つは楽器の編成に合わせた編曲が多いというのがあるのではと思います。伴奏も連弾であったり、チェンバロとオルガンだったり、曲によって入れ替わって弾かれます。パブロさんが作曲家で演奏もこなされるので、かなり自由にできるのではないでしょうか?
例えば、サンサーンスの「死の舞踏」という曲は、元々オーケストラの曲ですが、ピアノとオルガン用に編曲され演奏されました。他ではなかなか聴けないと思います。かっこいい編曲、演奏でした。
また別の理由として、選曲が面白いというのもあると思います。今回もバロックから現代(パブロさん)まで幅広く、知らない曲が多かったです。
その中でまた聴いてみたいと思える曲が何曲かありました。例えばシューベルトの「リュートに寄せて」など。

そして、特に印象深かったのは「5つの死の歌」と「さくら」です。

「5つの死の歌」はウルグアイの詩人、イバルボウロウの詩でそれにインスパイアされてパブロさんが若いころに作ったということです。この曲を聴いていて、ピアソラを思い出しました。パブロさんはアルゼンチン出身のようなので、どこか似た感性があるのかなと思うことがあります。現代的な響きと哀愁を帯びた旋律に心動かされ、何度も心に波がおこり涙が出そうに。声が楽器のようになるヴォカリーズもいいなと改めて思いました。

そして「さくら」。これは詩人、茨木のり子の詩で、ソプラノの谷村さんがパブロさんに作曲を依頼、今回初めて公の場で演奏されるということでした。

この詩はなかなか強烈でした。

さくら

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
先祖の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しいとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

今回のテーマ、「死と生」について考えさせられる。死生観が表されていると感じる詩。
美しい音楽(ピアノ伴奏、歌声)とあいまって、迫ってきました。

谷村由美子さんの声は、ふくよかで柔らかい、けれど迫力もあり聴きごたえあるものでした。

終わって帰る前、お二人に挨拶しましたが、「すごくよかったです!」などとしか言い表せないことがもどかしかった。人が多くてゆっくりは話せなかったというのもあるのですが。
感じたこと、心に起こったことはそう簡単には言い表せない。せめて、帰って少しでもその時の感じを思い出せるようブログに書こうと思っていました。

書いてみるとやはり、難しい。

ピアノに合わせて遊びました

ドイツから来日&帰国中の友人夫婦(私の娘と同世代)と久々に会いました。今回初めて友人たちの1歳半の子とも会うことができました。
まずは彼らの希望の京都御苑(御所)で待ち合わせ。
いやあ、かわいい、〇〇ちゃーんと言いながら近寄っていくと、初めて見る私たち夫婦に対し、誰この人たち?という視線。当然の反応です(笑)。

その後御所の中を見学したり、梅や桃が咲いている御苑を散策したのですが、途中で犬を連れた人を見ると、〇〇ちゃんは、何か歌っている。なんと、犬のおまわりさんを歌っている。知ってるところを部分的にですが。家でも色々聞かせているらしく、何曲かレパートリーがあるということ。ドイツ人のお父さんと一緒に歌うと日本語の勉強にもなるという。彼はだいぶ日本語話せますが。私たちも一緒に歌ったりしながら、散策を続けていると、〇〇ちゃんは最初よりは少し笑顔を見せてくれるようになりました。

その後、一緒にうちへ帰り、〇〇ちゃんにピアノの演奏を聞かせてほしいという友人の要望で、まずは伴奏つきで歌ったり、手遊びなどをすることにしました。少し歌ったり振付したり(大人が)しましたが、〇〇ちゃんは静観(笑)。いつも聞いている音源や親子で歌っている時の感じとは違うことに戸惑っていたのか、周りの圧が強くて違和感があったのか?(笑)

私たちの予想に反し、すぐにピアノを指差し興味をもち始めた模様。お母さんの膝から降りこちらに来たので、試しに私が抱っこして膝にのせると弾いてみようとする。私が弾くと真似しようとする。けれども、〇〇ちゃんには鍵盤は重すぎてあまり音は出ない。すると、お父さんお母さんを順番に呼び、その指をつかんで鍵盤に落とす。するとよく音が出る。そうやってしばらく鍵盤で遊ぶ。自分で音がだせないから大人の指を使ったのか、お父さんお母さんにも弾いてほしいから呼んだのか、わかりませんが、ほとんど話さなくても何がしたいのか、身振りや視線で伝わってくる。

その後、〇〇ちゃんはお母さんのところに戻り、また私がピアノ伴奏で〇〇ちゃんの知っている曲を弾いて、皆で振付などしていると、おもちゃのチャチャチャでとうとう手拍子を真似しはじめました。やった(笑)。

それから、これはどう?と森のくまさんを弾き始めたら、〇〇ちゃんは一言「ナイン」。ナインはドイツ語で「No」。却下されてしまいました(笑)。そして、お父さんリクエストのとなりのトトロのイントロを弾き始めたら、〇〇ちゃんはまた「ナイン」。却下(涙)。歌が大好きな〇〇ちゃんも知らない曲には興味がないようです。

そんな様子から、普通の曲はどうかと思いましたが、最後にハイドンの曲を弾きました。すると、今度は最後まで「ナイン」と言われず、後で聞くと〇〇ちゃんは体でリズムをとっていたというのです。

〇〇ちゃんはその後はすっかり私たちやうちの家にも慣れてくれたようで、楽しそうに過ごしていました。

子どもは一人一人違うから、1歳半で何ができるとか、何が好きかとか一般化はできませんが、半日ほど一緒に過ごしてとても興味深かったです。散策時の様子、手遊びも含め、何かを「させよう」とすることに対し、ノーと言う。自分で決めてやりたいという意思が感じられました。それがいつ頃から始まるのか、それもそれぞれでしょうけど、言葉がまだはっきり話せないうちから子どもは意思を持ち始めるということを改めて認識しました。

毎月の児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」でも、以前「ふれあいあそび」をやっていましたが、お母さんがお子さんに一方的に何かをする(寝転がしたり、さすったり、手足を動かしたり)ということを嫌がる子がたまにいるのでやめました。0歳児でまだ寝転んでいるうちはそうでもなくても、自分で動き回れる月齢になると自分のしたいようにしたい子も増えてくる。

赤ちゃん~子どもの様子を見守りながら、どういった音楽環境が望ましいのかについていつも考えますが、今回の経験も参考にしたいと思っています。

京都御苑ではもうしだれ桜も咲いていました。

赤ちゃんと音の世界&ミニピアノコンサート

3月16日、保育所で乳幼児向けの音楽イベントをさせていただきました。定員7組のところ、12組の参加となり、また保育所の0歳児さんたちも来てくれました。

「赤ちゃんと音の世界&ミニピアノコンサート」というタイトルは、昨年の始め、聚楽保育所の保育士さんが考えてくださって一緒に企画していましたが、まん延防止措置が延長となり中止になりました。その後、その方は別の所へ移られたため聚楽保育所での開催はなくなりました。

そして、昨年末にこのイベントの企画について知っておられた養生保育所の方から連絡をいただき、ぜひこの内容のイベントをやってほしいということで養生保育所で開催することになりました。

内容は赤ちゃんと音や音楽についての話とピアノ演奏です。

お話の方では、赤ちゃんの聴覚や音からどういう情報を得ているか、マザリーズ、赤ちゃん向けの歌はどういったものか、音楽から何を感じるか、聴覚だけでなく視覚も含めたコミュニケーションが大切であること、歌いかけの効果など、ブログにも書いているような内容を短くまとめた資料をお渡しして、説明をしました。

演奏の方は、ハイドン2曲、モーツアルト2曲、グリーグ1曲を弾きました。
ピアノはアップライトでしたが、演奏前に生楽器の音とデジタル音の違いについて話しました。普段、多くの人が耳にしている音はテレビ、パソコン、スマホなどからの音だと思いますが、できれば倍音の豊かな生楽器や自然の音などを聞いて違いを感じられるのもいいのではというようなことです。

最後は、職員さんから予想外のアンコールがあり、1曲弾きました。

イベントについてのアンケートを後で見せていただくと、皆さん、好意的な感想を書いてくださっていましたが、中でもお子さんがずっとご機嫌だったとか、体を揺らしていたといった感想はうれしかったです。

そして、保育所の0歳児さんたちがおとなしく聴いていて驚いたと付き添いの保育士さんたちに聞かされました。普段はそうでもない子たちだそうです。背中を向けて弾いていたのでそういった様子がわからず、その話を聞き喜びました。

目の前で人が演奏していて、楽器がなっているということを初めて見た子も多かったかもしれません。

お話や演奏を通して、何か感じていただけたらいいなといつも思っています。

目を見て

前回マザリーズについて書きましたが、これまで赤ちゃんは目よりも耳がいいので、音によるコミュニケーションはより有効であると考えていました。
イベントの資料作りのために、参考文献にしている『赤ちゃんの心はどのように育つのか』(今福理博著/ミネルヴァ書房)を読み返してみて、また新たに以前はそれほど気に留めていなかった部分が気になりました。とても重要だと感じたことです。

それは、赤ちゃんは自分に語りかけている相手の目や口元を見ているということです。新生児のうちは視線が定まらない感じではあるけれど、ちゃんと赤ちゃんの目を見ながら話すということは意味があるということです。大人が思っている以上に赤ちゃんは目が合っている人の語りかけ、歌いかけに注意を払い、音(聴覚)と口の動き(視覚)で言葉を覚えていくようです。それがいつから始まるのかはっきりしているわけではないですが、実験では生後間もなくであっても口の形を見て模倣することができると確認されているようです。

赤ちゃんの視力は弱いので、目で確認するということについてこれまであまり重視していませんでした。以前、乳児の視力は0.01~0.02程度であると書かれているのを見て書き留めていたためですが(どの本であったか今はわかりませんし、そもそも乳児の時期があいまい)、今確認できるものを見ると、1か月児(新生児から乳児と呼ばれ方が変わる時期)の視力はおよそ大人の4分の1程度(この場合の基準となる大人の視力がわかりませんが)、乳児で30cmで焦点が合うということです(『発達心理学』(本郷一夫編/遠見書房)「知覚・認知の発達」)。抱っこした時に赤ちゃんからちょうどよく見える距離ですね。
資料によってばらつきがありますが、今回取り上げている参考文献によれば、これまで思っていた以上に早く見えるようになると言えそうです。生まれたては0.01程度でもその後少しずつ見えてくるようになるのでしょうから、乳児期に入ってまだ0.01というわけではないだろうということですね。ちなみに視力0.01の焦点距離は10㎝以下ということです。

赤ちゃんが声から学んでいく際に視覚も大事な要素であると認識しました。

また、マザリーズや歌いかけは赤ちゃんが好むわけですが、スピーカーを通してではあまり意味がないようです。

赤ちゃんにとっては人以外(たとえば、機械などの人工物)から伝達される情報の学習は、効果的ではないと考えられます。

『赤ちゃんの心はどのように育つのか』p.83

目を見て、直接語りかけたり、歌いかけることが大事なのですね。当然と言えば当然と思えますが。

また、感動したのは、歌いかけの効果です。
言葉の発達への影響に留まらず、心を落ち着かせ、その後の成長における内面の安定にもつながるのではということです。

本で書かれていることは、研究がもとになっていて、同じことをして同じような結果が得られるとは限らないと思いますが、目を見て語りかける、歌いかけることはお互いにとって心が安らぐことで、それだけでもよいことではないでしょうか。

私自身、これらのことを子育ての時に知っておきたかったと思います。知れば知るほど赤ちゃんの発達は早くから始まっていることがわかり、驚くばかりです。

マザリーズ

今まで何度か子育て講演会(音楽の話や演奏など)の中で「マザリーズ」について話しています。マザリーズとは、赤ちゃんに向けた、やや高めのゆっくりした抑揚のある話し方(母親語、乳児向けの話し方)のことを言います。赤ちゃんはマザリーズが大好きということです。

1月の後半から2週間ほど生まれて間もない孫と過ごしましたが、家中赤ちゃん言葉が飛び交っていました(笑)。理解できるはずはないけれど、色々と話しかけてしまう。その時、みんなマザリーズのような話し方になっていました。赤ちゃんがそれを好むかどうか知らずとも、赤ちゃんと向き合えば自然とそのような話し方になる感じがします。

生後半年の間、赤ちゃんが音から得ている情報は「音声のリズム」「抑揚(ピッチの変動)」「韻律情報(強さの情報)」と考えられているということです。

マザリーズは赤ちゃんにとってとらえやすい音(情報)であるのでしょうね。そして、マザリーズは普通の話し方よりもより音楽的ですね。子守唄はマザリーズから発生したのではないでしょうか。

赤ちゃんを見ていると、まだ何もわからなくても色々なことを感じているのだろうと思えます。おなかがすいたり、不快だったりすると泣く。抱っこして話しかけたり、体をさすったり、歌を歌ったりしてあやすと泣き止んで穏やかな表情になる(おなかすいている時は通用しないけど)。

赤ちゃんの感情表出はまず「興奮」と「不快」から始まる。けれども、他の感情も誕生時には備わっていると考えられているということです。

不快なのはわかる気がします。今まで(おなかの中)と全然違う環境に放り出されたのだから。

赤ちゃんは何も理解できなくても、何かを感じているはずと思えば、気遣いながら接することができます。なぜ泣いているのだろう? おなかもいっぱい、おむつもかえたところなのに。どこか痛いのかな? かゆいのかな? 不安なのかな? わからないのだけれど。

私が赤ちゃんや子どものことについて、専門書を読んだり、よく調べるようになったのは、10年ほど前児童館に行きだしてからです。自分の子育ての時はそこまで調べられていなかった。
自分が得て役に立つと思える情報は、自分の娘にもですが、子育てする人たちとも共有できればいいなと思っています。

3月には初めての保育所でお話と音楽のイベントをさせていただきますが、そこでもマザリーズについて話す予定です。

以下、これまでもご紹介していますが、参考文献です。 

ちいさい秋みつけた

11月26日、伏見いきいき市民活動センターで「日本の歌」を歌うイベントに参加しました。夏ごろから一緒に活動させていただいているアンサンブルサウンドドレスというグループが主催です。このイベントについては以前ブログでも告知していました(「歌のイベント」)が、私の持ち込んだ企画がベースになっています。元々ピアノ伴奏で皆さんに歌っていただくというつもりでしたが、歌手とヴァイオリン奏者に参加していただき、それに合わせた編曲をしました。

会場の、伏見いきいき市民活動センター別館集会室は広々した部屋で、グランドピアノがあり、音の響きもよかったです。実は、以前一度アンサンブルの合わせ練習で使ったことがあるのですが、あまりよく覚えていませんでした。
来場者はお子さんも含め30名くらいだったでしょうか。主催者側は出演者合わせ10名ほど。ガラガラでなくてよかったです(笑)。

このイベントに込めた思いは、チラシにもいれていただいている「古き良き日本の歌を次の世代へ」というものです。最初にアンサンブルサウンドドレスの代表者にこの企画について話をした時、ぜひやりましょうと言っていただきました。

日本の古い歌(主に明治時代以降)についてはブログでも何度か書いていますが、日本の自然と心の描写を重ね、詩的に表現されているものが多く、そこを意識すればとても味わい深い。曲の方は、明治以降に日本に入ってきた西洋音楽の影響も大きく、それが現代の私たちでもなじみやすい理由かなと思っています。

今回のイベントでは、曲の背景や、歌詞の意味などを説明してから歌ってもらいましたが、そのために下調べをしている中で、初めて知ったことなどがいくつかありました。その中で特に「ちいさい秋みつけた」の歌詞の背景に心動かされました。

「ちいさい秋みつけた」の歌詞はサトウハチローによって書かれましたが、サトウハチローは幼い時に大やけどを負って、数年間療養のため自由に外に出ることはできなかったそうです。「ちいさい秋」というのは、家の中でも感じることのできたささやかな秋の様子を歌ったものであることがわかりました。

歌詞の中に次のような部分があります。

目かくし鬼さん 手のなる方へ すましたお耳に かすかにしみた

この部分は、外で遊べなかった幼いサトウハチローが、誰かが遊んでいる様子を耳にしたときの描写のようですが、「すましたお耳に かすかにしみた」という部分に寂しさを感じます。子どもたちが外で楽しそうに遊んでいる様子が気になってしかたない気持ちと、遊びたくても遊べない悲しい気持ちがこの言葉に込められている気がします。

そして、1番には「もずの声」、2番には「(わずかなすきから)秋の風」、3番には「(はぜの葉赤くて)入日色」という言葉があります。1番は「耳」で、2番は「肌」で、3番は「目」で感じた秋を表現しています。

また、何を表しているのかはっきりわかりませんが、詩的だなと思う表現があります。

おへやは北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク

幼いころの気持ちを回想しながら書かれたのだと思いますが、歌詞の端々から感受性の豊かさが感じられます。中田喜直さん作曲の悲しげな音楽と相まって哀愁をおびた曲ですね。

今回来られた方々は、日本の古い歌についてやそれぞれの曲の背景の話にどれくらい興味を持ってくださったかわかりません。これらの曲が次の世代へどれくらい引き継がれるのだろうかと思いますが、私はとりあえず、こういった曲の伴奏をする機会があるので、自分ができることをやっていこうと思います。

音楽と心の関係

10月30日、ドイツ音楽療法センター主催のオンライン公開講演会に参加しました。講演会のタイトルは「自分の音楽とつながる & 他者の音楽とつながる」です。

この講演会について知った時は確かチラシの説明を読んでだけで、それほど明確なイメージを抱いたわけではないのですが、なんとなく自分の興味と接点があるように感じて申し込みました。

前半のテーマは「自分の内なる音楽とつながる」、後半のテーマは「他者の音楽とつながる」。
特に前半は普段自分が考えていることと重なることも多く、思っていた以上に興味深かったです。
オンラインでただ聞いているだけでは忘れてしまうだろうから、先生の話を聞きながら画面に映されるレジュメをひたすらノートに書いていました(前半部分を。後半はほとんど動画だったので)。せっかくですから資料として残せるように。

というわけで、前半部分は手元に資料もあるので一部ご紹介します。

まず、生まれた後の環境、養育者の接し方が子どもの性格を変えるような影響があるということです。肯定的に受け入れられていると感じている子は精神的にも安定し、そうでない子よりも良い影響を受けるということです(この辺りのお話は今勉強している発達心理学と重なる部分があります)。

そして、音楽教育が内面に与える影響についての話です。
子どもが、楽譜の通り、先生の言われる通り弾くという教育の中で、内面の音楽を表現するチャンスやそれを認めてもらえる機会はあるか、 レッスンで否定されたことが自分を否定されてしまったように感じないか、というような内容です。

さらに、自分の内面にある音楽に意識を向けるための手段としての「即興演奏」の話です。
例として楽器演奏経験がない人(確か)と音楽家(音楽療法士)に対するセラピーが紹介されました。
どちらも音源を聴かせていただきましたが、楽器経験のない人の方は、「音」によって何かを表現しているようでした(ギターを使って)。色々な音を出してみることで何かに気づき自分の気持ちに向き合うことができることもあるようです。
一方、音楽家は自分の表現したい音楽がわからなくなっていたのですが、即興にトライして自分の中にある音楽を奏でることができ、肯定的な心境に変化していったということです。とてもまとまりのある自然なピアノ演奏でした。

お話の中で出てきた音楽療法士は、音楽で人のために役立つ仕事をしているはずですが、自分自身にとっての音楽がわからなくなっていてそれが苦しみの原因だった。今回の講演会は、「演奏家とセラピストに向けて」ということですが、音楽家にも特有の悩みがあり、時にはセラピーが必要なことがあるのかもしれないと改めて思いました。改めて、というのはこのようなことはだいぶ以前から私の意識の中にはあったからです(何年か前、『音楽気質―音楽家の心理と性格』という本を読んだ頃から特に意識し始めました)。

この記事を書いているのは、講演会からしばらくたってからですが、音楽と心の関係というのが私にとって大きな関心事であることを、講演会の内容を振り返りながら再認識しています(振り返れば音楽と心の関係に興味を持ち始めたのはずっと以前、人はなぜ音楽を聴くと涙がでるのかと思い始めた頃だったと思います→関連記事『どうして涙が出る』?)。

最近の私の関心事を端的に言葉で表わすと「音楽心理学」ということになりそうですが、『音楽心理学ことはじめー音楽とこころの科学』という本を読んでいる途中です。専門的なのと翻訳がややわかりにくい感じなのと合間に読んでいるというのもあって、なかなか進みませんが、興味深い内容です。
ちなみに、京都橘大学の心理学の科目には音楽心理学やそれに近いものはなかったので、今後も自分で関係ありそうな本を読んでいこうと思っています。