金曜日の夜、ある人のプライベートパーティーに呼ばれて行ってきました。そこであるフランス人の女性と話をしました。彼女は長年日本に住んでいる作家で、日本の文化にもかなり詳しく、もちろん日本語も普通に話します。色々な話をしている中で、「自由」がテーマに……
私は、クラシック音楽から色々なことを学んできましたが、クラシック音楽は「こうあるべき」という観念が強いジャンルだと思うし、そういった意味で本来自由に楽しむはずの音楽とのかい離を感じることもありました。バッハにしてもモーツァルトにしても、特に古い時代の作曲家はそこまで後世の人に対して、こう演奏してもらわないと困るという思いはなかったのではと思います。原典版もあまり何も書いてないですものね。
『正しい楽譜の読み方』(大島富士子著)という本の中にも、バッハの時代は、楽譜を、自分を知っている、自分の音楽を理解できる人間のためにだけ書いたので、細かい指示はなかった、ということが書かれています。その頃の作曲家はまさか、自分がいなくなって何百年たっても自分の曲が演奏され続けるなんて夢にも思ってなかったのではないでしょうか?
今では、演奏解釈についての本がたくさんあって、それらを読んでいるとある程度の共通認識もあり、「こう演奏するべき」という基本的な「きまり」のようなものは、歴史の中で構築されていったような感じがします。
ピアノ教室などでもそのようなきまりは、ある程度共通しているように思えますし、もちろん、その中から学ぶこともたくさんあると思います。長年かけて研究されてきたことには価値もあり、それらを自分の糧にすることは大切なことだと思います。
ある程度の解釈の自由というものがあると思いますが、それもあくまで当然オリジナルを尊重したものであるべきというのが、一般的な考え方ではないでしょうか?
クラシック音楽の素晴らしさを享受しつつも、私が曲を作りだしたことは、「自由」を求めた必然だった気もします。自分の曲なら、このように弾かなければならないということはないわけで、どのように弾くのがよりいいか、弾きながら自分で考えていけばいいわけですし。でも、凡人だから長年の経験や学びがなければ、このようなことはできなかったと思っています(別にたいしたことはしてないのですが💦)。
今でもクラシックの曲を弾いて学びつつ、自分の曲を弾くことで精神の自由を感じているというようなことをフランス人女性に話すと、自分の曲でも繰り返し弾くのなら、即興演奏でない以上、自由ではないのではという感想がかえってきました。さすが、「自由」にこだわるフランス人!かもしれません。
確かに、曲を作っているときが一番自由を感じているかな。でも、演奏してる時もです。何を自由と感じるかは人それぞれなのかもしれませんね。