あと1時間ほどで2018年も終わろうとしていますが、今年最後のブログを書いてみようと思います。
先日、いるか喫茶バーである曲を演奏していた時のことです。その曲は、だいぶ前に作った曲ですが、途中で拍子が変わったり、所々にリタルダンドがあったり、拍子の変わった所ではテンポも変わったりという曲です。以前から自分の曲ながらテンポの調整が難しいなと思っていました。ところが、この間その曲を弾きながら、別に拍とか、テンポとかにとらわれず、小節線がないような感じで弾いてもいいんじゃないか、とふと思いました。誰かと合わせるのではなく、一人で弾いているのだし、自分の曲だし。
今、『憂鬱と官能を教えた学校』【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史(菊池成孔+大谷能生/河出書房新書)という本を読んでいて、この本には面白いことがたくさん書いてあるのですが、ちょうど拍子とかリズムの話が出てきています。その中に、カール・シュトゥンプの『音楽のはじめ』からの引用があります。
「本当に、一声的な言葉では、多声音楽や和声音楽におけるよりも、リズムの展開はずっと自由です」
「大勢が一緒に音楽をやって全く異なる旋律を声々に歌うときは、旋律が或る定まった、保持し易いリズムにうまく結びついていないと、混沌たる状態に陥ってしまうほかなくなるからです」
「それ故、多声音楽は容易に計量音楽に移り」
計量音楽とは近代の拍子、四分の四拍子とか四分の三拍子を指すということ。
また、カール・ウェルナーの『音楽史』からの文章も紹介されています。
「ゴシックやルネッサンスの芸術音楽には、今日のような拍子はまったく存在せず、音楽の時間的な経過はタクトゥスによって規則づけられていたにすぎない」
タクトゥスとはタクト(指揮棒)のことです。
ということで、いわゆる西洋クラシック音楽にはもともと拍子とかリズムはなかったのですね。音楽の基本要素はリズム、メロディ、ハーモニーと教わると思いますが、この本によりますと、近代的な拍子の概念が確立したのは、大バッハの時代、後期バロック期ということです。
たまたま、拍子やテンポにとらわれず弾いてみたいと思った時に、これを読んだので面白いなと思ったのです。
先日、ジャスピアノの先生にも、小節線がないような自由な弾き方をしたい曲がある反面、グルーヴを感じながら弾きたい曲もある、両方好きという話をしました。
グルーヴについては、この本の中に、
バッハの曲にはドラムなんて入ってないけど、むちゃくちゃグルーヴです。
というような話も出てきて、これもまた面白い。クラシックでグルーヴ?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はずっと前から、バッハや、モーツァルト・ハイドンのアルベルティ・バスを弾いててグルーヴを感じることがあったんで、やっぱりな、と思いました。
グルーヴの話はまた書くかもしれません。
それでは、皆さま良いお年をお迎えください。