ブライアン・イーノ ・アンビエント・キョウト

BRIAN ENO AMBIENT KYOTO  (ブライアン・イーノ ・アンビエント・キョウト)へ行ってきました。
ブライアン・イーノ(イングランド出身の音楽家で、アンビエント・ミュージック(環境音楽)の創始者)の音楽はこれまでたまにネットで聴くくらいでしたが、今回はインスタレーション(観客参加型の芸術作品)でしたので、また違った印象を受けるだろうと期待して行きました。

最初に入った部屋は「The Ship」

室内は暗い。人影は見えるけど顔はあまりわからない。そこはスピーカーから流れる、重厚で普段はあまり耳にすることがない音楽で満ちている。音に包まれるようなとても不思議な感覚です。実際音は振動であり、体に直接響いてくるものですが、視覚がほぼ遮断されることによって音波により意識が向くのかもしれない。

人によって受け止め方は違うと思いますが、この非日常な状況は、人々を瞑想にいざなうような雰囲気です。しばらく座って聴いていると、考えることをやめ(あまり意味がない気がしてくる)、感じる方へと心がシフトしていくよう。
どう感じたか? 言葉では表せませんね。まさに、心がニュートラルになる瞑想状態に近い体験していたのではと思えます。

次の部屋は「Face to Face」

今度は部屋の正面に大きなスクリーンがあり、3人の顔が並んでいる。すごいインパクト。音楽も流れているけれど、さっきの部屋にいる時と比べたちまち目の前のヴィジュアルに意識が向く。しばらく眺めていると3人の顔が少しずつじわじわと変わっていく。女性が男性になったり、若い人が高齢者になったり、人種が入れ替わったりを繰り返す。その変化に気を取られ、音は聞こえているけれど、あ、今聴いてなかったとたびたび意識する。
やはり、聴覚は視覚にはかなわないと実感。顔そのものも訴える力が大きいと思いますが、微妙に変化する瞬間瞬間にどうしても意識が向いてしまう。あらがえない。

次の作品の前にラウンジをのぞく。

ここはちょっとした休憩所のようでしたが、こんなディスプレイも。

次が「Light Boxes」

今度は光の作品。顔の作品に比べると、そこまで主張が強くなく、今度は音楽とのバランスをとりながら鑑賞できました。

光の色は流れ続ける音楽と共にずっと変化し続けます。この部屋でも心をニュートラルな状態にできそうですが、やはり見ることにほとんど意識が向かない最初の部屋にはかなわない。
例えば、黄色くなった、紫に変わったなどとどこかで思ってしまっていのではないか?

最後に入ったのが「Million Paintings」
このイベントのメインではと思います。

入り口の注意書きに、寝入っている人がいたら声をかけますというようなことが書かれていました。部屋は天井が高く、正面に大きなディスプレイがあり、柔らかいソファがいくつか置かれていて、人々がそこにゆったりと体を預けて鑑賞しています。確かにこの状況であれば寝てしまっても仕方ない。


私たちもソファに腰かけ、体にじわじわ音楽を感じながら絶え間なく変化する映像を眺める。背もたれによりかかろうとすると体を半分寝かすような状態になり、私は多分寝てしまうので(笑)、もたれかからずに座っていました(大人になってから何度か行ったプラネタリウムではほぼ毎回途中で睡魔に負ける(笑))。

アンビエント・ミュージックについて、イベントのサイトには次のように書かれています。

興味深く聞くことも、ただ聞き流すことも、無視することもできるというリスナー主体の、あらゆる聞き方を受容する

終わりのない音楽と映像だから、どれだけ鑑賞するかは鑑賞する側が決めることになる。受け身である鑑賞者が主体的に鑑賞を終える瞬間を決断する。ある人は5分かもしれない。ある人は30分かもしれない。それぞれが作品に寄せる関心も感じ方さまざまであるだろうし、鑑賞していたい時間も違う。用意された環境の中で、鑑賞者が主体的にふるまう自由さというのが、このインスタレーションの魅力の一つではないだろうかと思います。

こういう音楽や映像作品が好きかどうかということではなく、アンビエント・ミュージックとビジュアル作品が作り出す特殊な空間が人にどのような影響を与えるのか、何を呼び覚ますのか、そんなことがとても気になりました。

会場にブライアン・イーノ自身の言葉もありました。

ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、自分の想像力を自由に発揮することができるのです

元々、音楽の双方向性というのは私にとって関心の高いテーマですが、今回の体験は今後の活動の参考になりそうだと感じています。

アンビエント・ミュージック(環境音楽)について少し (過去の記事です)