月曜はピアニストの内藤晃さんが久々に関西に来られたので、レッスンを受けました。昨年内藤晃さんのモーツァルトを聴いてからは、繊細で美しいモーツァルトを弾きたいという思いがより強くなっています。
今、『モーツァルト頌』(吉田秀和・高橋英郎編/白水社)という本を読んでいますが、タイトルの「頌」というのはあまり見かけない言葉だなと思って調べると、ほめたたえるという意味の言葉で「大地讃頌」の「頌」なんですね。
これが結構すごい本で、著名な作曲家、詩人、作家、哲学者、画家、音楽評論家など総勢210人の人がモーツァルトについて述べているのです。それぞれが言葉をつくしてモーツァルトのすごさを語っているのですが、感動的な文章がたくさんあって(愛あふれて涙誘うものも)、どれか引用しようと思うのですが、絞れないという感じです。私がなぜモーツァルトに惹かれるのかという理由がさらに補強されていく感じです。500ページ以上あって、じっくり全部は読めていませんが(でもかなり読みました!)、とりあえず「そうそう」と強くうなづけたもののうちのひとつを引用したいと思います。
(前半省略)
「私はモーツァルトに寄せる記念文を書き記したいと思う。―ところでこのすばらしい巨匠がそのようなものを必要とするだろうか?―彼の作品を学ぶことのできる人、あるいはそれを聴く機会だけでももてる人のすべてにとっては、たしかにそれは不要であろう。しかし、この巨匠をその全き深みにおいてとらえる人、彼の神的なハーモニーを聴くことによって、みずからの高揚と幸福を感じる人―こうした人は同時に、すでに昇天した貴重な友のことのように、彼について語り彼について語られるのを聞く欲求を感じているのではないだろうか?」(ヨハン・ペーター・リューザー/ドイツの文人、画家、音楽家)
はい、感じています(笑)。私がこの本を感動しながら読んでいるのがまさにその証。
もうひとつ短いものを。
「死の床のショパンが、友人たちに言った、「みんなで何か演奏をしてくれないか。君たちはその間私のことを考え、私は君たちの演奏をきくことにしよう!」と。
チェリストのオーギュスト・フランショームが「じゃ、君のソナタを弾こう」というと、ショパン「そりゃ、いけない。ほんとうの音楽を弾いてくれたまえ。モーツァルトの音楽を!」
まだまだご紹介したいものがあります。こんな本はやはり珍しい。