『キース・ジャレット』より その2

前回に引き続き、また『キース・ジャレット』(Ian Carr著・蓑田洋子訳/音楽之友社)を読んでいて、気になったことについて少し書きたいと思います。

1976年にキース・ジャレットは日本で10回のソロ・コンサートツアーを行っています。このうちの5回分が『サン・ベア・コンサーツ』というタイトルでアルバム化されました。そのアルバムについて、批評家の反応はさまざまだったということですが、その中に、批判的なものもあったということです。そして、それに対して著者は次のように述べています。

このような批評家たちはジャレットの音楽そのものがわかっていない。その大きな原因は、真に価値のある音楽的表現はハーモニーに基づいていなければならないという彼らの思い込みにある。その思い込みのせいで、彼らは世界の音楽のおそらく80パーセントを、そしてまた、キース・ジャレットの音楽の本質的な部分を理解できないでいるのである。リズムはリズムだけでも、演奏さえよければ、音楽的装飾や展開に頼らなくても完全に音楽として成り立つということが理解できないというのは、おそらく、西欧のクラシック音楽の判断基準をジャズと即興演奏に当てはめているのであろう。

「西欧のクラシック音楽の判断基準」を、他の音楽にも当てはめるべきではないという著者の考えについて、改めてそうだなあと思いました。自分に当てはめて考えてみると、他の多くの人たちと同じようにほぼ西洋音楽(クラシック以外も含め西洋音楽理論がベースとなっている音楽)の影響の中で生きてきて、それらからたくさんの感動を得て、自分の作品もそういったことがベースになっていると思いますが、だからといって西洋音楽のルールの中だけでやらなければならないというわけではない。知らず知らずとらわれすぎないよう、もっと自由にやっていこうと思えたのでした。でも、全然知らない民族の音楽のようにはならない。知らない成り立ちの音楽は自然には出てこないから。でも、多くの人と共有できる西洋音楽がベースとなっていることは、それはそれでいいと思っています。

「ぼくは最初の最初から、音楽的には完全に真っすぐ進化して来たと思う。ぼくは、いろんなカテゴリーの音楽を渡り歩いたけれども、それは、その時その時に、それらのカテゴリーが、それぞれ、ぼくの中の音楽に一番近いものに感じられたからだ」

というキース・ジャレットの言葉がありますが、ジャンルにとらわれず良いと思うものを吸収し、自分の音楽を生み出そうとする情熱にはすさまじいものを感じます。読んでいて刺激を受けます!